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短編オブ短編〜伊坂幸太郎『逆ソクラテス』感想書評〜

知り合いが「面白いよ」と言っていたので読んでみた。

上質な短編とはこのこと〜〜!
伊坂幸太郎は昔好きでよく読んでいたが、最近はあまり読んでいなかった。久しぶりに読むと文体が懐かしい。登場人物がよく動き、よく喋り、物語が機関車のように駆動していく。朝井リョウや辻村美月、宇佐見りんなど、内心の描写が多めな作家を読んだ後だと違いをよく感じる。各駅停車から快速に乗り換えたようだ。

ストーリーがよくまとまっており、登場人物たちがハッキリ際立っている。逆に言えば、先述の作家たちと比べると登場人物のリアリティが薄く、創作されたキャラクターである感じがする。キャラクターといってもアニメや漫画っぽいということではなく、役割がハッキリしているという感じだ。そしてその特徴は児童文学的でもあると思った。この作品が児童文学であるという訳ではないが、小中学生にぜひ読んで欲しいと思った。
小説を読む時、言葉にできていなかった自分の心情が言葉にされているのを見てハッとすることがある。その経験は小説を読む目的にもなるものだが、小説を読むのはそれだけが目的ではない。心の動きを長く深く細かく描写する小説もあり、そういった需要に特化しているが、伊坂幸太郎はそうではない。役割を担った登場人物が、舞台の上で互いに影響し合い、関係性や思想が変わっていくダイナミズムを魅せる演劇的な小説だ。
心情描写を見せる小説は、特定の心の動きを捕まえ、観察して写実的に描く。顕微鏡的なアプローチだ。一方で演劇的な小説は、登場人物相互の働きかけを描き、関係性の変化や言動の変化を見せる。近年は前者の作風が流行しているように思えるが、後者の魅力も忘れてはいけない。とはいえ、小説の特徴として前者を得意としていると思う。後者は演劇、映画、漫画も得意としているからだ。

個人的には『スロウではない』がお気に入り。運動会の徒競走を巡るクラス内のカースト騒動…と聞くと王道だが、ここに「転校してきたいじめっ子」というスパイスが効いている。子どもが大人の世界を覗き見る物語が好きなので、こういった設定はグッとくる。ゴッド・ファーザーの真似をする子どもたちの目の前に現れる「いじめ」の構造の問題。許す、許さないの問題。問題児の更生の問題。子どもたちの手に余る思想の問題に、大人たちなら体裁やセオリーなどでさっさと解決したがるが、子どもたちはまず「自分はどう思うか」で取り組む。恩師と共に振り返る構造も美しい。

なんとなくO・ヘンリーの作品を思い出した。短編では登場人物に感情移入する助走距離が短いため、心情描写の小説より、演劇的な小説の方が向いているように思った。

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