見出し画像

0から花束屋を始めて4年

『人生を変えたい』そう本気で考えるようになったのは、大学3年生の頃、就職を意識し始めた時期でした。

僕は生まれつき「人と異なること」が好きで、誰かが右に行けば左に行く捻くれ者でした。

名前の『健汰』も健康で淘汰されない才能を持った人になってほしいという願いと人と異なっても良い(当時は「健太」が主流)という想いが込められていると両親に聞いたことがあります。

「人と異なる」才能に気付いたのは、小学2年の頃、全校生徒60人の学校でほぼ男子全員が入っていたサッカークラブを辞めて別地域の野球チームに入団した時です。

県で優勝するようなチームでレギュラーを勝ち取り、運動神経は鰻登り、学校の持久走大会、縄跳び大会は圧勝。中学でも1年生からレギュラー、3年生ではキャプテン。

加えて地域でトップクラスの塾に通い始めたことから成績も中学3年間までトップ5は当たり前。

人と違うことをすると、勝てる。
大きな大きな成功体験になりました。

ですが、高校野球が僕にとって問題でした。
160㎝55kgの小さな体なのに、ホームランを打つ練習ばかり。走塁は単なるスピード勝負、守備は体力勝負。

僕は高校生活で、得意なことをレベルアップするのではなく、不得意なことを平均値にすることばかりをしてしまいました。

当時はそんなことに気付くわけありません。そうしていくうちに得意なことすらも周りに追いつかれ、能力は落ちました。大好きだった野球も大嫌いになってしまったのです。

今だから言えることですが、

具体的⇄抽象的の視点の切り替えが当時からできていたら、すっぱりと野球を辞めていたと思います。もしくは転校して別の環境で野球を続けたか。

僕が嫌いなのは野球(具体)ではなく、
不得意を平均値にすること(抽象)です。

具体と抽象についてはこの本がおすすめ


僕自身が「具体⇄抽象」の考え方ができるようになったのは大学3年生。

大学時代は生まれ育った茨城から出て、東京で一人暮らしをしているというホクホクで2年間を過ごしました。


そのくらい僕の人生は「人と異なること」に幸せを感じていたんです。


ですが、そんな自己満な人生はいつまでも続くことはなく、最大の壁にとうとうぶつかることになってしまうんです。

就活。同い年の全員が足並みを揃えさせられる瞬間が近づいてきたのです。

僕は必死で探しました。
人とは違う、有名な企業を。

矛盾でしかないですよね。有名な企業に行ってマウントは取りたいのに、人と違うことをしたい。

行かなきゃいけないものだと思って参加した100社合同説明会では自分と同じ黒いスーツに黒い革靴、少し口角を上げていかにも『僕はできるやつですよ』と言わんばかりに堂々と歩く人が5000人くらいいました。その中に僕もいました。

大学生活で唯一自慢だった教員免許も大勢の人が持っていました。ちなみに先生にならなかったのも「人と異なる」ためです。

僕は初めて、自分はone of themだと自覚しました。人とは異なる存在でありたいと心から願っていましたが、実際には井の中の蛙。もはや平均以下。2度目の挫折です。

絶望感とやるせなさ、平均以下だとは思いたくない自己承認欲求でおかしくなりそうでした。いや、なっていたかもしれません。

それが大学3年の3月、もうすぐ4年生になろうとしていた頃の話です。

とにかく、手当たり次第に始めました。
平均以下の劣等生だと思われたくなかった(当時の素直な気持ちで書いています)ので就活や大学生活も変わらず送りながらでしたが、

とにかく、何者かになるために必死でした。
自分だけの個性を、オリジナルな肩書きを、アイデンティティを、そんなことに飢えていた気がします。

旅行ブログなどの執筆活動、プログラミング、パソコン作業、インスタ運用など好きなことや始めやすいものから手当たり次第やってみましたが、

どれもそこまで成果が出せず、「世の中の需要に合うことをしないとダメだ」と知ったんです。需要を意識し始めたのはその頃です。

できること・やりたいことではなく、
世の中から求められていること。

ビジネスの根幹に気付き始めたのが大学4年生の5月。

その時に大流行したのが優里さんの『ドライフラワー』という曲でした。それと一緒にドライフラワーも大流行。


運良く僕も、青山にある当時1番インスタのフォロワーが多かったドライフラワー屋さんに彼女に連れて行ったもらったのが、紛れもない人生の分岐点になりました。

可愛いドライフラワー花束はたくさんあるのですが、どれもウェディング用の大きなサイズの花束ばかり。価格も15000円と、一般大学生の『好きだから買いたい』にしては大金すぎて手が出ませんでした。

ですが、バラ売りなら1種類1500円で買える値段だったので、5種類ほど買って彼女と家で花束を手作りすることにしたんです。

大きな花束ではなく、手のひらサイズの飾りやすい花束を。それが、『Soeru 手のひらサイズの花束屋さん』が産声を上げた瞬間でした。

世の中に「小さなサイズの花束があったら…」という需要があったかはわかりませんが、少なくとも僕にはあった。

タイミングに運が重なり、そして僕の経験からの気付きが加わり、花束屋はスタートしました。

厳密には、その後にギフト産業やハンドメイド業界の盛り上がり、そして競合を調べて『いける』た判断したから販売を始めたのですが。

『お花好きなんですか?』とよく言っていただけるのですが、好きになったのは後発的で、実は「人と異なること」なら、なんでもよかったんです。

たまたま挫折して、
たまたま自分を変えたくて、
たまたまドライフラワーが流行し、
たまたまブルーオーシャンな需要に気付き、
たまたま販売できる環境が整っていて、
たまたまコロナ禍で暇だった。

偶然が幾度となく重なっただけですが、それは僕が本気で願い、考え、行動したからこそ得た未来。

そんなこんなで、0から花束屋をスタートしました。それがざっと4年前。

まだまだ道半ばですが、軌跡をnoteにまとめていこうと思います。こう見えて、誰とも違う人生を歩んでいる自信があります。

僕の成長とブランドの成功と失敗、できる限り言葉にしていこうと思います。ぜひこれからも読んでみてください。

この記事が参加している募集

自己紹介

仕事について話そう

皆様からいただいたサポートは、たくさんの人を花束で笑顔にするために使わせていただきます。