水うめ〜〜

１９時５２分。

「かわいいふくーー！」

160cmほどだろうか。肩まで伸びた黒くてサラサラな髪、顔の小ささに合わない大きな目の華奢な女性が、もの凄い勢いでヒールを床に打ちつけてこっちに来る。

「これかわいいね！」

とりあえず、口角を上げてみる。

「ここにおるなかで、いちばんブッッサイクな男つれてきて！！」

女性は、常識外れの声量と、子どものような言葉遣いで喋り出す。

一旦女性を試着室に入れ、フェイスカバーを渡す。

向かいの店で会計を終えた男性がやってきた。
旦那さんだろうか。関係はどうでもいいが、大阪によくいるおっちゃん、という感じの人だ。

こちらの方、女性より意識はしっかりしているが声量は常識の２倍。なんとも耳障りだ。

「お姉さん？これボタンとめられへんねんけど！不良品ちゃうん？」

試着室から出てきた彼女は、ワンピースを裏返しに着ていた。前後じゃない。表裏だ。

もしかすると、お洋服、、裏返しになっているかもしれません、、。

脱ぐ場合なら理解できるが、着る時に裏返ることある？という疑問を両手に抱え、慎重に物事を進める方向でいこうと決めた。

「ほんまやん！お姉さんしっかりしてよ！」

こっちのセリフだ。

もう一度言うが、こっちのセリフだ。

〜思ってもいないすみませんに適当な愛想笑いを添えて〜

男性がええやん！と発すると、女性はアンタの意見なんか聞いてないねんという顔で、

「かわいいから、かう！！」

いっちょあがり。

私もそんな風に、感覚に振り回されて買い物してみたい。

１９時５７分。支払いは男性の仕事らしい。

楽天ポイントのバーコード付きクレジットカードは、レジ操作が少しややこしい。

「まだなんお姉さん！あと、エテってここある？ロエベどこ？」

早よせえの類義語「まだなん」に加え、他のブランドの場所を聞かれている。さらに追い討ちをかけるように、閉館の音楽が高飛車に流れる。

２０時０2分。

レジ操作を終え、とりあえず３階をご案内。私は回答量に見合わないありがとうを受け取り、二人は慌ただしくエスカレーターを駆け下りて行った。

優雅な音楽。荒れ散らかった店内。

２０時０３分。

緊張が緩み、疲れ果て、やりきった時に出る渾身の「ふぅ」が漏れた。

向かいのお店の店員達は怖かったねーと、しばらく二人の話題で閉め作業に勤しんでいる中、私は不思議と母を思い出し、懐かしんでいた。

私は母が好きだ。
バイトを転々としながら一人で私を育て、ユーキャンで資格を取り、今では大きな会場ですごい発表を任されるまでに昇りつめている。

その反面、嫌いな部分もある。
第１位は酒癖の悪さ。

反面教師といえば聞こえはいいが、酒癖の悪さで招いた失態が離婚の原因だったことは、年長の時の私が今でも鮮明に記憶している。

離婚後、母の人生をより間近で見てきたが、母への尊敬の気持ちを踏み潰すように湧き出てくる、こうはなりたくないという気持ちと闘い続け、早10数年が経った。

私は今でもタバコを吸わないし、お酒を呑んで二日酔いになったことも、誰かと喧嘩をしたことも、記憶を飛ばしたことも、嘔吐したことも、年下の男に絡み散らかしたことも、家出したことも、帰り道が分からなくなったことも、リモコンや食器を投げたことも、包丁を持ちながら夜中に叫んだことも、誰かを泣かせたことも、ない。

比べてみれば、実に真面目な人生だ。

「勝ったからええやろ！」

そういえば、女性からは微かにお酒の匂いがした。

今日は恐らく、彼女達にとって最高の日なのだ。

酒が抜ければ現実に引き戻されるだろう。

そして明日、このワンピース何？と思うに違いない。

1日だけでいい。私もそんな迷惑をかけてみたい。

タバコを吸い、パチンコに行き、男集めて酒を呑み、終電を逃して、歩き慣れた道で迷子になりたい。

「そんなことしたら、単純に、わかるでしょ？」

軽々しく言うやつほどわかっていない。

母は人生をかけて私に教育してくれてるんか？と疑うくらい、実例を見せてくれた。

非日常的な客の相手は疲れる。

絶対しないといけない閉め作業以外は、全部置いてきた。

タバコくらい吸ってもさ〜とかなんとか思いながら、冷蔵庫の奥に隠れている350mlの缶ビールに手をかける。

明日早番や。

私は、<明日早番だけど次の日休み>という特別な早番を明日に控えている。
そういう早番を私は、<カッコ連休初日>だと思っている。
早く帰れるし一日耐えるだけで次の日休みだから。　

理解出来なくても結構。

ん"ん""〜〜

７秒悩んだ末、水を選んだ。

350mlのビールを呑んだとして、仮に二日酔い・早番寝坊のリスクがたった１%しかなかったとしても、水を選んでしまう。

水うめ〜。

明日はどんなお客さんに会えるのだろうか。

２３時５２分。ぐっすり就寝。