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短編小説:HALLOWEEN SALES

 
 消防署があった。それは、すごおく大きな消防署にみえる。かれは「いや」と思う。「まえの町もこんなじゃなかったっけな?」と、思う。右手にずっしりとした石造りの門があり、左手にシャッターと、そのガレージがある。ガレージはとても広い。かれは門のほうへ、ちょこっと首を伸ばしてみる。さっぱりとひらけた砂地があり、左奥にクリアな自動ドアがみえる。
 砂地では男たちがひまをしてみえる。じっと、目を凝らしてみると、訓練であるとわかる。
 まえの町を思い出してみる。
 うん。これくらいだった気もするな。
 ひとりが中央で、ひざを押さえてまえ屈みになり、顔を両腿ではさんでいる。奥から走ってきた他の男がそれを飛び越していく。つぎの男も飛び越していく。うま飛びだ。かれは人が飛んだ回数を数えていた。二十八、二十九、三十……うまになっている男を含めて、三十一人の消防士がそこにはいた。
 うまの消防士がかれのところへ駆けてきて訊いた。
「何か御用のかたですか?」
 いいや。
「見学のかたですか?」
 いいや。
 
 消防署の隣にフレッツがあった。フレッツとは、百円ショップだ。
 二階建ての建物で、一階は大部分がガレージになっている。とまっている車もちらほらみえる。
 フレッツがあるのは、二階のところだ。一階と二階のあいだにエレベーターはない。つまり、フレッツに行くにはかならずこの石の階段をのぼらなくてはならない。かれは階段に足をかけながら、その階段のことを考えていた。階段は踊り場のところでUターンするように造られていて、木のポーチへと繋がっている。なかなか感じのいい階段だな、とかれは思う。
 
 かれはひまなときはいつもフレッツに行った。
 フレッツは広々としていたし、壁も床もしろくて、なんだか気持ちがよかったからだ。
 なかなか感じのいいフレッツだったのだ。
 それに、商品のほとんどは百円だった。とても安いじゃないか、と思う。かれはいつも商品を手に取っては、どんな使い方ができるか妄想していた。
 
 階段をのぼり、ポーチのところへ来ると、かれの腰ぐらいまでしかない子どもたちが駆けて遊んでいた。ほっそりとした母親たちがいさめていた。が、子どもたちはかまわず駆けて回っていた。男の子がひとりかれを横切り、女の子がふたりかれのおしりにぶつかった。
「どうもすいません」ほっそりした母親がそう言う。
「いいえ。いいんですよ」と、言う。
 まるで朝日のようにさわやかじゃないか。かれはふたりの女の子を眺めながらそう思った。
 
 その日、フレッツには店員が三人いた。平日はふたりで、土日は三人だった。夜になると、それぞれひとりずつ増える。
 痩せた女性と、古株と、太っちょだ。痩せた女性は品出しをしていた。古株は買い物かごを片付けていた。太っちょはレジにいる。
 かれは買い物かごを取らず、手ぶらのままでぐるりと見て回った。カップ、衛生用品、せともの、つめたい飲み物、お菓子。ちょっとキットカットを手に取ってみる。深みのある赤のパッケージだ。チョコレートは食べないのだ。そう思う。
 また見渡してみる。さっきとほとんど変わらないようにみえる。客はかれと、あとひとりだけいる。
 もう一度キットカットを手に取ってみる。深紅の背景にさっぱりとした白の文字で、
「がんばるあなたに」
 と、ある。
 
 その日はちょうどハロウィンだった。十月三十一日。土曜日。「季節行事」の棚にはわんさかとハロウィングッズが並べてある。ただ、これでもずいぶん減ったほうだ。先週なんて、隣の棚もハロウィングッズがぎっしりだったのだ。これでもだいぶおとなしくなっているのだ。
 かれは「季節行事」の棚が好きだった。「季節行事」。その響きがいい。そして、内容も頻繁に変わる。春にはランチボックスが、夏にはサンダルやぺしゃんこのビーチボール、冬にはぬくぬくとした編み物が売られている。
 で、秋といえばもちろんハロウィンだ。かれはしゃがみこむ。棚の奥から、かわいらしいその帽子をひっぱり出してみる。ポリエステルの、紫の帽子だ。かぶってみるけれど、僕にとってはだいぶ小さい。かれは鏡の自分をみてそう思う。それに、もっと紫の濃いやつがいい。元の場所に戻す。
 
 幸運なことに、ちょうどいい色合いのやつがあった。メリハリのついた深紫をしていて、てっぺんのところにかぼちゃの装飾がついている。帽子のてっぺんから、かぼちゃがだらんと垂れ下がっている。
「ハロウィン魔女帽子」だ。
 ただ、値札には三百円とあった。それでかれはちょっと悲しくなる。三百円か。そう思ってしまう。
 また元に戻す。
 
 しろい棚のてっぺんに、金色のモールで飾られたボードが貼りつけられている。のけぞるようにして見上げてボードに書かれた文字を読んでみる。
〝HALLOWEEN SALES〟
 ハロウィン売ります、か。
 かれはそう思う。
 たまにはハロウィンを買ってみるのもいいな? ついで、かれはそう考える。ハロウィンを買う、か。これはけっこうなかなかじゃないかな。そう。それにここはフレッツで、百円ばかりの店なのだ。
 かれはちょっと歩いて行って、しゃがんだ姿勢で品出しをしている痩せた店員に訊く。
「すいません。ハロウィンを買いたいのですが」
 彼女はしばらくそのままで品出しをしている。「はあ。ハロウィンですか?」
「ええ。ハロウィンです。ハロウィンを買いたいのですが」
「ハロウィンですか。そうですね」彼女は手をとめる。しゃがんだままだが、目線をあげ、かれのことをみやる。
「申し訳ございません。わたしは今年のハロウィン担当ではないんです。ですので、お手数ですがほかの店員をあたってくれませんか?」
「あなたはハロウィン担当ではないんですか」
「ええ。わたしはハロウィン担当ではないんです」
 どうもありがとうございました、と言い、かれはちょっとあとずさる。すでに彼女は品出しを再開している。カッターの袋刃でガムテープを切り、ダンボールをあける。お菓子をふたついっぺんに手に取って、ぐいぐい棚の奥に押しやっている。陳列している。
 
 かれは古株にちょっと、と声をかける。あの、お忙しいところすいません。ちょっとハロウィンを買いたいのですが。それを聞いて古株はあきらかに嫌そうな顔をしてみせる。
「ハロウィンと言いましたか?」
「ええ」
「本当にハロウィンですか?」
「ええ」
「わかりました。それでは準備しますので、しばらくここでお待ちください」
 そう言うと古株はレジのところに行って太っちょに声をかけた。かれには「ハロウィンだってさ」と言う古株の声が聞こえた。太っちょは気だるそうに目をあげた。「ハロウィン?」「ああ」そして古株と太っちょはレジ脇のスイングドアから奥のほうへ消えていった。
 かれはしばらく待っていた。近くには買い物かごがあった。どれもぴかぴか、というわけではないが、ずいぶん手入れがされているようだった。ひとつひとつ布で拭いているのだろう。小さなきずがあるものの、清潔で、なんだか立派にみえた。
 痩せた彼女はまだ品出しを続けていた。かれはぼんやり彼女をみていた。すでに陳列棚は品物でいっぱいのようだった。しかし、彼女がその右手をつっこむと新たに空間がうまれた。そこへ左手でお菓子を詰めこんだ。キットカットのところに右手をつっこみ、左手でキットカットを詰めこんだ。
 目を凝らすとその文字が読めるようだ。
「がんばるあなたに」
 すると、太っちょがはあはあ息を切らせてやってきた。
「お客さん、こっちですよ(はあはあ)」
 かれはうなずいて、太っちょについていった。レジを横切り、お菓子たちを横切り、彼女を横切った。スイングドアを抜けると狭い螺旋階段があった。太っちょの服の裾が壁で擦れていた。
「なかなかですよね(はあはあ)」太っちょが言う。「いまどき、ハロウィンなんて」
「いや、そうですかね? 逆にいまだからこそハロウィンだと思いますよ」
「なるほど」
 太っちょは階段をのろのろ下りながらもう一度「なるほど」と呟いた。太っちょ自身のなかでなにかしっくりくるところがあったのだろう。かれはそう思った。
「さあ。(はあはあ)さあ。こっちですよ」太っちょは指をさしてそこを示した。そこはずいぶんこぢんまりとした部屋だった。まっしろな部屋で、天井が低く、手前にちょっとしたカウンターがある。隠れバーみたいだな、とかれは思った。
「こっちですか?」とかれは確認する。
 太っちょは口で息をしたままうなずく。
 そして、かれが数歩進み、部屋に足を踏み入れた瞬間、
ハッピーハロウィン!
 と、古株がさけびながらカウンターの下から立ち上がってきた。ポリエステルの赤マントを羽織り、頭には「ハロウィン魔女帽子」をかぶっている。かれは、びっくりした。そして、古株がこほん、と咳をする。
「はい。それではこれでハロウィンをおしまいにします」
 かれはちょっと目をしばたかせる。ぱち、ぱちと。それから深く息をはいて、吸って、ちょっと笑顔になって言う。
「ありがとうございました。とてもいいハロウィンでしたよ」
 それから古株は仮装を外し、ちいさなかごに入れてカウンターの下にしまいこんだ。外に出ると太っちょが「たしかにいいハロウィンでしたね」と言った。古株はそっとうなずく。そして三人で階段をのぼっていく。太っちょ、かれ、古株の順だ。「会計はうえでしますからね」と、古株が言う。かれは目の前で揺れる太っちょのおしりをみて、すごおく大きなおしりだな、と思う。いや、こんなものだったっけな? 
 太っちょが言う。「いやあ。ハロウィンも、やってみるとなかなかいいもんですね」
 古株が「たしかにそうだな」と言う。

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