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【INFJ】「代わりのきかない人間」など存在しないと思うのです。

思うのです。

数年前のこと。
職場でそこそこ発言力を持っていて、業務的にも重要な権限を握っていて、なおかつわたしが生まれる前から在籍していたお局が、とうとう別の事業所へ異動になった。
わたしはソイツが大の大嫌いだったけど、いち職員としてはソイツの判断に頼っていたところもあって、現場からいなくなることにちょっとだけ不安を抱いたりしたものです。

で。
いざソイツが異動で職場を離れてしばらくしてみると、ソイツがかつて職場にいたことを、思い出そうとしないと思い出さないようになっていた。
ふだんは忘れているってことだよね。
異動の前までは「この人がいなくなったら、誰も代わりなんか務まらないでしょ……」とかなんとか、大嫌いだったけどお仕事面では信用していたので、自分がソイツの存在を忘却の彼方に放り投げていたことにびっくりした。
ソイツがいなくても、職場は憎たらしいほど順調に回っている。
それを認識したときに、わたしは思った。

この社会に代わりのきかない人間なんていないんじゃない?
どんな人間にだって代わりはいるんじゃない?
なら、唯一無二ってなに? 
じゃあ、かけがえのない存在ってなに?
わたしは何のために生きているの?
わたしがここにいる意味ってなに?

悪い癖ですね。
ひとつの小さなひっかかりから、自分の人生や存在する理由の答えを出そうとしているんだから。
忌まわしきINFJ、精神世界の探求癖。
はっきり言うけど、こんなことしないほうが人生は豊かに生きられる。
精神世界、内面世界を探求するだけの行為に何の意味があるのか。
ただ自分を慰めているだけじゃん。
きもちわる。




そんな答えのない、いわば哲学的な問いに対するわたしの答えはひとつ。

タイトルにもあるように、代わりのきかない人間なんていないと思う。

ヤジを飛ばされる前にことわっておくけど、家族は例外だよ
かけがえのない存在の最たるものは家族だから
ちなみにパートナーは代わりがきくと思うよ。
みんなそうでしょ。
盲目的に相手を愛しているときは「絶対この人しかいない!」って思うけど、あとになって振り返るとけっこうどうでもいいような細かいことがきっかけでお別れすることもあるでしょ。
3日も経てば元通りで、新しい出会いを求めているでしょ。そういうこと。

家族以外の人間なんて、正直いくらでも代わりがいる
社会なんて特にそう。
めちゃくちゃ極端な話をすれば、現場のトップがどこかでくたばったとしても、すぐに後任が決まって、わたしの職場はいつもと同じように回っていく。
首脳陣が対応に追われていたとしても、ひと月もすれば元通り(たぶん)。
やがてそこにトップがいたことすら忘れ去られていく。
肉親や友だちならともかく、赤の他人の死をいつまでも覚えているほうが不健全だよ。
職員の誰かが突然退職しても、次の日から突然出勤してこなくなっても、お仕事は成り立つようにできているんだから、会社ってすごいよね。




いやいや、別に社会の恒常性(?)みたいなものに言及したいわけじゃなくてさ。
この社会、どこかには必ずわたしの代わりになる人間がいるってハナシよ。
わたしの代わりに、年寄りからの罵詈雑言を浴びたり、上司に疎まれたり、理不尽なことに頭を下げたり、お仕事して腰や腕を痛めたりしてくれる人間がいくらでもいるワケなのよ。

自分を押し殺したり意味がわからなくなったりするくらい、ひとつのお仕事に囚われる必要なんかないよね。
ジョン・レノンも言っていた。
君はどこへでも行けるのに、どうしてそんなところにとどまっているんだい?
みたいな。
そうなんだよね。
どこにでも行けるはずなんだよね。
若さも体力も気力も、人生すら削ってまでここにとどまる理由ってなんだろう。
生活のため、とわりきるにはまだまだ若すぎると思う。
職場のお局たちみたいに、もうお仕事以外にすることがない人間にくらべたらわたしの人生は長いはずなのに。

別にさ、「いまのお仕事をやめて好きなことすれば?」とかじゃなくて。
お仕事を続けながらでも、わたしの好きなことをしていけばいいんだよ

そんなことできてたらこんなクヨクヨ悩んでいないんだけどね。
生きるのって難しいね。




「代わりのきかない人間などいない」というわたしの思想のお話。
こんなお仕事をしていると、やっぱり「誰でもできる仕事じゃん」って言われることがある。
曲がりなりにもそれで生活をしているから、そう言われるのは不愉快。
この世界、そいつにしかできないお仕事なんてほんのごくわずかでしょ。
おまえのお仕事だって、誰にでもできるお仕事じゃん
だからおまえはそのお仕事ができているんでしょ? 違う?
おまえもやってみてくれよ。
なんなら、わたしがおまえと代わってあげる。

わたしも人間だから「誰でもいいからあなたがやってくれ」ってお仕事を振られてもあんまりモチベーションが上がらないわけですよ。
「これは、ぜひやってもらいたい仕事なんだ」って言われたほうが、俄然やる気が出ちゃう。
こういうのって、もしかして芸術家体質なのかしら。
芸術家こそ、その人にしかできないお仕事のひとつじゃん。
憧れるよね、自分の画風とか作曲スタイルとか。
自分が何かを作ったときに、それを見て「お、これはおにのすけさんの作品か」って言われるような何かが欲しい。
いまのところ、文章がそれに近いんだけど
職場で何か記録として文章を書いたときに、それを見て「あ、この記録おにのすけさんでしょ。ここのこれなんだけど~」ってわたしだとわかってくれるのがけっこう嬉しい。

話が逸れましたね。
なにはともあれ、一般社会においては誰にでも代わりはいます。
何もかも背負いすぎないようにね。
あなたやわたしがひとり欠けたくらいで現場がめちゃくちゃになるようなお仕事は、そもそもお仕事として破綻しています。
そんな泥舟からはさっさと逃げてしまいましょう。
大事なのは、お仕事じゃなくて、自分自身だから。
ええ。

今回はこんな感じ。おつかれサマー。
梅雨ですね。お休みの日に限って土砂降りで洗濯物が乾きません。お仕事の日ばっかりきれーに晴れていやがります。
みなさま、よきかけがえのないライフをお過ごしください。