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明け方の、君へ

 私の好きな楽曲のひとつが、CHAGE&ASKAの「明け方の君」です。

 初めて聴いたのは中学2年生の頃。友人の小川くんに借りたCDです。後にそのアルバムタイトルが「TREE」であったと認識します。

 ご自慢のミニコンポでテープにダビングして毎日聴いていました。その中で、最もハートを掴まれたのが明け方の君です。

 歌い出しの「慌てて履いた靴で 朝の駅に向かう」のところが、毎朝遅刻ギリギリ、もしくはややアウトで家を出る私にとてもしっくりきました。

 歌の歌詞に自分の行動を重ねるという最初の体験がこの楽曲でした。

 余談ですが、私は「楽曲」という表現を多用します。これは高校時代に読んだASKAさんの本かインタビュー記事で「SAY YESだけがずば抜けて優れた楽曲だと思っていない」的な事を書かれていたためです。

 歌とか曲じゃなく「楽曲」っていうのかっこいいですから。

 水道橋博士がよく「古来、芸とは歌舞音曲」という表現をされるのですが、この歌舞音曲という表現にも同種のかっこよさを感じます。

 閑話休題。遅刻ギリギリのルーズな中学生でしたが、三年生になり急に早朝登校するようになります。当然、心を入れ替えた訳ではありません。

 当時ファイナルファンタジー4というゲームソフトが発売されまして、これがまた名作なのです。ゲームクリアしてもやり込み要素が多分にありまして、ずっとやってられます。また、同時期にウイニングポストという競馬のゲームも発売されました。こちらにもゴリゴリにハマります。

 しかし、当時中学生の私は無制限にゲームをする事はできません。1時間以内などとは親から言われませんでしたが、夜遅くまでゲームをしているのは気が引けます。

 そこで私は考えました。「早起きして、朝ゲームをやればいいんだ!!」この辺りの発想が、偏差値2億の2億たる所以でしょう。

 最初は6時に起きて1時間半、8:10の登校時刻に間に合うギリギリまでゲームをしていました。しかし、やはり物足りず、徐々に起床時間が早まります。

 結果的に2時起きになりました。

 5時間以上ぶっ通しでゲームができる日々に、私は酔いに酔っておりました。これを書いて思いましたが、今の水道橋博士と同じ生活リズムです。夜は10時には寝て、気合いで早起きする日々。充実した日々です。

 いつもは登校時刻ギリギリまでゲームをしていたのですが、ある日学校で「朝の勉強会」という話題を耳にします。本来はそのようなものに一切関心が無く、聞いても絶対に参加などしない私ですが、その話をしていたのがその頃好きだったなみちゃんだったのでがっつり聞き耳を立てていました。

 今でもそうですが、はずかしがりで見栄っ張りな私は片想いの日々でした。だって、フラれたら悲しいから。なかなか話をする接点が持てずにいたのですが、ここで起死回生の一打です。

 翌日。私は7時に教室にいました。別にゲームの終了時刻を1時間早めるだけ。4時間半もゲームした後ですから、なんら負担はありません。余裕綽々でなみちゃんを待ち受けます。

 友達数人と教室に入ってくるなみちゃん。私を見ると「あれー、小野くん早いじゃん」と声をかけてきました。

 目的に対して適切なプランを立ててすぐに実行した結果を出す。偏差値2億は伊達ではないのです。

 それから受験が始まるまでの3ヶ月くらい、毎朝6時台に通学する日々が続きました。そこで、ずっと心に流れていたのが明け方の君なのです。

 途中のコンビニの窓で髪を直しながら、同じ朝を繰り返していました。

 まあ、結局お調子者なだけで勇気も男気も無い私は何も進展させる事ができずに卒業を迎えました。それでも、毎朝なみちゃんと少しではありますが話をして笑い合った日々は幸せでした。

 高校2年生の頃です。中学の同級生が集まってディズニーランドに遊びに行く事になりました。15人か20人か。割と大人数だったように思います。当然そこになみちゃんも来ています。

 しかし、時間とは残酷なものです。私は同じ弓道部だったゆいちゃんに夢中だったのです。しかもゆいちゃんはCHAGE&ASKAの大ファン。ずっと音楽の話で盛り上がってました。とはいえ、安定の意気地無しの私は何も想いを伝えられない日々。

 私は決心しました。なみちゃんに告げよう。あなたを好きだった事を。あなたと過ごした朝の1時間がどれだけ楽しかったのかを。今からどうこうなりたい訳じゃないけど、それを伝えられたら僕は前に進む事ができる。

 ディズニーランドも夕暮れどきで、あたりがぐんと暗くなってきていました。みんなも遊び疲れて休んだり、元気にアトラクションに並んだりと徐々に別行動になりつつあります。

 私はトイレに行った友達を待ち1人になったなみちゃんに、意を決して話しかけました。もう、言うしかない。言わなければ僕の人生は終わる。何も伝えられないまま終わるんだ。言え。言うんだ。

 「あのさ、俺さ、中学生の頃、ずっと好きだったんだよね」

  声を絞り出して伝えました。きっと照れ過ぎて気持ち悪い顔だったかもしれません。

 中学生の頃より少し大人びた顔のなみちゃんは、あの頃から変わらない笑顔で答えました。

 「へぇ、そうだったんだー!!全然知らなかった!!小野くんとあんまり話した事なかったからさー!!」

 私はなみちゃんからとても大切なことを教えてもらいました。

 「伝えなければ伝わらない」

 当たり前ですが、とても大切なことです。とてもとても大切なことです。私は笑顔でなみちゃんに伝えました。

 「だよねー!!あんまり話したことなかったから、しかたないよねー!!」

 その後の事はよく覚えていません。少なくとも、それからあまり時間を経ずにゆいちゃんと付き合う事になりました。ゆいちゃんは私が1番長く付き合った相手です。

 今気がつきましたが、今の妻と知り合ってから現在までの期間が、ゆいちゃんと出会って付き合ってお別れするまでの期間をやっと超えたところでした。

 さてさて、おじさんの初恋の話など気持ち悪いでしょうけど、ここまでお読みいただいた皆様には感謝しかございませんです。

 とりあえず、私がこれまでお付き合いして大変なご迷惑をおかけした全ての方々にこの言葉を贈らせて下さい。

 「その節は、ご無礼な発言で傷つけてしまい申し訳ございませんでした。残念ながら41歳の今も素直になれません。でも、これだけは信じていただきたいです。君が思うよりも、僕は君が好きでした。」

 では、夜更かししすぎた徹夜のテンションだけで書いたこの恥ずかしい文章を、目覚めた後に消したくなるだろう事を含めて、受け入れたいと思い筆を置きます。

わかってるよ
これは全て僕に言ってること
これはすべて僕に言い聞かせてること

(引用 ASKA 詩「明け方の君」より)

皆さまの支えがあってのわたくしでございます。ぜひとも積極果敢なサポートをよろしくお願いします。