日記:ビリーのボサノヴァ

 早春が来て、僕はもう一度ペンを取ることにした。
 ただ、怖くて仕方ない。過去作を彼女と読み返すたびに「本当にこのようなものが書けるのだろうか」という思いがこみ上げる。また、同時に、「これ以上のものが書けるのだろうか」とも不安になる。僕は自分に問いかけるのだ。おまえの才能はすでに使い果たしてしまったのではないか? と。
 「才能」ではないのかもしれない。「熱量」なのかもしれない。
 久しぶりに書いてみてわかる。自分の語彙が悉く失われていることが。書き方についても、忘れてしまったように感じる。僕には得意の語り方があった。まるで手品師のような。一歩前に出て不格好にも演じるはにかみ者のやり方が。あれはどのようなタネだったのだろう? 過去の僕はあやしくもそれを秘密にして返さない。
 それは破壊だったかな? あるいは研鑽だったかもしれない。
 僕は風呂で考えて決めた。次の方針は研究にすると決めた。今までは破壊だったように思う。積み重ねて、広く打ち壊す。それを繰り返し、幼児のあの楽しみを覚えていた。今回は研究。それはつまり繰り返すということだろう。同じ道を何度もなぞり、最も美しい線はどれかと追求することだ。もちろん最良の線は決してわからない。しかし、集中の世界で何度も交感を試みることで、このささやかな才能を刃のように輝かせることはできるだろう。
 そしてもう一つはストーリーだ。物語ることについて、僕は真剣さをもって知ろうとしなければいけない。


 二日目にして、僕はもうすでに気持ちが重くなっている。それは眠るようだ。眠るときに、かたと、音の無い音が鳴るようにして、体が少しずつ鈍くなっていくように、書くことについての気持ちも書いてなかった5カ月の重さに引かれて元の土地へ戻ろうとしているみたいだ。
 時に僕と彼女は会話をする。
 そこで、短く「うん」や、「聞こえてるよ」と、答えを返していると、なんだかそれがとてもロマンあるふうに、僕の耳には聞こえてくる。明鏡止水の冷ややかな水平に丸っこい石が落ちて時空の穴を開けるように、ひとつの綺麗な波紋が僕たちの間に生まれるのだ。その短さには興奮と期待が込められている。
 音の響きは素晴らしい。僕は、僕を含めた人の声にどれだけ魅せられてきたことだろう? 声には人の精神が含まれている。毒の矢じりのように、声は風を切り裂いて僕に届き、致命的なまでの印象を与える。ささやかな努力としての”隠し事”や”方便”なんて全くの無に帰してしまう。ひとつで十までがはっきりとしてしまう。僕にとってのことだけど、声はそれほどまでに明け透けだ。だからこそ、薔薇やナイフのように心惹かれる。


 僕はエミリー・ディキンソンにはなれない。(これまでの時代と同じように)現代にはあまたの詩人がいる。その中には、エミリー・ディキンソンライクな詩人もいる。あるいは、いるだろう。だけど、少なくとも僕はということだが、”もっと”エミリー・ディキンソン的な詩人は一人も知らない。霊感の詩人、貧血の詩人、世に出ず、自分を儚きものとも思わない、孤独な哲学者の詩人。そういった詩に対する純粋さを僕は頭から浴びてみたいのだ。
 やはり言葉や物語は謙虚に書くほうがいい。ただ、怯えてはならない。謙虚なままで、自分の中のどろりとした純粋な心を表現しなければならない。もし、おどおどとなって、自分の心の露出を恐れるのなら、その文章は石ころにしかならない。そして今日の僕は怯えてはいない。しかし、謙虚さがまったく足りていない。なんというか、回り道がもっと必要なように感じる。今日の僕がやっているのはむやみな突進だ。僕は冷静にならなくちゃならない。自分の腕の動き、手のひらの角度、目線や風になびく髪のことを意識して、その美しい舞いを楽しまなくてはならない。ただ書くということはありえない。楽しむために書くのだ。そうなると必然、考えること、積み重ねることが不可欠になる。


 ビリーのボサノヴァ。二月、僕はその曲に惹かれる。坂になった道のりを下りていきながら、その新しい音楽が聞こえてくる。その日、神戸全域に小雪が降った。同時に、雲間からは歯切れの悪い陽光が出ていて、そのくだけた光線が僕をコートごと暖めていた。

 僕は「見るかい?」と言った。
 彼女はこれまでの日記を読んだあとに、「面白いね」と言った。
「日記が上手なんだね。ここまで読んでいて面白く日記を書けることなんてなかなかないよ。その内容が奥深くて、話しているより、大西君のこういうのを読んでいたほうが好きかな」彼女はそう言った。
 僕は上手く書けているなんて思わなかった。

 僕たちはこのあいだ新しい図書館を訪れた。図書館それ自体が新しいわけではなかった。僕たちにとって、その図書館が初めてだったのだ。入口のガラス戸をひらいて、ゴム張りのらせん階段をあがった。踊り場のところでは娘が父の手をひいて、困り顔でなにかを催促していた。父の方はあくまでも静かだった。
 僕はそこで五冊の本を借りた。『べつの言葉で』、『山月記』、『ソロー語録集』、『存在の絶えられない軽さ』、『灯台へ』。
 図書館はこぢんまりした作りだった。聞いた話では古い図書館ということだったけど、その印象はなかった。清掃が行き届いていて清潔で、床面は輝き、僕は小学校のころの体育館を思い出していたっけ。
 そこで座って読んでいる人は、僕たちをのぞいて全員が老いていた。しかし、彼ら誰もが異なった老い方をしていた。品や厳格さを備えた老婆がいた。目に傲慢さと虚勢をともなった男は新聞を大きく開いていた。僕の斜向かいには大学教授のような老人が座っていた。彼はコクヨーの手帳を開き、大判の本からその内容のほどを写し取っていた。
 僕はそこで一時間ほどだろうか、フィッツジェラルドの『冬の夢』を読んでいた。フィッツジェラルドはペンをすらすらと動かしていた。なまあたたかいパートナーの舌が、僕たちの腕や首をつるりと滑っていくときのように、その言葉は活劇となり、後ろ暗い”ビリーのボサノヴァ”のような人間元来の精神の動きはくらくらするような華やかさへと昇華されていた。僕は彼のようには書けない。
 彼女をつかまえて図書館を出た。帰り道をたどりながら、僕はホームレスについて話していた。図書館には、ホームレスのような人々が何人か見受けられていた。彼らの喉元はこわばっていた。その皺は革製品のように影が深く、強力な、あるいはまったくつるりとした白い、プラスチックのような薄っぺらいものであったりした。
 僕はその日、図書館にいた彼らのことを覚えている。老いたすべての人々のことを。二月に僕たちは僕自身の書き手としての再生へのプロセスを思案しながら、同時にそういったホームレスのことについても話していたのだ。しかし、彼女はすでに忘れてしまっていた。あそこで二月に暖を取っていたのは僕たちだけではなかった。そして、僕はこのように回想をしながら、あの図書館のらせん階段のように、ぐるぐると自分の書くことへの疑いを深めていた。その踊り場では、暗い顔をした女が僕の手をひいている。

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