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嘱望の馬鹿

昨日いくつかのニュースが上がったけれど。
厚生労働省が平成30年度の自殺についての統計を発表した。
リンク先の一番下に平成30年度の統計PDFへのリンクがある。
それぞれの年代別の理由などもある。

時々この統計を出すと、自殺と認定されていない変死がこのデータ以外に数万件あると言いだす人がいるけれど、それは実はとても良い事なんだぜって自分は思っていたりする。変死とは原因のわからない死のことで、警察が事件の可能性も含めて調べなければいけない。なんでもかんでも自殺で処理するよりも変死と認定して調べないと家族にとってはやりきれないことになる。はっきりとこれは自殺であると警察が認定したものだけの数字で充分だと思っている。

こういうデータが出ると、例えば若年層はいじめが原因が多いとか、高齢層は病気を苦にしているケースが目立つとか、そんな言葉が出てくる。もちろん統計なのだからそれは当たり前だしそのためのデータなのだけれどなんというか、自分は寒々しいというか悲しくなってしまう。
自らの命を絶つという場においてはカテゴライズなど出来ないほど、一人一人の理由が違うし、パターン化して良いのだろうか?と罪悪感を自分に感じてしまう。

ただ外的な原因というよりも。もっと精神的な原因については考えるべきなのだと思う。
例えば、自己否定から始まって自殺願望が生まれるケース。毎日、自殺を考える状況は既に精神的にもカウンセリングなり治療などを本来は受けるべきケースなはずなのだけれど、この病院に行かないという人が多いと聞く。
病院に行けば自分が精神的に病んでいると認めることになってしまうと及び腰になったり、精神に作用する薬を口にしたくないという人もいる。
誰もが気軽に風邪のように病院に行けるような雰囲気が必要なんだろうなぁって思う。

或いは衝動的なケース。
別になんの苦もなく、死んじゃおうかな?とふと湧いてきたというケースもあるのだという。その正体って何なのだろう?と自分は考えたりする。
判断力が著しく落ちているのか、それともどこかに逃げ出したいという願望があってそれが表出してしまうのか、いずれにしても、それを止めることが出来るのはどういったことだろう?と思う。

日本は豊かだ。飽食の時代だ。
毎日毎日、食材が捨てられているような国だ。
豊かだからこそ見えにくくなっているものが多いのかもしれない。
映画「セブンガールズ」は終戦直後に生きた娼婦たちの物語だけれど、皆が生きることに必死で、死にたいような悲しいことがあってもそれでも生き抜く姿を描いている。
そういう時代に、隣にいる誰かが助けてくれる。人と人とが繋がっていく。
そういう物語の映画を製作して、なお、豊かな時代の自殺について悩んでしまう。

そりゃあ、甘いんだよ!ぬるいんだよ!と言えば簡単だけど。
そんなに簡単なことじゃない。
夢を見ることのできない世の中だからだ!なんていう簡単な論理に落とし込むのも問題外なんじゃないだろうか。
もちろん政治や経済の問題もないとは言わないけれど、もっとずっと社会問題に近いものだと自分は思っている。

登戸の悲しい事件が起きた時。
お笑い芸人の太田光さんが、自分が死を考えていた時にピカソの絵をみて生きようと思った話をした。
あの事件は殺人事件だし、犯人が自殺するという行動で終わっているとしても、自殺と自分は思いたくないのだけれど、言いたいことはとっても分かった。
きっと、お笑いも演劇も音楽も映画も絵画も写真も全てがそのためにある。

ただ一点。
佐世保で女の子が起こした事件以降、自分の中でまずいと冷や冷やしてることがある。
命そのものを、軽く見始めているんじゃないか?という疑問だ。
自分の命を含めてだ。
別に「命の大事さ」を授業でやれよ!とか安易なことを言っているのではない。
なんというか「生きている」という実感を含めた、命そのものが見えづらくなってる。
それだけはなんとか出来るんじゃないかなぁと自分は思っている。
なんというか、生きることにシラケてしまうというか、命の存在にシラケてしまうようなことが起きているのだとすれば。

シンプルにさ。
自分が自殺なんかしたら、親が泣くぜって思うんだよ。
たったそれだけで、自分はそこに行かない。
ああ、でもそういうことでもないのかもなぁ。

なんか、もっともっとバカなことな気がしている。
こんなことを書くと怒られちゃうけれど。
こいつバカだなぁって笑っちゃうだけで、どこか生きるってことを感じる。
なんとなくそういうことの先に答えがあるんじゃないだろうか?
本当は誰だって馬鹿になりたいんじゃないだろうか?

自分は芝居馬鹿なんだと思う。
けれど、芝居馬鹿であることはバカにされることも含めて。
なんというか、堂々と生きる術の一つなんじゃないだろうか?

苦しい事ばかりだけれど、だから羨ましがられることがあるんじゃないだろうか?

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