褒められた言葉を素直に受け取る謙虚さ。へりくだることが、謙虚ではない。

後悔とか失敗とかどんだけしたっていい。しないほうがいいことは、自分に対してマイナスの評価を下すことだ。自分はダメなやつだ、とか、無価値なヤツだ、とか。

後悔したとして、いや全然オッケー人間なんてそんなもんだし、それでこそオレってもんでしょ。と思えたらそれでいい。どんなことが起きても、自分の身にふりかかっても、それをマイナスに評価しない限りオレたちはきっと大丈夫だ。

謙虚を履き違えた自虐や自己卑下を、本当によく見かける。人から褒められて、「いやいや自分なんてそんな褒められたもんじゃないですよ。ブスだしデブだし」みたいなことを言う人が多い。

謙虚っていうのは、自分の客観的な評価を素直に受け取る姿勢だと思う。へりくだることじゃない。だから、人から褒めてもらえたら、「ありがとうすごく嬉しいです」って態度が謙虚そのものだとオレは思う。モテるなら素直に「モテます」というのが謙虚。モテまくってるのに「全然自分なんて、モテてないですよ。大したことないです」って謙虚じゃなくて、そりゃもう嫌味やで。

それは、さておき、謙虚さを美徳としている世の風潮あってか、それを履き違えて無意味にへりくだったり自虐に走ったりする人が本当に多い。オレもかつてそうだったけど今はやめた。何故なら、自分が自分に対してマイナスな評価を与えたり、わざわざ自分の価値を下げる発言は、何も生み出さないどころか、マイナスにしかならないから。

いったい、どうしてこんなに自虐、自己卑下が世の中に溢れているのだろうか。それは簡単に答えを出せないけど、自分が幸せになってはいけないと思ってる人が多いような気がする。満たされてはいけないと、無意識に思ってるひと。

そんなひとを褒めたところで、「えっ、いいのかな…自分なんかがそんなに褒められて、いやいやそんなはずない。申し訳ないそんな褒められるような人間じゃないのに。なんか申し訳ない」みたいに思われたりする。別にいいのにな。

自分で自分の価値を損なうことに慣れてしまうと、他人の言葉や感性も尊重できなくなる。褒めてくれた相手に、「いやいや、そんなことない」の否定を返すのは、自分のことを素晴らしいと伝えてくれた相手の「言葉」と、そう感じてくれた相手の「感性」を否定していることと同じ。

自分の価値を自分で損なう、言い換えれば自分を大切にできないヤツが、他人のことを大切にできないのはそういうわけだ。その文脈で、他人を大切にすることと、自分を大切にすることは同義。無意味な自虐、自己卑下がクセになって慣れきってしまってるひとには、もっとまずは自分から大切にしなよ、と言いたい。

褒められた言葉を素直に受け取って喜ぶ。だって嬉しいでしょ?褒められたら。オレは嬉しいもん。ありがとう嬉しいよって、伝えたらいい。自分のことも相手のことも、履き違えた謙虚さで簡単に否定しまわないように。




あ〜、金麦飲みてぇなぁ