見出し画像

沢田研二さんから与えられ湧きだすもの

昨日の23時半頃、
お風呂で色々考えていたらつらくなり、
越路吹雪さんバージョンの「サン・トワ・マミー」を口ずさんだら、恋もしてもいないのに涙が出ました。


元気がない時は沢田研二さんのDVDを観ます。
おいしい食べ物やご褒美のケーキなどは、食べると一瞬嬉しくなりますが、その嬉しさは胸の中までは浸透することがなく、体のうっすら表層に沁み、あっという間に中心の冷たさに返され消えてゆきます。
沢田さんのDVDは観たい時に観れますし、見る度に 0になった心の中心から、気力と勇気と感謝と愛が湧き出て来ます。
沢田さんを観ると、私の胸の内からチカラが湧き出してくるのです。


「君をのせて」


という曲が特に好きで、お風呂を出てからどうしても歌っている姿とその歌を聴きたくなって、テレビ局が出しているDVDから探しました。

フジテレビさん…MUSIC FAIRの映像を
DVDで販売していただけませんか…

時代や流行や役回り立場求められるもの、色々な事があると思います。流行歌ともいえる沢山の人に愛される人気な曲が多く入っているなかで、
NHKのDVD「songs」内で歌われている映像が唯一あったので、5枚組のCDの4枚目をとって、再生をしました。

「ティン…」

と、
優しい音がぽつりと落ちて夜の静かな海に広がっていくようなはじまり

おだやかで、少し寂しくて
でもやさしくて、その優しさが心づよくて、支えてくれるようなこの曲が、そしてそう伝えてくださる沢田さんの歌声、沢田さんだけの歌声にのって伝わってくる表現がとても大切で大好きな曲です。
何回も何回も再生して、聴くたび涙が出てしまいました。

ピンクのブラウスに赤いズボンのお衣装

私は沢田さんのファンですが、かっこいいからファンになったわけでもなければ、初めてしっかり意識したのが、
令和になり私が新卒で社会の難しさや苦しさの真っ只中で現実から逃げるために見漁っていた映画の趣味の中でDVDのパッケージのサイケデリックさに惹かれて借りた

『太陽を盗んだ男』(1979年10月公開)


を見たときからでした。
「勝手にしやがれ」などを歌われている漠然とした自信ありげな姿のイメージから(ファンになった今「勝手にしやがれ」は女々しさある男のつよがりと思えますが)、映画を見た時に「あれ?こんな姿が…?」と、話の面白さと同時にあれよあれよとイメージが覆され、
その後も「簡単に好きになるものか!」と抵抗しながらも調べたり本を読んだりドリフの特番で見たりしていたら、
「ファンじゃ無いって言えないよね もう」
という状態になっていました。
俳優もタレントも歌手も、固定のミュージシャンに固執したり好きになったことがなかった人生で初めて有名人にひかれました。


『太陽を盗んだ男』は大好きな映画なので、
別途noteを書くと思います。ファンアートもなんだか沢山描いています。
DVDはもちろんiTunesで配信版も買っています。パンフレットも持っています。

あ!『土を喰らう十二ヵ月』見ました!?
部屋に置かれた本のラインナップやアトムの鼻歌、上映中にニッコリしてしまいました。
『ヒルコ 妖怪ハンター』も良いですよね、ダンボールキンチョール!(話が尽きない… noteに飽きない限り沢田さんの話も何度も書きそう)



私がはじめて参加した沢田研二さんのLIVEは、2021年ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」で、セットリストを知らないで3曲目に「君をのせて」を沢田さんが歌い始めた時に、感じたことのないような言葉にならない嬉しさと素敵さ興奮で、とても好きなのに逆に記憶が薄くなってしまうくらい感動しました。

ミュージシャンのLIVEに参加したこともなければ、とても遠い座席で視力も悪い私は開演前、
「(沢田さんはどんな感じなのだろう、距離的に米つぶくらいで声だけ聴こえるのだろうか…)」
など少しの不安とドキドキしていたのですが、
始まって沢田さんが出てきた瞬間、沢田研二さんが出てきたのだと、遠目で米粒のように小さく見える距離の筈なのに沢田さんがいることが瞬間でわかって、ザ・タイガースやPYGの頃は勿論お若い頃から現在までの姿を私は映像でしか見たことがないのに、すべてが今の沢田さんと重なって、この人はずっと変わらないんだ ずっと沢田さんなんだと、その姿をみて納得させられるように強く感じたのを覚えています。

この人の人生のすべてを知っているわけでは無いわけですから、「ずっと」というのも歌で活躍される姿を我々一般人が拝見できるようになってからのことではありますが、10代の頃から生涯現役を貫き続けている今現在もずっと繋がっていて、それは表面傷付くことがあったり役目、役割、方針、情勢色々な事で掻き回されることがあっても強く太すぎず細すぎない柔軟で頑固で愛のある芯が真っ直ぐに突き通っているように思えるから、その強さから、「私に内からのチカラを湧き出させるんだ」と思いました。

貫くことは全く当たり前のことではないと私は思っています。
私は今、「過去の楽しそうな私」とすれ違っていて、今の私がそこから繋がっているとは到底思えない所にいます。

「何かを表現した一人の人間が、不特定多数の我々に強い気持ちや勇気を与える」
すごいチカラだと思います。
とてつもなくすごいことだと思いますが、"不特定多数"の"ひとりひとりのファン"の愛の気持ちや感謝を、逆に一人の表現者が抱えきるのは重くないのかな 大変だろうなと思います。でもそんなこと思われたくないかもしれないですね。
素晴らしくてありがたくて、でもふつうの人間であってほしくて、極力傷つくことなく、悪意の無い無邪気な暴言にあたらず、大切にできるものごとを思いやりあいながら、幸せであってほしいと思いながらこの文章を書き綴っていると、深夜3時過ぎになっていました。
(願いで締めつけたいわけでもないんです… 大切に思う気持ちって 難しいですね。終始勝手に思っていればいい話…笑)



6月25日お誕生日のさいたまスーパーアリーナのLIVE!参加します!!
たのしみです!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?