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"JAPAN BROWN"が生み出される場所を訪ねて

「柿渋(かきしぶ)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

まだ青い柿を収穫して圧搾機で絞り、絞り汁を数年寝かすことでできる液のことをそう呼びます。

塗料、防腐剤、染料...など使い方は多種多様。

柿渋を木に塗ると防腐・防虫・防水などの効果があるそうで、平安時代には建物を建てるとき木材に塗られていたのだとか。

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「つくるひとは少なくなりましたが、柿渋は自然素材だから、いまの時代に合っていると思います。」

そう語るのは、株式会社尾道柿園の現代表・宗(むね)八重子さん。

尾道柿園は、樹齢200年を超える柿の木などから採れる柿を使って、柿渋と干柿づくりを続けていらっしゃいます。

今回のテーマは「柿渋」。尾道柿園から、尾道のものづくりの現場をレポートします。(※尾道市地域おこし協力隊の自己紹介note記事はこちら)

1. 尾道と柿

尾道があるのは、広島県の南東の沿岸部。訪れたことのあるひとなら、尾道のイメージを聞かれたら「海!」と答えるのではないでしょうか。

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そのイメージとは反対に、柿渋の原料である柿が育てられているのは、尾道の山エリア。

最北部の御調町(みつぎちょう)で盛んに栽培されています。

関西ではお正月の鏡餅に「串柿(くしがき)」を飾る文化がありますが、御調町はかつて串柿の産地として知られていました。また、明治~戦後にかけて生産量日本一の柿渋「尾道渋」の原料となる柿も育てていました。

串柿-02

しかし、時代を重ねるにつれ串柿を飾る文化は衰退。柿渋も、戦後さまざまな染料が世界から入ってくると、工場がどんどん廃業していきました。

尾道柿園の創業者・宗康司さん(現代表の旦那さん)の実家は、御調町で串柿づくりをしている農家で、その影響を受けていました。

高校卒業後は都会で暮らしていた康司さんでしたが、地場産業が衰退していく状況をなんとかしようと、帰郷して地元の仲間とともに尾道柿園を設立しました。

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現在尾道柿園がメインでつくっているのは、柿渋干し柿

柿渋と干し柿では使う柿の品種が異なるそうで、今回のテーマである柿渋づくりは、青柿(あおがき)*がたわわと実るお盆あたりからはじまります。

※熟れる前の柿を使いますが、この地域では柿渋に使う特定の品種の柿のことを「青柿」と呼ぶそうです。

干し柿

柿渋づくりでは3日間かけて青柿を収穫し、4日目に抽出をする、というサイクルを計7回繰り返します。

こちらの記事では、そんな柿渋づくりと、柿渋を使った染色「柿渋染(かきしぶぞめ)」の工程を取材した内容をお届けします。

2. 柿渋づくりの現場から

ー 収穫(1~3日目) ー

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柿渋づくりは青柿の収穫からはじまります。

ゆうに3mはありそうな長い脚立を、器用に柿の木にくくりつけ、高枝切鋏(たかえだきりばさみ)というUFOキャッチャーのアームのような道具を使って、柿のついた枝を切り落とします。

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ときどき頭に落下してくる柿(結構痛い)。当たらないように気を付けながら柿付きの枝を集め、割れていない柿を1個1個手でもいで箱に集めます。

この作業は案外大変で、3日間でコンテナ20箱分集めるのですが、素人の私が6時間作業してできたのはたった2箱半。暑い時期の作業で、翌日全身筋肉痛でした。

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ー 抽出(4日目) ー

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収穫した青柿は、柿渋を抽出する機械のある工場へ運びます。そこで再び選別作業をして、ベルトコンベアに載せていきます。

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青柿は大きなローラーへ運ばれていき、すりつぶされた後で圧搾機のなかへ溜まっていきます。

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圧搾機が満タンになったところで上から蓋を載せ、圧力をかけて絞り汁を抽出します。

青柿から最初に絞られた柿渋は「一番渋(いちばんしぶ)」と言い、一番渋の絞りかすに水を加えて柿渋成分を再度抽出させ、もう一度圧搾してできた柿渋を「二番渋(にばんしぶ)」と呼ぶそうです。

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圧搾が終わったら、一番渋と二番渋の両方とも工場から柿園へ持ち帰り、大きなタンクに入れて1年間熟成していきます

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熟成させることで柿渋の成分が変化して、防虫や防腐など柿渋の特徴となる効果をもつようになります。

また、抽出してすぐは緑がかった黄色い液体なのですが、熟成させることできれいな赤褐色に変化します。

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ー 染色 ー

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翌週。尾道の老舗企業、尾道帆布が帆布(はんぷ:綿や麻の厚手生地)を柿渋で染色してもらう日に、改めて尾道柿園を訪れました。

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柿渋を使うときは専用の台の上に布を広げます。柿渋をいれた容器にブラシをつけて、そのまま布の上でゴシゴシと染色。

機械的に同じ方向にこすってしまうと色ムラができるので、縦方向と横方向の両方に手際よくブラッシングすることがポイントなのだとか。

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柿渋染めは1度で染まり上がるのではなく、ブラシで布の裏表に柿渋を塗り、そのあと太陽光にあてて発色させる作業(太陽染め)を4~5回繰り返すことで、徐々に染色していきます。

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何度も柿渋塗りと太陽染めをすることで、海外で"JAPAN BROWN"と呼ばれる、深みのある茶色に染まり上がります。

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染色する素材や布の状態(アイロンをかけてピシッとした布か、シワをつけた布か)によっても、染まり上がったときの表情が変わります。

下の写真のような濃い色のものは、木酸酢(もくさんす)*に鉄と水を加えてできる媒染液(ばいせんえき)*に、染色後の布を浸けることでできるそうです。

※木酸酢...木炭や竹炭を燃やしたときの煙を冷却してできる液
※媒染液...染料を生地にくっつける働きをする液

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4. これからの時代と柿渋

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「柿渋ってエコなんです。ただ採って絞って発酵させるだけなので、薬品は一切使いません。」

そう言い切るのは現代表の八重子さん。普段穏やかな方なだけに、この言葉をはっきりと語っていたのが印象的でした。

しかしそのような素晴らしいものがある一方で、尾道柿園のある御調町の地域は、高齢のため山を降りるひとが増えているのが現状です。

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「限界集落ですよ、もう。ひとが居なくなった民家は森に還ってしまいますし。でもその状況をなんとかしようと思って、主人がここではじめたんです。」

尾道柿園では、近隣の家にも声をかけて使われなくなった柿の木からも柿を収穫。そのときに伸びた枝を整えて、手入れも同時におこなっています。

里山への想いに共感して、近所のひとたちも快く協力してくれているのだとか。

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「これからの時代が求めるのは心の豊かさで、それは自然素材を使った環境のなかで生活してこそ得られるもの。」

これは先代の康司さんの言葉です。

柿渋をテーマに世界へ発信する拠点をつくり、柿渋の原料となる木々が多く残る御調町で、次世代につながる経済を興す夢のために柿園をはじめました。

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「つくるのは簡単だ。できるひとに教えてもらえばいい。でも、売ることは誰にでもできることではない。営業力やさまざまな努力が必要だ。」

都会で働いて身につけた営業力を糧に、メディア出演や地域内外の企業とのコラボレーションなど、精力的に活動されてきた康司さん。

今年の夏からは、ともに伴走してきた妻・八重子さんと地元の仲間たちがその遺志を引き継ぎ、今後も柿渋づくりを通して世界に心の豊かさを届けるプロジェクトを続けていきます。

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5. まとめ

長い年月をかけて育った柿の木から生まれた柿渋は、それを塗ったものにも深い味わいを生み出してくれます。

柿渋はあまり見る機会がないかもしれませんが、インターネットやふるさと納税で簡単に入手できます。お家時間のDIYや、年末の大掃除で不要になったものをリユースする際に、柿渋を活用してみるのもいいかもしれません。

また、今年は10月第4週頃から尾道柿園で干柿づくりがはじまります。来春頃には柿渋染体験(要予約)もあるので、気になった方は、この機会に御調町を訪れてみてはいかがでしょうか。

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