勉強ってのは”伏線回収”だ!~数学編~
おもしろいタグがあったので、
このタイトルでシリーズものを綴ってみようとおもいます。
今日は #数学がすき です。
まぁ「好きかどうか?」って訊かれたら、「別に嫌いではないです」くらいの感じですけどね 笑
以前も何かの記事で書いたような気もしますが、
私にとって数学は「それなりに出来るから好き」くらいのものです。
それなりっていっても、自慢できるほどのレベルではないので、悪しからず。。。
■数学的思考は万能
数学の問題を解いていく過程で要求されるのは
「論理性」と「整合性」です。
「Aを仮定するならば、Bという現象から、Cという結論が得られる」
「もしAの仮定が誤りであるならば、Cという結論も誤りである」
と言ったような、独立して記述されると
「そりゃそうだろ!」と反発したくなるような普遍的表現ですが、
この数学的思考はどんな場面でも使われます。
特に第3者に対して説明する場合は重用します。
「XさんはAと言っている」
「YさんはBと言っている」
「データではCという結果が得られている」
といった”事実”から正しい”解釈”を導き、それを伝える
という場面においては、「論理性」と「整合性」が強く求められます。
これがきちんとしていないと、
「何言ってるのかがわからない」
「なんでそういう結論になるの?」
「それってあなたの意見ですよね?」
みたいなリアクションを受け、
情報の発信側も受信側もイラッとする、
という地獄絵図が生まれてしまいます。
■異なるアプローチで正解に近づく、という方法
数学の難問や証明問題を解く過程において採用されるのが、
この「複数のアプローチをとる」という方法です。
「数学は正解が一つ」という考え方は
厳密にいえば異なっています。
正確には「数学は”目的地”が一つ」なのです。
特定の目的地(=解)に対してのアプローチは
たくさんあっても何ら不思議ではないのです。
一方、サイエンス分野では”目的地を探す”ということが
主目的であることが多いので、ちょっとニュアンスが違いますね。
数学において特定の問題を解く場合、
それに至る過程の是非は問われていません。
その解法が論理的に整合性が保たれているのであれば、
なんら問題はないのです。
これはビジネスやプライベートでも使える考え方です。
例えば「Aという方法でBという結果を得た。コレが間違っていないか確認したい」という課題を考えましょう。
通常のアプローチとしては、
・Aという検算方法に誤りがないか再確認する
というのが一般的かと思います。
これに加えて、
・Cという検算方法でも、同じくBという結果が得られる
という結論があればどうでしょう?
Bという結果に対する信用度は格段に上がることになります。
■数学は役に立たない、なんてことはないんだ!
もう何度聞いたことでしょう。。。
毎度悲しくなるとともに、切なくもなります。
コレに対しての私の意見は、
「数学を役に立てられないような人生なんですね~」
というものです。
思うけど言いませんよ。もちろん。
角が立つだけですし。。。
本記事のタイトルにあるように、
学問は大体が伏線回収です。
「あぁ~!こういうところに使われてるの!?」
「あれって、こういう意味だったのか!!」
みたいな知的好奇心が満たされる瞬間が
少なからず皆さんあるかと思います。
これって、特に年齢を重ねれば重ねるほど得やすい経験なので、若い皆さんには伝わりにくいっていうのが悩ましいですね。。。
いわゆる「役に立つ知識」では無いものほど、この傾向が強いものです。
だって「役に立たないからこそ、普段気づきにくい」ので、
当り前っちゃ当り前ですね。
若い頃は、受験・就職と期限が明確に区切られているイベントが多く存在しています。
大人になると、子どもがいれば別ですが、結構区切りが曖昧になってくるものなのです。
「OO歳までにXXをやるぞ!」
みたいな課題って、状況にもよりますが、別に達成しなくても何とでもなるパターンが多いのですよ。
大人は区切りが曖昧になりがちだからこそ、
大人になってから色んなものを勉強したがるんだと感じています。
そして、そんな大人にこそ「パッと見、役に立たなそうな勉強」をおススメしたいと思っています。
大人が興味を持てば、子どもにも伝わるかもですしね。
最近ノーベル賞が話題になっていたので、
こんな記事を書いてみました。
次は化学か生物について書いてみようかと思います!
おにぎり紳士🍙
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?