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私がアンパンマンです。

保育園に入園する私は張り切っていた。
友達たくさんできるかな!ではなく、困っている子どもたちに声をかけて助ける!!
自分も子どもなのにどの立場なのか。
いや、なぜなら私はアンパンマンになりたいから、というよりアンパンマンだから私は。
そういうわけでめちゃくちゃに張り切っていたのである。

そして私は今、アンパンマンではなくアラフォーの子持ち主婦!

調べると、私が2歳ぐらいの頃(1988年)にアンパンマンのテレビ放送が始まったらしい。
物の好き嫌いが自分でも特に出てくるころタイムリーに始まったようだ。

実家は母親が専業主婦だったがいつも忙しそうにしていた。常に家に居ても一緒に人形遊びしたとか何かを一緒にして遊んでいる記憶はとくにない。
今の私もそうなのだけど、子どもと遊ぶということが苦手だったのかもしれない。
もう少し赤ちゃんの頃は母は家事や自分のことをしているとき、ベビーベッドの柵の中に私を入れて常にテレビを流していたらしい。
それから保育園に入園する前の幼児期もよくテレビを観ていた記憶がある。

アニメは魔法使いサリーちゃん、秘密のアッコちゃん、おぼっちゃまくんを観ていたなぁという記憶はあるけれど特に観ていたのはやはりアンパンマンだった。
まだHDDやDVDなどない時代、我が家にもビデオデッキが設置されており、ビデオに録画してアンパンマンを繰り返し再生していた。

アンパンマンといえば勧善懲悪なのである。
親世代やその上の世代は主にその流れの物語や時代劇を好んでいるため、安心安全のアンパンマンとして幼児に観せやすいものNo. 1であり、そして子を煽てるのに非常に使いやすいアニメだったのだろうと思う。

なにがというと
アンパンマンみたいに強くなれないよ!とか、アンパンマンみたいに…バイキンマンのように…というのがめちゃくちゃ使いやすい。勧善懲悪だから。親世代も馴染みの深い、新時代の水戸黄門だから。※平成初期

私は母親の煽てにまんまとハマってしまった。
アンパンマンみたいに強くなるぞ!みんなに優しく声かけをして、困ってる人を助けるぞ!!
大人になってから思うと
顔、アンパン…パンのヒーロー…
濡れただけで…?対策は?
顔を分け与え過ぎて力が…わかるだろちょうど良い量。
って思うんだけど。
でもその頃はアンパンマンみたいに強くなって、みんなを助けて…理由もなくただただそれがかっこいいと思っていて(母親からの植え付けだと思うけど)アンパンマンになりたかった。

そして、おもちゃコーナーに売っていたアンパンマンヘルメット(ヘルメットの正面に顔が付いている)、マント付きの変身セットをプレゼントで貰ってから更に加速していく。
私はアンパンマンだ。アンパンマンなのである。
そう、私がアンパンマンです。

ヘルメットとマントを付けて、パトロールだ!と言って三輪車で近所を爆走した。
「 主婦ちゃんはアンパンマンだね!」と近所の人に声をかけられ、とても満足だった。

そして保育園入園の間近、母親から言い聞かされた。
あなたは人懐っこくて明るいから心配ないけれど、もし保育園の中で1人で寂しそうにしているお友達がいたら「お名前なんていうの?」から始めてお話しして一緒に遊んで元気にしてあげてね
困っている子がいたら、どうしたの?って声をかけてあげるんだよ
アンパンマンみたいにね。

アンパンマンみたいにね!
出ましたパワーワード。
今までの、どの「アンパンマンみたいにね」より輝いて聞こえてきた。ついに私がアンパンマンとして人助けをして子どもたちを助ける時が来たのだ。
この言葉により私は心からアンパンマンとなり登園を心待ちにして張り切る幼児となった。

そして入園後
寂しい思いをしている子どもたち、困っている子どもたち、それはそれは見つけては獲物だと言わんばかりに声を掛けまくる私こと、アンパンマン。
男児が可愛い女児にイタズラをするもんなら「やめるんだ!」とか言って止めに行ったし
何かをするときは常に元気100倍張り切って動く。
近所の人や他の子の親たちにもきちんと挨拶もする。
できた園児だ。
母親はのちに「あんたは本当に良い子だった」と語る。
アンパンマンになって私はたくさんの子どもたちを助けることができたと思う。

今でもあの頃の自分が1番輝いていたなと感じる。

自分の子供たちはアンパンマンにそれほどハマることはなかったけれど、甥っ子はアンパンマンが大好きだった。
とても素直で年下の私の息子にも優しくしてくれる良い子だ。

その甥っ子がアンパンマンのことが大好きなのだけれど、年長になった頃の友人に「アンパンマンのことがまだ好きな子は赤ちゃん!!かっこ悪い!」と言われてしまったらしい。
優し過ぎた甥っ子は当然「もう、アンパンマンは卒業!好きじゃない!」と宣言していた。
でも甥っ子は口ではそう言いつつアンパンマンのことがまだまだ大好きだった。大人たちは分かっていた。家ではアンパンマンのおもちゃで遊ぶし、玩具屋に行くとアンパンマンのおもちゃをチェックしていた。
目は輝いていたが、口では「興味ないけどね」と言っていた。

なんて残酷なんだろうか。
私の腑は煮え繰り返っていた。

アンパンマンは好きとか嫌いとかじゃない!
いつまでも心の中に居ていい存在なんだ!!

私は甥っ子の友人にアンキックを浴びせた。
心の中で。

しかし甥っ子はもう2度とアンパンマン界隈に戻ってくることはなかった。
少し寂しかったけど、時間と共に自然とそうなっていくことだ、仕方がない。
でも甥っ子には最後まで「主婦ちゃんは大人になった今でもアンパンマンが大好きだよ」と言い聞かせて、年齢は関係ないんだよということを伝えたし、友人でアンパンマンのことがまだ好きな子が居ても自由だし、人を馬鹿にするのは良くないことだよ、と言うことを精一杯伝えた。
元アンパンマンとしてやり切ったと言っても過言ではない。

上記で甥っ子に対して伝えたように、私も今でもアンパンマンが大好きだ。
もちろん私も一旦はその気持ちを忘れてしまっていた。
年頃の時や社会人になった頃は素直な生きられず人に意地悪なことをしてしまうこともあった。
子育てをするようになり子供達への思いや、またアンパンマンに触れてこれまで素直に勇気りんりん元気100倍に生きられなかった頃を後悔している。

今ではもうあの時みたいに真っ直ぐに私がアンパンマンです!みたいにはなれない。おこがましすぎる。
だけど心の中にアンパンマンを置いて子どもたちにとって恥ずかしくない親として生きていきたいと思っている。
できたら子どもたちにもアンパンマンとして生きて欲しいと願っているけれど、それは無理強いできない。

私は、アンパンマンだった。
今でもアンパンマンが大好きだ。

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