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読書記録再読

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昔書いた読書記録のブログを肴に、なるべくどうでもよいようでどうでもよくなさそうなことを、どうでもいい感じで書いていこうと思います。
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2019年2月の記事一覧

正直さがつくりだす開放感

さて、この言葉の先に何があるのか。
単なる批評や言葉遊びでしかないのか。

それとも、捉われない自由さ、『正直さがつくりだす開放感』を手にすることができるのだろうか。
それは、どれだけ正直さに到達できるかにかかっている。

この本も今読めば全然読めてなかったと思うに違いないけど、この部分はたぶん間違ってないと思う。

何に対する正直さかと言えば、自分の感じたことに対する正直さなんじゃないだろうか。

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尖った価値観が共感のフックとなるけれど

自分でこれと感じたことを突き詰めた先に何かが拓ける。
実際ここに収録されている人もそうやって必要とされるポジションを築いてきたのだ。

ポジションという意味ではたぶんその通りだと思う。

多様な価値観が認められるようになった、というよりは、何かしら尖った部分のある価値観が共感のフックとなるようになってきた、逆に言うとそういうフックがないと共感の和を拡げることが難しくなってきているんじゃないだろうか

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自分と現われる秩序との距離

内井において装飾とは『人間性と自然界の秩序の表現』『宇宙の秩序感を得ること』であるようだ

秩序としての装飾。

装飾としての装飾(または虚飾)と何が違うか。

それは多分、自分とそこで現われる秩序との距離だと思う。それとの距離が大きければ大きいほど装飾でありながら装飾的ではなくなる。

自分との距離の小さな装飾は各々が自分の趣味で設ければよいと思う。

それは各々に任せて、建築は・・・・と、建築

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コミュニケーションのベクトルをずらすような何か

システムを一般の人とのコミュニケーションギャップを埋めるツールとすること。
それは、建築を今後成立させるためには必要なことかもしれない。

コミュニケーションギャップを埋めるためにシステムから考える。

これ、家族についても考えられるかもしれない。

異なる人間同士が直接向き合うのではなく、システムそのもの、もしくは何かを介して向き合うことができるような仕組みを考える。家族なんて近すぎるゆえのコミ

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規範によって自由にふるまうための隙間を開く

ところで「規範」とはなんだろうか。
なかなか扱いづらいものである。
社会をうまく運営しやすくするために必要とされたものが、同時に人びとを拘束することにもなる。
また、「規範」をなくすことが、新たな「規範」となってしまう危険もある。

学ぶことはある種の規範をインストールすることでもあると思う。

いつどんな教育を受けて何を学んだかで、例えば建築に対する規範意識が違ったりするし、わりと無意識に縛られ

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「個」や「自由」の輪郭

しかし、世代間で建築や社会の感じ方やスタンスに違いがあるものの、全体としてはぼんやりとした方向があるように感じた。
それは例えば「個」や「自由」という言葉に含まれるイメージのようなものである。

「個」や「自由」。簡単そうで捕まえにくい。(もう捕まえようとしたり憧れたりするような歳ではないけれども。)

それは確固としたものというよりは、輪郭のようなものだろう。

輪郭をどう描いていくか。

若い

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小さな物語が小さな物語のままでいること

大きな物語を扱えるというのは幻想ではないか、逆に小さな物語を育てることで大きな物語に侵入していくという方法論もある、と言う立場もあろう。
大きなリスクを背負いつつも、今のネット上での小さな情報の伝播の速さ大きさを考えると、無視できない。

小さな物語の中の大きな、または大勢の問題児・反乱児が大きな物語を動かすかもしれない。(それすらも大きな物語(例えば資本)に吸収される可能性は大いにあるが)

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回転数が奥行きにつながる

オーソドックスな方法でも、練りに練ることで、これほど奥行きがあって楽しい発見に溢れるものを作れるのだ。

設計にかけた時間、案を練った回転数がそのまま建築の奥行きにつながる、というのがこれまでに得られた確信の一つ。

漫才も多分そうだし、自分たちが普段話す一言一言も多分そう。

なんでか分からないけど、長男は本を読むのがめっちゃ早い。
嫁さんはどうせちゃんと読んでないんだろう、と疑っている。(いつ

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頼み任せるけれども、手放さず想像力は働かせ続ける

これはよく分かる。前にで書いたように昔は自分で考えることを第一にしていた。
ただ、僕はしばらくは読書でいろいろなものに触れる期間にすると決めた。しばらくは読書を優先しよう。

昔から読書の位置づけに悩んでたんだなー。
でも、この話はもういいな。

僕も出来るなら何でも自分でやりたいと思うほうだ。(髪の毛も7年間ほどほとんど自分で切ってたりする。出来・不出来は別にして。)
それは、きっと何かを手放し

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何かに負けることによって、別の何かに対する愛情を持続させる

名前は問題ではない。必要なのは物質に対する愛情の持続である。

著者の物質に対する愛情がどういうものか、今はこの時より分かる気がする。

かたちではなく物質への愛情、そのための負けるということ・・・みたいな建築的な話はここではなるべく避ける。
なるべく。

何かに負けることによって、別の何かに対する愛情を持続させるということっていろいろなことで考えられそう。

例えば自分なら何に負けないようにして

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新しい自分へと漕ぎ出すにはどっちに行けば良いんだろう

その反動か、今じゃ知らないことが恐くて本ばかり読んでいる。
しかし、子供のころのような野性味も恋しくなってきた。
知らないことも恐いのだが、「優等生」といわれるのはもっと恐い。その恐さは僕の中でのある種のコンプレックスとなっている。

いや、本当に子どもの頃は本を読まなかった。なぜか、読んでたまるか、と思っていた。

読書記録は200冊を超えたけれども、積読というか、消化したい本は溜まっていく一方

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