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【HSP】生きる理由を他人に見つけがち

みなさんは、なぜ生きているの?
家族がいるから? 
やりたいことがあるから? 
生きていて楽しいから?
わからないけど、それぞれ理由があるとは思うのです。

これはわたしの自論なんだけど、積極的に生きている人間って、実はそんなに多くないと思う。
実際、わたしもそうだし。
生きているというよりかは、仕方なく生きている感覚。
違うか。
死ぬと迷惑がかかる人がいるから生きている
多くの人間がそうだと思う。
「精いっぱい生きるぞ!」「やりたいことやりつくすぞ!」なんて目をギラギラさせて生きている人間って、思っているより少ないんじゃない?
ただそういう人間たちのほうが日の目を見ることが多いから、「やっぱり前向きに生きている人のほうが多いんだ……」って錯覚しているだけ。

勘違いしてほしくないのは「死んだほうがマシ」とか「さっさと死にたい」とか、そういう希死念慮を謳いたいわけじゃないってこと。
いや、希死念慮はずっと持っていたりするんだけど。
あくまでも、わたしは前向きに生きる理由を見つけたいってだけ。
それが見つからないから困っている。




なんでわたしが生きる理由を見失っているのかというと。
最近になって実家に帰るのが億劫になってきたから。
これまでのわたしは、とにかく実家の両親に恩を返さねばならない、と考えていた。
INFJ特有の思考回路なのか知らないけど、御恩と奉公互酬性とやらをやたら大事にする考え方をしている。
だからこそ、幼少期の親との関係でいまも苦しんでいるけど、社会に出るまで特に不自由なく生活をさせてくれた両親には恩を返さなければならない
ふたりにとってわたしが第一子であることも手伝っているけど、最終的にはわたしが家をどうにかしないといけない。
いつしか、わたしが責任を持って両親に添い遂げることがあたりまえ、という思考になっていたのだ。
言い方を変えれば、それがわたしの生きる理由になっていた

ところが。
最近になって、実家に帰ることが億劫になっていた。
両親やきょうだい、親戚に気を遣うことがめんどくさくなってきた。
育ててもらった恩もあるし帰省するだけで喜んでもらえるなら、とちょこちょこ実家には帰っているんだけどね。
なんというか、自分が年を重ねたり、社会に出ていろんな人間を見ていったりすると、昔は気づかなかった両親の嫌なところが目に付くようになる。
それを見るのが嫌で、学生のころは帰省のたびに泊まっていたのが、最近は泊まらずにその日のうちに帰ることが多くなってきた。
まあね、実家にいたところですることもないし、家族に気を遣わないといけないし窮屈だってのもあるんだけどね。
とにかく実家から足が遠のきつつあるってハナシよ。

そうなると、わたしの生きる理由の大部分を占めていた「両親に恩を返す」という根幹が揺らいでしまう。
両親に恩を返さないとなると、わたしの生きるべき理由がほとんどなくなってしまう。
だから、いまのわたしの生きる理由は「学生時代の借金を返す」こと。
借金こそ他人に迷惑をかけるの典型でありまして、おいそれと死ねないわけでございますよ。
でもそれって、生きているというより、生かされているんだよ。
何年か先の未来に、借金を完済したあとのわたしはどうなっているんだろう。
ほんとうに生きる意味を見失っていそう。
いまでさえ、借金の返済のためだけに生かされているっていうのに。




思い返せば、わたしは誰かに報いるというカタチでしか自分のモチベーションを保っていなかった。
学生時代の部活もそうでしてね。
「お世話になった先輩がいるから」「わたしを必要としてくれた先輩がいるから」と求められることにひたすらガムシャラに応えていた。
こんなスタンスだったから、いざ自分が最上級生になると途端にやる気を失って部活から足が遠のくタイプだったんだけど。なにせ報いる相手がいないから。

こんな人生を送ってきたせいで、自分の人生についても誰かや何かに報いるカタチじゃないと前向きになれない
で、現状わたしには家族以外に報いる相手がいない。
その家族とも、最近は会うのが億劫になっている。
空っぽなわけよ、わたし。

毎日毎日、職場で言葉の通じない高齢者を相手にストレスフルなお仕事をして、家に帰れば明日のお仕事の準備。
ストレスや疲れが限界に到達すれば高熱をぶっ放し、誰が看病してくれるわけでもなくひとりで快復に努める。
毎月決まった日にその月の返済分が口座から引き落とされ、しっかり引き落とされているかを確認するだけ。

こんな人生、生きている意味ある?
わたしだって、どうにかしたいと思っているんだよね。
「生きていればなんとかなる」「生きていればいいことある」って言葉はNGです。
そういう無責任な言葉は嫌いなんだ、わたし。




前向きな理由を見つけるためには、とにかく他人軸で生きることをやめなくてはならない
自分のためじゃなくて、他人のために生きているよね。
でも、他人ってわたしが思っている以上に他人に興味がないからさ。
いくらわたしが粉骨砕身全身全霊を尽くしたところでそれに気づかないわけよ。
まさに骨折り損のくたびれ儲け。
ありきたりな言葉だけど、自分を愛せるのは自分だけなんだよ。
その肝心要のわたしが、わたしじゃない他人だけを見ていて楽しく生きられるわけがない。

自分自身に生きる理由を見つけられないなら、外に生きがいを見つけてみる?
アイドルとか、アニメとか、Vtuberとか。
そういうのを好きな人間がどんな人生を生きているかは知らないけど、推し事をしている彼ら彼女らはとても充実しているように見える。
わたしにも、そういう存在が必要なのかもしれない。
でも、人間を推すのはちょっと怖いかな。
いつ消えるかわからないからね。

なんだか愚痴っぽく、湿っぽくなってしまった。
いまのわたしのテンションってこんな感じだから許して。
定期的にやってくるヘラ期ってやつ。
そのうち元気になる。たぶん。

今回はこんな感じ。おつかれサマー。
アカツキジャパン残念でしたね。河村くんはひょっとしたらNBAでもそこそこ頑張れるんじゃないかと思わせる大活躍でした。
みなさま、よき推し事ライフをお過ごしください。