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【尾道移住4年目コラム #1】移住と仕事選び

こんにちは。当noteの編集を担当しているアンドウです。私は2020年11月に初めて尾道に訪れ、翌2021年1月31日、夫とねこ2匹と共に尾道へ移住してきました。

そんな経験をもとに、今月から月1で「尾道移住4年目コラム」を書かせてもらうことになりました。みなさんの移住定住の参考になればうれしいです!


さて今回は、「移住と仕事選び」について書いてみようかと思います。

私は移住と同時にフリーランスとして独立したのち、その2年後に尾道市の隣・福山市にある大学で働き始めました。現在も、大学職員とフリーランスの掛け持ちをしています。

2021年1月 尾道に移住、フリーランスとして働き始める
2023年4月 大学で働き始める
2024年8月現在 フリーランスと大学職員を掛け持ち

フリーランスも大学職員も、私にとっては「やってみたかった仕事」であり「チャレンジしてみたかったけれど東京では難しかった仕事」でした。特に大学職員に関しては、実は東京でも何度か受けたことがあって、ことごとくご縁がなかった仕事だったんです。

フリーランスの仕事に大学職員の仕事をプラスする。

移住するときにはこんな働き方を想像していたわけではありませんでしたが、結果的にしっくりくるキャリアステップとなりました。また当初は「せっかく尾道に移住したのに、福山で働くこと」への自問自答もありましたが、両地域を行き来することでオンオフのバランスが取れるようになったようにも感じています。

本当は、移住と同時に転職しようと思っていた

しかしですね、今でこそそんなふうに思えていますが、移住のタイミングで行っていた転職活動では仕事のあてがなくてお先真っ暗状態でした。

これまでの経験を活かせそうな企業はわずか。土地鑑がないから車の免許がなくても通える場所にあるのかどうかわからない(免許は移住後に取りました)。そもそも住む家が決まっておらず、通勤のイメージができないから応募の判断すら難しい。

「こんなんで移住できるんか?」という不安が高まっていたある日、尾道市街地付近で夫の転職先が決定。めでたい!!

けれども、私の仕事はいよいよどうしよう…???うちは夫婦完全別財布で生活費もきっちり折半なので、私も仕事を決めないと早々に詰むことは目に見えています。でもなー、焦って決めても絶対にいいことないよなー。

結局私はすぐに転職をせず、移住してからじっくり仕事探しをすることにしました。当面の生活は、そのとき取り組んでいた副業ライターの仕事でまかなってみようと思ったのです。

フリーランスになろうと思えたのは、副業経験があったから

副業を始めたころ

移住直前の私は、会社員として働きながら副業をしていました。移住のためでも、フリーランスになりたいからでもなく、そのとき勤めていた企業への闘志からです。まぁ闘志の話は置いておいて…笑

会社名ではなく、個人名で請け負う仕事の充実感はこれまで味わったことがないもので、その難しさも楽しさも実感することができました。また信条と合わない案件からは自分の意志で距離を置くことができる。これはイチ会社員ではどだい無理な話です。

もっとこの仕事に集中してみたい、でも本業を辞めるのは怖い…とせめぎ合っていたとき、副業収入の目標金額を達成できるようになっていました。そして舞い降りた移住の話。(いや、舞い降りたっていうか私が移住したいと言い出したんですけど…)

おそらく以前の私だったら「フリーランス」なんて選択肢、思いもよらなかったでしょう。収入や安定面の不安はもちろん、スキルもありませんでしたから。フリーランスへの可能性が見えるようになったのは、移住前のこの副業のおかげです。

夫の就職が決まったから、とりあえず移住はできる。私の仕事は決まっていないけれど、とりあえず持っていける仕事はある。だったらもう一辺倒に転職にこだわらずに、フリーランスとしてやってみよう。そう舵を切ることができました。

地域のことを知る時間となったフリーランス期

会社勤めからフリーランスになって最も感動したのは、時間配分に自由がきくところでした。

会社員は通勤・仕事・退勤が1日の大半を占めるのでそれをベースとした時間配分になりますが、フリーランスはなんていうか、これまで可処分時間に行っていた物事も優先順位によっては時間価値が平等なんです。びっくり。画期的。

家に引きこもっている時間や、仕事する気が起きずにダラダラしていた時間が多かったので決して品行方正なフリーランスではありませんが、移住してからというもの、尾道のことをもっと知りたくて、町へも島へも頻繁に足を伸ばしていました。

気が向いたときは「ONOMICHI SHARE」でもよく仕事をしました。ここはシェアオフィス・コワーキングスペースで、会員にならなくてもドロップインできるのが便利でしたし、海に面した立地が最高に心地よくて大好きな仕事場所でした。行けば必ず誰かとおしゃべりできるのも、1人で仕事をする孤独や寂しさから救ってくれました。

ダメ元で受けた大学職員

フリーランスとしてなんとか生活を営むことができて少し自信がついた頃。その日は大学進学系の執筆仕事をしていて、ふと大学職員に憧れていた自分を思い出し、近隣大学に職員の募集がないか調べてみました。

そこで見つけたのが、今の大学の仕事です。募集の〆切がその日だったので慌ててエントリーし、必要書類を揃え、投函。書類通過の連絡をもらい、次の選考は小論文と面接でした。

やってみたかった仕事とはいえ、急展開すぎて準備不足でしたし、小論文なんて久しぶりすぎていつぶりなのか計算もできないし、有り体にいえばダメ元です。

それにフリーランスの仕事を辞めたくて受けるわけではなかったので、面接では「複業が難しいようなら入社(入学?)できません」とはっきり伝えたのを覚えています。今思えば強気過ぎる。でも選考の結果は「採用」。そして今があります。

※もはやライターの仕事を「業」とは思えないので、今では「業」という言葉を使っています。

尾道から福山へ車で通う日々

移住して3〜4か月で、車の免許を取りました。

箱庭的都市と呼ばれる尾道、車がなくても生活できることが魅力でしたが、車があると仕事の選択肢が増えることも事実。今では大学への通勤もフリーランスで行く取材もほとんど車が欠かせません。

福山はバラが有名

大学で働くことで日中尾道にいる時間は劇的に減りましたが、福山のことを知るのはとても楽しく、尾道に帰るとほっとする。最近は福山から帰ったその足(車)で向島を1周するのにハマっています。

福山で出会った学生が尾道でイベント出店してくれる、そんな場面に立ち会うこともできました。島は島、尾道は尾道、福山は福山、もいいのですが、もっと互いが溶け合えたらいいのになと思うようにもなりました。

大学は1年更新の嘱託職員(2年目)なので今後また仕事がどう変化していくのかわかりません。でも、それはそれで楽しみだったり。移住した先でできること、できないこと、やりたいこと、やりたくないことがわかるようになってきて、また次へと有機的につながっていけばいいなと思っています。

やりたいことは、ゆるく変化していくもの

まわりの友人をみてみても、移住したときと同じ仕事を継続している人もいれば、転職した人、ガラッと新しいことにチャレンジしている人もいて、多種多様でおもしろいです。かくいう夫も尾道で何度か転職していますし。

思っていた暮らしと違った、入った会社が合わなかった、いろいろとギャップはあるかもしれません。でもそれはきっと移住してもしなくても同じこと。

AがBに変化することもあるし、AにBやCを足していくこともできる。そこからBを引いて、Dを足すこともできる。そうやって興味や関心を掛け合わせていく働き方、いかがですか。

移住して出会った人、モノ、コト。それにつられて起こる自分の中の小さな変化。それらを受け止め、変わりゆく環境に対応していくことが、移住先で暮らしていくコツなのかななんて最近考えています。

(執筆・編集:アンドウ)

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