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創作の魔力〜辻村美月『スロウハイツの神様』感想書評〜

創作というものは魔術じみた魅力がある。
小説でも絵画でも脚本でも映画でもそうだが、人は自分の感じた世界の表現が赤の他人の心を動かした時に、言いようのない感動を覚えることがある。それは時として作り手・受け手共に人生を救うような体験となる。
私の心酔するブロガー「ロースおじさん」の言葉を借りれば、その感動の根幹は「他人とわかりあえるのは奇跡的」という原理に基づいている。人は成長する課程において他者が自分と異なる固体であることを知り、自分の知覚感覚が普遍では無いことを知る。それは世界=自分であった幼少期と比して絶望的な体験であることは間違い無く、だからこそ思春期青年期以降のその感動体験が甘美なことは言うまでもない。(このあたりはエリクソンあたりが詳しい)
創作への欲求は、多かれ少なかれ他者との世界の共有を志すことにあると思う。その時点で、それは他者への期待を孕み、ひいては人間愛に繋がるというのが私の主張だ。赤の他人を感動させて飯を食おうというのだから、人間への愛情が無いと成り立たないだろう。
辻村美月という作家は、とりわけ人間愛を描く作家だと感じている。
『凍りのクジラ』『ぼくのメジャースプーン』しか読んだことはなかったが、「クズ男を描くのが上手い」という印象だった。しかし、クズを描けるというのは才能だ。人間の弱さ、執着、愛憎に精通していないと描けない。だからこそ,それを描ける作家は人一倍人間に関心と興味があるのだと思い至った。(教育学部卒というのもバックボーンにあるのだろう)
『スロウハイツの神様』はクリエイターやその志望者が集う共同住宅の中で起きるドラマを描いているが、人間模様というよりも「創作とは」というテーマについての素直で真っ直ぐな思いの丈だと感じた。それは先述したとおり人間愛に収束する。それぞれの作品への想いも源泉もバラバラだが、その根底に「人間愛」があるのかと思うと全ての登場人物が愛おしい。認められたい、見返したい、恩返しをしたい、読んでくれて嬉しい、実力不足で悔しいといった人間的な感情で動く登場人物たちには体温があり、頁をめくる手に熱がこもる。
登場人物の中でも、個人的にエンヤと環の関係性が好きだ。「親友でいたかった」環と、クリエイターとして肩を並べたかったエンヤのすれ違いは胸がしめつけられるほど切実だ。実は鼓動の正体はエンヤだと思っていた。朝井リョウ『何者』でも、作中で主人公と仲違いした登場人物が続編『何様』で演劇人として大成していた展開があったように、神のように万能に見える環の盲点を突くような存在になるのだと勘繰っていた。ところが実際は、エンヤは就職して家庭を持ち、こっそり漫画を描きつつも現実的な生活を生きていた。予想外だったが、それが良かった。辻村美月は、成功せずともひっそりとでも創作を続けていくエンヤがいることを描いてくれた。クリエイターとして大成することではなく、創作に携わっていることこその尊さや魅力を語ってくれた気がした。
現代において、クリエイターが憧れの的となって久しいが、その憧れは社会的な成功が前提とされている。今作の登場人物は軒並みその意味で成功を収めている分フィクション感が強い。読む人によってはご都合的と言われかねないが、今作のテーマはクリエイターの競争と挫折ではなく、もっと根源の「創作」にまつわる人間の感情だ。人が筆をとり、何かを作り、それが誰かに届く。今となってはスマホ一つで誰でも出来てしまう行為だからこそ、その結果ばかりに目がいってしまうが、本来その行為が持つ純粋な「人間愛」を感じることが出来た『スロウハイツの神様』は、まさに神のような慈しみ溢れる作品だった。
何か創作がしたいなあ、と自分も思い出すことが出来た。

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