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Short Story Collections

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記事一覧

河童かもしんない

「マスター、やってますか」
 午後11時を回った頃のことだ。寿司屋に男が入って来た。やけに声が大きい男だった。この時間帯だ。酔っ払いかもしれない。せっかく一人で飲んでたのに。正直、嫌な客が来たなと思った。深い時間までやっていて、尚且つ、高確率で一人になれる、そういうのが好きでこの店に来ているのに。
「へい。どうぞ。お掛けになって下さいまし」
 顔見知りというわけじゃなさそうだな。大将の顔を見て思っ

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父とファミコン

父は薬局で働いていたが薬剤師ではなかった。今となってはそれがどういうポジションだったのかわからないが、とにかくそういう人だった。僕は彼が三十一のときの子供で、第一子だった。母は二十一で十歳差の結婚の末、僕が産まれた。父は長男だから、第一子で男子を産んだ母は心底ほっとしたという。父の実家は東京だが、そこそこそういう昔気質な雰囲気がある家で、とにかく母は男の子が欲しかったらしい。
 それから母は僕の

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やっぱりあなたを刺せない

 翔太は私の婚約者で、半年後に籍を入れる予定だった。

――結婚したら、もう少し広い部屋に移ろう。

 事件が起きたのは、そう話していた小さなアパートでだった。翔太とはこの部屋で同棲をはじめてからもう随分たつ。玄関を入ってすぐ右手に電子レンジを上に乗せた冷蔵庫があって、二口のコンロとシンク。左手にはトイレと浴室。三畳のキッチンの奥には居間兼寝室があって、引き戸が開いていた。
「ただいま」
 だから

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傾斜率(90°-23.4°)

 深夜に実家にいる弟の芳樹から電話があって、「母さんが大変だ。助けて欲しい」と言われた。「顔が曲がって大変なんだ」
 電話の向こうの芳樹は焦っているようだった。大学生だが専門は医学じゃない。こういうときどうすべきかわからないのは理解できるが、俺だって同じく医学については何も知らない。とりあえず「すぐ行く」と言って電話を切ると、上着を羽織ってアパートを出た。何かを出来るあてはないけど、そうする以外

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罅割れ

 住んでいる家の壁に罅が入った。去年の大きな地震の後、すぐにその存在には気づいていたが、直してすぐまた余震で罅割れるといけない、と主人が言うので、今年に入って落ち着くまでじっと待っていた。
「そろそろ頼むか」
 梅雨に入った週末だった。雨音がリビングの外からしとしとと聞こえてくる。昼過ぎだと言うのに、この雨のせいでまだ小さな子供をどこに連れて行ってやることも出来ない。リビングで四つん這いになって

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まだプレビューできず

 リコーのGRというデジタルカメラを買ったのが今から四年前だった。フォトレタッチの仕事をしている当時付き合っていた彼氏に勧めれて、言われるがまま買ったのがそれだった。
「黒がすごく良く出るんだ」
 毎日、広告写真の加工ばかりをしているからか、そういうことに詳しい男だった。当時はそんな専門的なことを熱く語る彼が好きだったが、今思い出すと何だか子供っぽい感じがする。「本当にお勧め!」
 あなたがそんな

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毒を以て毒を制す

 妻に会員カードを見つかったのが一か月前。もう行かない、と約束をしたが、再び来てしまう。
 しょうがない。病気だ、と自分を笑った。
 錦糸町。ウィンズの斜向い。雑居ビルの三階にはむきだしの階段でしか上がれない。夏の日差しがきつい。
「いらっしゃいませ」
 扉を開けると男性店員。「あ、上野さん」
 偽名は使ってない。
「すいません。ご無沙汰で。実は会員カードを失くしてしまって」
「あ、そうなんですか

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人は見かけによらぬもの

 高校を出てからだから十、いや十一年振りか。久しぶりに地元へ戻ってきた。もう誰も私のことなんてわからないだろう。期待はしてないし、学生時代の友人に連絡を取る勇気もなかった。結局、私が拒んでいるのだ。
 午後六時過ぎ。実家にいるのが辛くて、外に出た。どこか食事出来る良い店はないか、と駅前を歩く。ポーキーというバルがあった。新しい店だった。まだ客も多くないだろう、と入った。
 赤ワインとポテトサラダ。

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午前0時49分発

 総武線。黄色い電車の終電。火曜日だった。千葉方面へ進む車両。反対側の窓にぼんやりと私の顔が映っている。笑えない顔をしてた。
 珍しく乗客は私と隣に座る女二人だけ。友達でも同僚でもない。隣に座っているスーツの女は俯いている。たぶん酔っ払いだ。他の席も空いてるのにわざわざ私の隣に座った。とにかく座りたかったんだろう。火曜日から運がない。面倒くさがって動かない私も悪い、か。
 駅のホームが動き出す。浅

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急ぐ理由はないはずなのに

 IT系のコンサルティングファームに就職したのが22歳のときだった。何人かの経営者と会っていくうちに、自分でも出来るんじゃないか、とシステム会社を立ち上げた。仲の良い、大学からの友人と起業した。俺は技術者ではなく、そっち方面はもっぱら友人の担当だった。だから俺の主な仕事は、資本を提供することと、営業で仕事を取ってくること、この二つだった。
 26のときに会社を立ち上げ、それから寝る間を惜しんで働い

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