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現代の日本庭園は「大したことない」「残念」なのか?〜「マニアがジャンルを潰す」庭園論〜

サムネイル画像は先日「解体」が発表された、丹下健三のモダニズム建築『旧香川県立体育館』とその池庭。世界的彫刻家:イサム・ノグチの日本での制作パートナー・和泉正敏さん作庭。

■現代の日本庭園は「大したことない」「残念」なのか?

この冬の「京の冬の旅」で初めて見た、とある庭園でのこと。

「この庭園の作者は誰ですか?」とお聞きしたら、
案内役の方が
「この庭園は新しい庭園なので作者が誰とかそんな立派なもんじゃないです、大したことない庭園です」
とおっしゃられていた。

自分はけっこうその言葉がショッキングで…

■庭園専門家の「残念だ」の論評から日本庭園に対するネガティブが伝播する

自分は普通の人よりも日本庭園に関するパンフレットや本、資料を見る機会は多いと思うのだけれど、
庭園って何かにつけて
「〜〜が残念だ。」
という論評・文章が多い、多過ぎる。

確かに残念なことはあると思うし、どこに何を書くのも個々人の自由なのだけど、専門家(詳しい人)が「残念」という言葉を多用すればするほど一般の消費者も「今の日本庭園=残念」と認識していく。

①「今のこの庭園の状態は残念」
→「じゃあ維持するだけ無駄だよね」

②「最近の日本庭園は大したことない」
→「じゃあ別に自宅に作りたいと思わないよね」

③「京都以外の日本庭園は大したことない」
→「じゃあ別に京都以外の庭園なんか維持する意味ないよね。文化財庭園?なにそれ?京都だけでよくね?」

そんな「残念」な文化にしたのはどの世代でしょうか?

そんな「残念」な文化を、これからの世代が積極的に受け継いでいきたいと思うでしょうか?

人が想いを込めて作庭したり、維持してる日本庭園を
詳しい人が「残念」「大したことない」と言ってしまう風潮
庭園の価値を下げているだけだと思う。

もし日本庭園を未来へ伝えていきたいならば、現代の日本庭園であってもポジティブな面・楽しい面をもっと伝えていきませんか。

■世の中的に避けられる「評論家」と「おじさんの上から目線」

まっさらなブラウザを使って、Googleで「評論家」と入れると以下のような言葉が連想して表示される。

「評論家 いらない」が二番目。
また上位の「評論家気取り」で検索すると、次に「うざい」が連想ワードとして表示される。

「評論家」そのものが忌避の対象となっていて、「評論家気取り」はもっと好かれていない。

そして、私も昭和の年代の人間なので自戒を込めてなのだけど
「上から目線のおじさん」に対する一般大衆…特に若い世代からの忌避感はとても強い。

(なので「おにわさん」は「おじさんが腕を組んで妙な上から目線で語っている」雰囲気を消すようにしているし、
まずそれをしないとInstagramやTikTokのような若い子が見るツールを使ったところで刺さらない。)

それを前提として。

■辛口に物言う空気によってGoogleマップのクチコミで庭園施設の点数が低くなりがち問題

エンタメ/ユースカルチャーの界隈では有名な「マニアがジャンルを潰す」という言葉がある。

庭園が今起こっているのはまさにこういうことで、
冒頭で書いたことのように「専門家風情」に影響を受けて「新しい日本庭園に対して評論家気取りで辛口で物言う人」が増えていくのがまた問題。

個人的には「点数をつける行為」は好きではないけれど、一方で
「点数で物事や行動を判断する人」「点数をつけたがる人」は世の中に一定数存在する。それゆえ、食べログのようなサイトでは以下のような訴訟が起こったりもする。

「点数が低ければ行かない人が増える」し、
「点数が高ければ行く人が増える」のは間違いない。

その中で、日本庭園や文化財系の施設って、「辛口で評論的に扱う風潮」の弊害で、ちょっとした文化財庭園だと平気で★3.0を切っていたりする。(継続する飲食店はやっぱ3.7〜8以上はあるなって感じがする)

■岡本太郎でも敬語で本を書くのに、なぜ庭園の人達は「だが」「である」と総じて論文のようなのか

たとえば磯崎新さん・藤森照信さんの「にわ」談義は口語で展開される。

一方で、造園家のテキストは対談であっても「だが」「しかし」「である」みたいな論文調になってしまう。いちいちそちらに直しているかのように。

これはあくまで個人の感想ですが、ライトユーザーとしては口語の本の方が圧倒的に読みやすいし、親しみが湧きやすい。
論文調ってなんか「評論されてる感」「上から目線」「なんか難しい」を感じてとっつきづらい。

これは昭和からずっと続く文化なんだろうけど、口語にするだけでも印象は全く変わる。

■「残念」と言い続けても日本庭園に未来はない、死期が早まるだけ

七代目小川治兵衛や重森三玲の庭園ですら解体される昨今、
「社会福祉よりもお金(税金)を掛けてでも維持する必要ある日本庭園」
と世間一般の人が感じる庭園ってごくわずかだと思う。

上記のエントリで以前書いたように
国指定名勝の庭園ですら維持が難しくなっているのに、
「業界的には有名だけど、一般にはほとんど知られてない昭和の造園家」の庭園にお金を掛けたいと思う人はほとんど居ないだろう。

そこに予算を掛けるぐらいなら「新しい世代の人気・話題の建築家」にオブジェと広場を新しく作り直してもらう方がいい。
「話題になり、広告効果・費用対効果を生む」
ことがあらゆることに求められるので。

そんな日本庭園の「残念」な状況を改善し、残していくには
評論的に「残念だ」と口にすることではなく、
「魅力」「好き」を伝えていくこととか、専門家なら「自分ならこう出来る!」を端的に発信することが必要なんじゃないでしょうか。

というのも、日本庭園において「この人は頼りになりますよ、信頼できますよ」という方が誰なのか・そもそも存在するのかも(外から見て)今はわかりづらい

もちろん自分は詳しい方なので「業界的に有名な方」がいらっしゃるのはわかるけれど。でも自分クラスがわかっていたところで意味がなくて。
「庭園には別に興味がないけど担当者になった人」をいかに「ファンにしていく・好きになってもらう」活動が必要というか…

『あの庭園は残念』『文化財課は分かってない』と言っていても、もう自治体にそこまでの体力はないとも思うので。(立派なお屋敷の寄贈を断っているという話を聞くのも一度や二度ではない)

■【結論】若い担い手に伝えていきたいならば、親しみやすい言葉でポジティブに伝えていきませんか

このエントリを書いてる最中に2022年の日本の出生数を伝える報道がいくつかあった。

「庭の業界で若い担い手が激減している」ことについては前回の記事で書いた。

出生数だけの比率で言えば、今も数少ない20代の担い手は今後さらに2/3程度に減る。

あくまで比率だけの話で、「魅力的な仕事・業界・文化」でなければ他の新たな業界にどんどん人を吸い取られていく。
やり甲斐を伝える…というフェーズももうとっくに終わっている。

おそらく「ディープな方向けの評論」のパイ/市場は日本国内で500人〜MAXで2,000人ぐらい。(協会・学会の人数から鑑みてもおそらくそれぐらい)
その中で満足するのか、それよりも広げなければいけないと危機感を持つのか。

お金の問題や業界構造がどうこうというのはすぐ解決できるものではないと思うので。まず、すぐに出来る「魅力を伝える、若い世代に寄り添う・褒める」からやってみませんか。
それが「昭和の世代が日本の庭園文化を潰した」にならない為の出来ること。

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