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カウボーイはじめました?

小さい頃 アメリカのTVドラマで憧れていた「カウボーイ」のワイルドな生き方、大学に入る頃にはすっかり忘れてしまっていたのだけれど、思わぬところで思い起こすことになった話。当時アルバイト先に服のデザイナーになる事を「夢」見て毎日学校に通いながら作品を作っている姿を見ていて、自分にもこんな「情熱」を注げるような事があったらいいのにと思っていた。

その頃は毎週面倒なレポートを作成したり、授業に出ないクラスメイトの代返をしたり、週末はアルバイトをしながら毎日を過ごしていたし、将来は会社に入ってまあそこそこの人生で終わるのかな、という漠然とした未来を描きながらも毎日を「こなす」生き方をしていた。そんな毎日に終止符を打つ事件が起こった。確かその日はクリスマスイブだったと思う。当時は毎週末アルバイトで、長期休みもアルバイト三昧だったからクリスマスも正月も基本は働いていた。22:00過ぎにアルバイトを終えて従業員口から外を出て帰宅しようとしていたところ、偶然その子とバッタリ会ったのだが、とてつもない笑顔で、「これっ私が作ったコートとリュックなんですよ」と言いながらぐるっと回って見せてくれた。この出来事が当時の自分に「衝撃」を与えて、その後、アイルランドに渡航するターニングポイントになった。

同じ年齢で彼女は「夢」を追い、それを掴もうとしている。自分は「平凡な毎日」を消化していく生き方。その日から自分は本当に「何者」に成りたかったのだろうという「葛藤」が始めることとなったのだが「決断」をするまでにさほど時間は掛からなかった。

翌年の夏、アルバイト先は大掛かりな改修工事でクローズとなり、その子とも同じ場所で時間を共にすることは無くなることがわかっていた。彼女は別のアルバイトを続け、きっと服飾専門学校を卒業してデザイナーになり、私は所謂どこぞのサラリーマンになって生涯を終えることが、そのまま進めば決まっているようなものだった。当時はその「現実」から逃げたかったし、学歴社会で大学を捨てるということが何を意味するのか、その「恐怖」も十分過ぎるほど感じていた。

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あの夏から1年後、私は大学を捨て、アイルランドの大地を踏むことになるのだが、そこまでの1年は本当に様々なことが起こった。「カウボーイ」になるなんて、とんでもない決断をしたにも関わらず最後まで自分の意志を尊重し、サポートしてくれた祖母、両親、おじさんとおばさんには本当に感謝している。

アイルランド滞在記

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この本には当時に思い出がいっぱい詰まっている。出会った人からコメントを集めた本なので日記ではないのだが、今でも当時の記憶が鮮明に蘇る。アイルランド滞在中は、Dollyファミリーにもお世話になった。尽きることがないほど、たくさんの挑戦と経験をしたし、ストーリーがある。その1つ1つをいつか文字に残したいと思っていたからコツコツと書き留めていこうと思う。

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アイルランドへ渡航した当時、私は「馬」には乗れたが、実は理系だったこともあり、「英語」がさっぱり話せなかったし、全く誰とも会話が成り立たず、アイルランドの西の都市で「Galway」という町にある「Bridge Mills」という語学学校に通うことになる。欧州の学生達は16~20歳ぐらいで近隣諸国の英語圏に短期留学をして実は英語を習得することが多い。そこで出会った仲間たちと週末にプチ旅行を計画したりしてアイルランド国内を見て回った。イザベル、マリットはスイス、ハロルドはドイツから短期留学していた。後日談になるが私のスイスの友人(この後出会う)は郵便局に勤めており、そこの局長の娘さんが実はイザベルということが、数年後、私がスイスに滞在していた時に発覚。彼女は私が日本に戻った後、もう1度アイルランドに戻ってきたということも語学学校の校長から聞いている。この緑の大地で起こった出来事は結局その後の自分の人生を大きく変えることになった。

夢を追うということ

アルバイトの子は服飾学校を首席で卒業、デザイナーになり、それから数年後、私もアイルランドの地で自らの「夢」を果たすことになった。人の生き方なんてどこでどうなるのか誰にも分からないから、自分が信じる道を突き進んだらいいのではないかな、と思うのです。

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