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ひとり旅をするおたく~伊豆大島一周編~#4

(八)
 再び来た道を戻り、一周道路に戻ってきた。おじさんの車からは、山の坂を上がりきったあたりで降ろしてもらった。

「後は大方下りだから、自転車で降りていったら気持ちいいと思うよ。あと半分ぐらいがんばってね」

 おじさんはそう言って手を振って道の先へと消えていった。再び山道に一人取り残されて一瞬心細くなるが、それもすぐに吹き飛んだ。なんだか大地から壮大なパワーを貰えた気分だ。私は再び自転車のペダルに足をかけた。  平坦な道を少しだけ進むと、確かにだんだんと下り坂になっていった。最初はゆるやかに、しかしどんどんスピードが勢いがついていく。

(あっ、海だ)

 森を抜けて、視界が開けた。下にはうねうねと続く坂道。ずっと山道だったので海を近くで見るのもご無沙汰な気がする。

 私はその勢いのまま、うねうね道を急スピードでかけ降りた。ジェットコースターのように風を切って前に進むのは相当気分がよかったが、今考えると結構危険なことをしたものだ。スピードに耐えきれずにガードレールにぶつかったら最後、眼下に広がる海に真っ逆さまに落ちていたのだから。

東京都とは思えない青い海

 幸いそんな事故は起こることなく、海側の道を少し進むと小さな道の駅が見えてきた。道の駅と言っても、簡単な食事が取れる小さな売店のような規模のお店兼、休憩所だ。

らしき数人の客が外のベンチで休んでいる。私も自転車を降りてそこでおにぎりと漬け物のセットを買って店内で食べた。走り続けて午後二時過ぎ、やっとの昼食だった。

 お店は年老いたおじいさんとおばさんが切り盛りしていた。おじいさんの「一人で自転車でここまできたのか?」という問いに「そうです」と答えると「危ないだろう、あの坂で転んだらどうするんだ。大けがをしてからでは遅いんだ」と怒られた。あの坂とは先ほど下ってきたスピード坂のことを指しているのだろう。最初はチャリダーの楽園とまで言われているここ大島で今更何を…と思ったが、確かに自転車のこともろくにわからない、準備もしていない、パンクしたときの対処もわからない私がこうやって一人で走っているのは結構危険なことなのかもしれない。少し反省をする。

 おじいさんは暇を持て余しているのか、どれ自転車をみてやろうとお店の裏の倉庫から工具を持ってきて、私の乗ってきた自転車をいじり始めた。

 丁度ペダルのねじがゆるんでいるのが気になっていたので、暫くされるがまま様子を眺めていた。しかし工具の中の針金がおじいさんのガサガサの手に刺さって血がダラダラ流れ出したのを見てぎょっとして胃が縮こまった。

 それでも作業を続けようとするおじいさんに私は慌てて「自転車はなんとかするので大丈夫、とりあえず手当してください」と言う。なんだかとっても申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまい、おわびでもなんにもならないが売店でもう一本ミネラルウォーターを買った。

 びっくりした私はその後すぐ逃げるようにその休憩所から出発してしまったが、自分のせいで怪我をさせてしまったのだからもっと声をかけてあげればよかったなあ、もっと感謝の気持ちを伝えればよかったなあ…なんて後悔が魚の小骨のように小さな棘となってここに残り続けている。

 それはきっとこの旅の記憶と共にこれからも残り続けるのだろうな、と思う。

(九)
 海側を離れて集落とも森とも言えないような狭い道を暫く走っていくと、道路に面した巨大な壁が視界に入ってくる。切り株のような模様が印象的だ。

 大島の名所のひとつである地層切断面である。おそらく長い長い歴史が育んだ芸術品なのだろうが、歴史に疎い私には大きなバームクーヘンにしか見えない。ただそんなバームクーヘンも夕日を浴びてオレンジに光っている姿は結構美しい。一応写真を撮っておく。向かい側から来た島内のバスも、観光客の為に写真を取れるように一時停止してくれていた。バスの窓から数人がカメラを手に乗りだしている姿がシュールだ。

 バームクーヘンを横目に走り続けると、再び海沿いの道に出た。今朝出発した元町の気配が近づいてきた気がする。島の西側に再び戻ってきたのだ。

 大島一周がおよそ七十キロだと聞くから、ここまで来るのにおそらく五十キロは走ってきているだろう。距離で言うと東京駅から神奈川の鎌倉あたりまで。当然全身の筋肉がガタガタだった。

 そんな状況でも豆粒みたいなゴールを視界にとらえることが出来た途端、元気が湧いてくる。身体中の飛び散った余力の欠片みたいなものが再び足に集結してぺダルを踏む力となる。それが本当の力なのか、はたまた空元気なのかはわからないが、その力のおかげで前に進めていることは明らかだった。最初は跨っている姿勢もあっているのか不安だったこのマウンテンバイクも、長年連れ添ってきた友のような感覚になってくる。町に着いたらこの友人ともおさらばしなければならないことを考えると寂しくなった。

 そんな哀愁に身をゆだねながら海沿いの家なみを抜けていき、またしばらく走る。そうして午後十六時を過ぎた頃、私はまたスタートの元町港へと戻ってきた。

 確か朝七時に出発をしたのでおよそ九時間の旅である。長かったような、短かったような、辛かったような、思ったより簡単だったような、とても辛かったような気がする。達成感よりも疲労でどうにかなってしまいそうだ。でも何かを一周するという最初の目標は果たされたのだ。これで私は伊豆大島自転車一周女の肩書きを手に入れることが出来た。(途中で少し車に乗せてもらったりズルもしたけれど)

 ANAのおじさんにアドバイスをもらったので港の目の前の大島観光案内所(十六時半で閉まる為ギリギリ)の窓口に宿泊支援の申し込みをしに行った。少し前の大雨災害の関係で、都が観光客の援助をしてくれているらしい。なんでも宿代が半額以上割引になるとか。簡単な書類を書いた後窓口の女性に宿泊援助チケットを渡してもらった。私が泊まる予定の宿は簡易的なカプセルホテルで宿泊費も元々かなり安いので、このチケットが使うとなんと千円ポッキリで泊まれてしまうという。果たしてそんな上手い話があっていいのだろうか。半信半疑のまま観光案内所を出た。

 その後気力を振り絞ってマウンテンバイクを店に返しにいく。残念ながら朝会話をかわしたおばさんはおらず(一周完走を祝ってほしかった…)おばさんの息子とおぼしき青年が鉄パイプ椅子に座って店番をしていた。暇そうにしていた青年に自転車と鍵を返却し、大冒険を共にした半身はこうして元いた場所へ戻っていった。私には重たいリュックだけが残された。

#5へ続く

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