【HSP】感情なんかないほうがいい【INFJ】
人類の最大の欠陥、それは感情である。
こればっかりは絶対に曲げられないわたしの思想。
この世に幾億と存在している人間にとって、感情というのは間違いなく欠陥だと、わたしは常々思っているのです。
感情なんかないほうがいいんです。
感情なんかあるから! 人間は苦しまなければならない!
感情なんかあるから! 人間は悲しまなければならない!
感情なんかあるから! わたしはつらい思いをしなければならない!
そんなんだったら、いっそ感情なんか消えてしまえばいいのに。
なんだかサウザーみたいなことを言っているけど、サウザーとわたしの決定的な違いは愛を知っているか否か。
というか、わたしはこのままこの思想を貫いていったら聖帝になれるんじゃなかろうか。
いや、マジで。
家族と団らんする同僚のために勤務を交代して、職場の規則では最大3連勤のところを5連勤してヘトヘトで、かつヘラ期から抜け出せていないわたしの嘆きを聞いてほしい。
さて、冗談めかして「感情なんかなければいい」と書き出したけど、正直その思想自体はちっとも冗談ではない。
試しにグーグル大先生に「人類の欠陥は?」と訊いてみたけど(この時点で病んでいる)、やれ靱帯の強度が低いだとか、親知らずだとか、難産だとか、いろんなハード面の不都合が結果として出てきた。
そんなもの感情にくらべたら大した欠陥ではないと思っている。
わたしは感覚が過敏で、日々いろんなことにいろんな感情を抱きながら生きている。
他人の一挙手一投足、ちょっとした溜息や声音、言葉のチョイス、いろんなものにひっかかり、そのたびに自分の内に沸き起こる感情に振り回されている。
この感情の波がすべてなくなればどれだけ生きやすいだろうか。
わたしが抱えている生きづらさは、感情ひとつなくなるだけでほとんどが解決するに違いない。
考えてみるといいさ。
めちゃくちゃ極端な話をするとさ、感情さえなくなってしまえばたぶん心の病気のほとんどはなくなるし、他人の一挙手一投足に一喜一憂することもなくなる。
どう考えたって、感情が生きづらさの元凶でしょ。
感情さえなくなれば、他人に聞こえるような大声で悪口をいうババア上司も、指示を出してもちっとも動かない後輩も、理不尽な罵詈雑言を浴びせるクソ年寄りも、まったく気にならなくなるわけでしょ?
それって、素敵じゃない?
わたしが毎日毎日感情に割いている気力と体力を別のことに使えるんだ。
目の前のタスクのことだけを考えていればいい。
わたし特有の「これをしたら○○さんがあとで大変かな……。嫌な顔されちゃうかな……」みたいな、あとの人間の感情を余計に考えなくて済む。
「これを○○さんに頼んで、わたしのお仕事は終わり」って、スパッと気持ちの切り替えができる。
というか、感情がないんだから気持ちの切り替えもへったくれもないのか。
なんてすばらしいんだ。
マイナスの感情が認識できなくなるというわたしにとっての最大のメリットの裏で、プラスの感情も認識できなくなるデメリットが存在している。
日々の人間とのやりとりのなかで感じられる喜びや嬉しさを感じられなくなるし、音楽や小説とか、わたしが好きでいるものの良さがわからなくなってしまう。
確かにそれは大変な大事件。
でもよくよく考えてみると、別に困らなくない?というのがわたしの本音。
これまで生きてきたなかで、鮮明に思い出せるのはネガティブな感情ばっかり。ポジティブな感情なんかひとつも思い出せない。
それに、人間って本能的にネガティブな感情のほうが記憶に定着しやすいっていうじゃない? 危険から身を守るための学習機能だかなんとか。
たとえ、わたしがどこかで嬉しい気持ちや楽しい気持ちを感じていたとしても、あとから振り返ったときにはそれをあんまり覚えていないワケで、反対に悲しさや怒りや恐怖は鮮明に覚えているワケじゃん。
いくら手元の小さなプラスの感情を揃えたって、人間としての本能が大きなマイナスの感情を保存しちゃうんだから収支はマイナスだよね。
じゃあ、嬉しさも喜びも愛しさも、いらないや。
だから、感情を失ってもわたしは別に困らない。
感情を失ったことによるマイナスなんか微々たるもので、それをカバーしてもおつりがくるくらい大きなプラスがあるわけだから。
愛などいらぬのよ。
愛ゆえに、人は苦しまねばならないのだから。
連勤明けヘトヘトで頭も回っていないうえに、公開する前に推敲もしてないのでめちゃくちゃな文章になっているかもしれないけど、後悔はしていない。
HSPやINFJのみなさまのなかにも、わたしと同じような感情不要論を掲げる方が、おそらくいらっしゃることでしょう。
つらいよね、自分で意識しないようにと徹底していたとしても、視界にちょっと入っただけ、耳にちょっと入っただけで、自らの意思とは関係なしに感情は沸き起こってくる。
勝手に沸き起こる感情に、わたし自身は振り回されて、ひどく疲れてしまう。
別にね、感情的なわけじゃないんだよ。ここらへんの説明をするのは骨が折れそうだけど、感情的なわけじゃない。
確かに自分の感情をコントロールするどころか、感情に振り回されているけど、それを他人にぶつけることはごくごくまれだから。だいたいはニコニコしながらか、真顔のままそれを飲みこんでいるから。
そもそも、ほんとうに心から信頼している人間にしか感情を見せないわたしだから、喜怒哀楽の波が荒れ狂っていても、自らの内に押しこめられてしまう。
感情に振り回されるくせに、感情のキャパシティはたぶんそこらへんの人間より大きい自信がある。
もう表現がめんどくさいよね。感情のキャパシティってなに? スピリチュアル?
伝わる人にだけ伝わればいいです。万人に理解されるとは露ほども思っていないので。
きょうはもう疲れた。
文章をなんとか絞り出しているけど、うまく絞り出せない自分にもイライラしてきた。
今回はここまで。おつかれさま。
みなさま、よい感情ライフをお過ごしください。