34:それから

※登場人物は全て仮名です。また一部詳細を変えています。

四年に一度の2月29日だし、折角だから何か書いておこう。

エミちゃんが亡くなって随分と経ってしまった。

一周忌を迎え、そして更に2ヶ月くらい経った。

一周忌の時こそ、自分を含めた極少数の人が、SNS上でその件に触れたが、あれからエミちゃんの名前を口にする人は誰もいなくなった。

メグミちゃんとも、ヨーコちゃんとも、ヒロとも、誰と会っても、何度会っても、エミちゃんの話題を出す人はいなかった。

そして、オレ自身の周りからも徐々にエミちゃんの名残は消えていった。

エミちゃんの携帯番号は解約され、誰にも使われていない。

エミちゃんが住んでいたマンションは別の人の手に渡ってしまった。

もうそこにエミちゃんが住んでいた名残はない。

エミちゃんがそこで命を絶った事は、不思議とネット上の事故物件データに出る事は無かった。

一般の人に発見され、警察に通報されたのに、誰でもネットに書き込めるこの時代に、一部の人々の関心を引くセンシティブな情報の筈なのに、それ専用のサイトがあるのに、ネット上には出てこなかった。

もし掲載されていて、それを発見してしまったら嫌な気持ちになるだろうが、それでもそこにエミちゃんがいた証…しかしそのサイトの過去1年分…当日から今日までのキャッシュを見ても、1度たりとも掲載された形跡は無かった。

オレが好きだった、エミちゃんを思い出す橋の上からの風景…

これも、橋とランドマークの間に建物が建築され、エミちゃんとの思い出が詰まった場所にあるランドマークの半分が見えなくなってしまった。

エミちゃんの親友だったヨシノさんも、SNSのポストを全て消してしまった。あの日のポストも含め、全部。

今はヨシノさんのSNSはガワこそ残ってはいるが、本人が活動している様子もなく、もぬけの殻である。

そしてある日、自分の不手際で、大切なエミちゃんとのLINEの履歴を全て消してしまった。

バックアップからの復元も叶わなかった。

しかし、復元が叶わないと知った瞬間、自分でも驚くほど抵抗なく、その事実を受け入れてしまった。

悲しいけれど、失ってしまったという事は、これからの自分の人生に必要ない物だという事なんだ…そんな考えが自分の脳裏に浮かんだ。

忘れまい、忘れまい…!
そう頑張っているつもりなのに、自分の周りから、自分の中から、どんどんエミちゃんの存在が消えて行ってる、そしてそれを自分が受け入れて行っている、そんな感覚。

頭では覚えていても、あの日の感情はどうしても再現出来ない。
涙も出てこない、気持ちが昂る事もない、全てが消えてしまったかの様に。

これが「時間が解決する」という事なのだろうか。
それにしたって、早過ぎやしないか?
こんなにも簡単に消えてしまうのか?

結局、未だ決定的な何かを見る事が出来ないという事が、悲しみを半減させているのだろうか。

お葬式にも出られなかった、位牌に手を合わせる事も出来なかった、お墓参りも出来なかった、オレの名前が書かれていたという遺書すら見せて貰えなかった、だから頭でわかっていても、どこかまだ信じられずにいるのだろうか。

遺書と言えば…

実際に遺書を見たという渉さんは、あの日"ご親族から見せて頂いた方から見せて頂いたので、自分の判断で内容をお伝えする事は出来ない"と言っていた。

"ご遺族の許可がないから"というのはもっともな事だから、オレは食い下がらずに手を引いた。

幾ら、遺書に名前が記されていたとは言え、仮にオレに宛てたメッセージが遺書の中にあったとしても、ご遺族の意向無しに教える事は出来ない、そういうものなのかも知れない。

そう考えていた。

しかし、エミちゃんの一周忌を迎えたあたりから、少しだけオレの頭の中の考え方が変わった。

"ご遺族の意向無しに勝手に伝える事は出来ない"というのはもちろんあるだろうが、実際は"知らない方がいい"という渉さんの気遣いなのかも知れない、と。

遺書にオレの名前が書かれていた…その事実を教えてくれたユミコさんだって、その事実をオレに"落ち着く頃まで"と、10ヶ月も伏せていてくれたのだ。

エミちゃんと深い付き合いがあった同士、同じ傷を心に負った同士、何となく気を使い合う部分はどうしてもある。

遺書についてすぐに引き下がったオレに、渉さんは"一言言わせて頂くなら、そこには感謝の類の言葉しか無かった"と付け加えた。

でも今考えると、そこまで教えてくれるなら、それ以上"遺族の意向"を理由に何を隠す意味があるというのだろう?

あるとすれば、その文面を知る事で、オレ自身がより深く傷がつく可能性がある、だから知らない方がいい、という意味に他ならないんじゃないだろうか。

その文章の意味は感謝だったとしても、その言葉の使い方如何では、より深い後悔に苛まれる可能性というのは無いとは言い切れない。

もし感謝を伝える意味で書かれていたとしても、もし書かれていたらきっと今以上に深い後悔をする、そういう言葉だってあるから。

遺書にオレの名前があった、と聞かされるより数ヶ月前、遺書があったらしい…程度しか情報が無かった頃に、オレは遺書とはどういうものだろう?と想像した事があった、と過去に何度も書いている。

遺書とはもっともっと、綺麗な物だと想像していた。

便箋か何かにしたためられた、感謝と謝罪、どちらかと言えば謝罪が先に来るであろう文章の中に、親しかった何人かの人や、両親に宛てられた個別のメッセージがある。

そんなものを想像していた。

エミちゃんは、前の年のクリスマスイブにオレに送ってきたLINEの文章で、オレに対して"ベストフレンド"とか"ファミリー"とか、そういう言葉を使っていた。

もちろん、そんなに深く重い意味はないだろうが、要はこれからも仲良くって意味だったんだろうと思う。

でも、そんな言葉を使ったエミちゃんだから、ひょっとしたら遺書の中に「私の親友」って感じに名前やメッセージ、あるかもなぁ…なんて想像したりもした。

こうやって軽く考える事で、少しでも悲惨な現実から目を反らそうとしていたのかも知れない。

そして、実際に遺書の中にオレの名前が本当に書かれていた。

その話を聞いた時、驚かなかった。ああ…やっぱり…程度にしか。

しかし、実際の遺書は綺麗ではなく、そしてよりリアルだった。

ホワイトボードへの殴り書き。そう聞いている。

書かれていた名前の数も想像よりも全然少なく、両親の名前も、贔屓に応援していた人の名前も、最近懇意にしていると噂されていた男性の名前も、またオレと面識がある人達の中にも沢山いた筈の"エミちゃんと仲が良い人"の名前もひとつも無く…。

書かれていたのは、亡くなった当日も本来なら仕事を一緒にする予定だった筈の隆さん、公私で付き合いがあっただろう渉さん。

そしてとても広い人脈があった筈の私的な関係の中では、オレだけが書かれていた。

ホワイトボードへの殴り書き…という時点で、書かれた文章量も大した量ではない事は容易に想像がつくし、ひょっとしたら本当に3人連名で一言、ありがとうと書かれていただけかも知れない。

でも、もしそれだけなら、"遺族の意向"を理由に隠せる物なんて何もない。

個別にメッセージがあったんだろう…、そして恐らくは、オレ宛てに書かれたエミちゃんの最後のメッセージは、オレには伝えられない、或いは伝えたくない文章だったのだろう…どうしても想像はそっちへ行ってしまう。

ひょっとしたらこうやって彼女が遺した意思が歪曲されていくのかも知れないが、やっぱり本音を言ってしまえば、いつかは知りたい。

例えそれで傷口が広がっても、更に深い後悔に苛まれても、こうやってずっとモヤモヤしていくよりは、一つの区切りとして。

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