見出し画像

人格詐称 第八章

🌿話の始まりのプロローグはこちらから

第八章 実行された約束

 西湖での遭遇から半年が経過していた。赤く染まった木々の葉がきれいな季節に入ってきていた。そろそろコートが恋しくなる頃である。優は、思い出していた、西湖での屈辱を。もう一人の優は、なんとしてでも反省させないと自分の存在意義がないと感じていた。凶器と場所は計画できたが、「どうやって」ということがまだ頭の中で整理できていなかった。どうやって必然的に誰が見ても事故と判断できるようにするのかを悩んでいた。相手は警官である。そう簡単には心を許さないだろうし、部屋の中にも入れないだろう。ここが、頭の使い所だ。空を見つめながら考えていると、一瞬のひらめきが優の頭の中に降ってきた。

 半年前のサイトにもう一度アクセスを試みる。やはり既に閉じていた。ということは場所を変えて掲載しているはずだと思い、根気良く探した。そしてヒットした。やはりあった。なんとメッセージは前回と同じ内容を流用していた。「もう生きていても仕方ありません。どなたか私の自殺を手伝っていただけませんか」一文字も違わない、同じメッセージだ。ならば、こっちもおなじ手口で誘い出してやると考え、インターネットメールで前回とは違うドメインを使ってメールアカウントを取得し、メッセージを送った。「近くに住んでるから手伝ってあげるよ。落ちあう場所と目標を指定して」と送った。返事は前回と同じで西湖の駐車場、車のナンバーは・232だった。その内容を確認した直後にメールアカウントを削除した。もちろん、この操作は、自宅からは実施していない。自宅から実施するとグローバルIPアドレスで場所がバレてしまう可能性があるからだ。一旦、西湖のそばまで車を走らせキャンプ場近くまで行き、フリーWiFiを利用して処理した。二段階認証にはプリペイドの携帯を利用した。念には念を入れることは重要だと知っていたのである。

 待ち合わせは今回も二日後だった。ここで、優はなぜいつも二日後なんだろうと思った。もしかすると、後ろについてきた白のクラウンは現地の刑事ではないのかもしれない。そのスケジュール調整で二日間が必要になっているのかもしれないなと感じていた。今回は、二日前から警察署を見張ることにした。これではどっちが警察かわからないくらいだ。そのとき優は、周りの慌てふためく姿が見られるならその方が楽しいかもしれないと考え始めていた。そう、待ち合わせの前日に決行することを決意した瞬間だった。

 一日が過ぎたが、例のクラウンはまだ警察署に現れていない。優の仮説は確信にかわりつつあった。優は夕方五時前に自分の車を女性警察官の自宅があるアパートに向かって走らせた。少し離れた場所で車をおり、靴にガーゼを巻きつけ足跡が残らないようにして徒歩で女性警官の部屋に近づいた。誰にも見られてはいない。玄関の前に立ち、ドアの鍵がピッキングで簡単に開けられそうな鍵だということを確認し、ガチャガチャと鍵穴に針金を入れてロックを外した。部屋に入って玄関をロックする。一通り家具の配置を確認する。入ってすぐはキッチンになっていてテーブルがある、横がバスルーム、奥の部屋がベッドルーム兼リビングのようだ。広さ的には六畳程度のリビングのように感じた。優に取ってはたまらなく狭い部屋に感じていたが、奥の六畳の部屋には予想通りにローテーブルが置いてあった。

 優は考えていた。あの女性は帰ったらまずバスルームに行くか、リビングに来るか。今はウイルスに敏感になっている時代である。優はまずバスルームに行くことに賭けることにした。日が落ちて部屋の中はだんだん暗くなる。キッチンとリビングの間を仕切る壁のリビング側で背を向け隠れて息を殺していた。キッチンからは死角になって見えない場所だ。

 女性警官は西湖の駐車場にいた。白いクラウンはやはり後ろからついてきていた。前回と同じだ、しかし、待ち合わせにはまた誰も現れてこない。またしても悪戯だったのかと思い、女性警官は申しわけなさそうに白のクラウンに乗っている刑事に謝っていた。どうやら白のクラウンにのっているのは自殺幇助に関わった人を逮捕する専門の警官のようだ。今回も前回と同様に先に白いクラウンは帰って行った。そして、女性警官が乗っていたマーチは警察署に戻って行った。そして、今日も空振りだったと報告しているのだろう。午後六時ごろになると前回同様警察署から女性警官は出てきたのだが、前回と違ったのは、同僚の警官が何か耳打ちしていることだった。しかし、優は女性警官のアパートに潜んでいるのでこのことを知る由はなかった。

 女性警官は自分の車に乗ってアパートに帰ってきた。中には優が待っている。鍵を入れてドアを開け、バッグをキッチンのテーブルに放り投げてそのままバスルームへ。優の読み通りだった。三十分ほどシャワーの音が聞こえていたのが静かになり、濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながらバスルームから出てきた。もちろん、自分一人だと思っているので、何も身に付けてはいない。完全に無防備な状態である。そのまま、リビングの方に来て、電気のスイッチを入れたとき、人の気配を感じていた。

「だれかいるの。もしかして次郎くん。ふざけないでね。こわいから」

 しかし返事はない。女性警官は恐る恐るリビングに足を踏み入れた瞬間、バスタオルで顔を塞がれ、体が重力によって床に向かって倒れていく感覚を感じていた。優は、左手でリングスタンドの尖っている部分を女性警官の左の背中に当てたまま、ローテーブルに向かって押し倒して行った。優はリングスタンドがローテーブルに接触する瞬間に左手が挟まれないように素早く女性警官とローテーブルの間から引き抜いた。女性警官の「うっ」という短いうめき声だけを耳にした。どんという音とともに、ローテーブルの上で仰向けに女性警官は手先と足先に小さな痙攣を見せながら全裸のまま息を引き取った。リングスタンドは見事に心臓を貫き、女性警官はほぼ即死だった。

 頭にはバスタオルを巻き、両手はそのバスタオルを持っている状態だったが、ふくよかな左の胸からリングスタンドの先端が赤く染まった顔を覗かせていた。優が、前回より安らかに死んだかなと思っているとき、玄関のチャイムがなった。同時に女性警官を呼ぶ声も聞こえた。

「おーい、恵子。来たよ」

優はまずいと思いベランダに向かった。ベランダからしか逃げ道はなかった。ベランダに出て窓を少しだけ開け、あたかも換気のために開けている程度の隙間に調整して、そのままベランダから音を立てずに、一階のベランダに降りた。幸い、一階の住人はまだ帰ってきていなかった。そのまま、アパートを離れ、自分の車に向かった。そして、車の中から双眼鏡で女性警官の部屋を監視するとともに、何も遺留品を残していないことを記憶の中で確認していた。ガーゼを巻いた靴のまま、部屋に入ったが、中ではさらにタオルを巻いていたので足跡も残っていないし、手袋をしていたので指紋もないはずだ。おそらく抜かりはない。

 しばらくして、女性警官を訪ねてきた男は合鍵を持っていたのか、しびれを切らして玄関の鍵を開け部屋に入った。そして叫び声が聞こえてきた。

「恵子ー、うわーっ」

 どうも女性警官の恋人のようだった。優は、冷静に、名前は「けいこ」という人だったんだと自分に話しかけた。長いは無用だと思い、そのまま自宅に戻って行った。自分でも、かなり上手く行ったと思っている。優のシナリオは、こうだった。

「外の花粉などを落とすために帰ってすぐシャワーを浴びた女性は、髪をバスタオルで拭きながら、リビングの電気をつけようとして、足を滑らせた。体は回転し、ローテーブルの上に仰向けに倒れ込んだ。しかし、運悪くそこには、円錐状の鋭く尖ったリングスタンドがあったのだ。偶然とは怖いものである。それが女性の心臓がある左胸を貫いてしまった。ほぼ即死状態だった。全くの事故死である」

 優は、自分の計画に酔いしれていた。完璧な二回目の完全犯罪だと。しかも、今回は前回と違い、準備に準備を重ねた周到な計画のもとに実行したものだったため、自信はあった。ただ、最後に訪問者が来たことは予定外だったが、おそらく問題はないだろうと考えていた。

 その頃、女性警官の部屋では、男が警察に電話をしていた。彼は山下次郎という女性警官の恋人だった。今日は一緒に部屋で食事をしようということでやってきたようだった。返事がないので、合鍵で開けて入ったら全裸で仰向けになっている恵子を見たのだった。そして、左胸から突き出ているリングスタンドを見て、こんなものを買うからだよと内心思いながら、そのまま警察の同僚に恵子の全裸を見せたくはないという衝動からか箪笥の中から下着を出して恵子に履かせ、パジャマの下だけを履かせた。胸はリングスタンドが見えているので仕方ないと諦めた。しかし、この行為が間違っていた。服を着せるために恵子の体は前後左右に動くことになり、リングスタンドはローテーブルに傷をつけ意図的にリングスタンドを背中から刺した後、ローテーブルに押し倒したような痕跡になってしまったのだ。程なくして、知り合いの警官と観察が到着した。そして観察は見破ったように、言った。

「死後に明らかに動かされています。これは、そばに第三者がいて動かした証拠です。他殺の可能性が高いです。ただ気になるのは、リングスタンドの刺さり方なのですが、刺したというより、女性の方がリングスタンドに向かって倒れて行ったとしか思えませんね。しかし、死後に動かされているのは確実です」

 次郎は申し訳なさそうに、釈明した。

「じつは、浦上恵子さんと僕は付き合っているのです。今日は一緒に食事をする約束だったので、訪ねてきたのですが、返事がないので合鍵で入って、彼女のこの姿を発見しました。しかし、その時は完全に裸だったので、なんとかしてあげようと思い、下着とパジャマを私が着せてしまったのです。申し訳ありません、現場保全は頭をよぎりましたが、それ以上に同僚に彼女の裸を見られることが耐えられませんでした。刑事失格です。申し訳ありません」

 鑑識も「そんな事情なら仕方ないかもな」と思い、その時点で他殺の可能性を否定し、事故であると結論づけた。したがって、この件は表沙汰にされることもなく、新聞の記事に載ることもなく静かに葬られることになった。家族への通知は次郎が買って出た。

 次郎は、全く疑うこともしなかった。ベランダが空いているのも、風を通すためだと思っていたくらいだ。まさか、第三者が侵入して殺害して出て行ったとは思わかなかった。取られているものもないし、前から刺されたわけでもない。それに玄関は施錠されていたということが人間の先入観を助長していたのである。

 優は、帰りの車の中で、思っていた。今回も完璧だったな。「やっぱり命って儚いものなんだな。きっと僕も一瞬で死ぬのかもしれないな。今回も楽しんだから、しばらくは大人しくしていようかな。そうだ、綾でも誘ってまたドライブしよう」一寸の反省もなかった。それどころか高揚感に酔いしれているようだった。

 夜遅くに家についた。なんとなく自分に嫌悪感を覚え、着ていた服を全部脱ぎ捨ててビニール袋に詰め、ゴミにした。そのままシャワーを浴びにバスルームに入った。

「そうか。あの女性警官もこうやってシャワーを気持ちよく浴びていたんだろうな。そして、バスルームから出た途端に僕の手によって一生を閉じてしまったんだな。ごめんね。でも僕を騙そうとした君が悪いんだよ」

 そう思いながら、鼻歌混じりでバスルームから出てきた優はバスタオルを腰に巻いて、バルコニーに出て冷たくなってきた夜風に吹かれた。

「はぁ、もう飽きてきたな。スリルを味わうのも終わりにしようかな」

 優の中にいるもう一人の優が心の奥底に消えていく感触を感じていた。そこに残されたのは、忌まわしい記憶を持たない優だった。もう一人の優が殺人の記憶を持ったまま心の中に閉じこもってしまったのだ。


つづく


この小説は、以下のマガジンとしてもお届けしています。


☆ ☆ ☆
いつも読んでいただきありがとうございます。
「てりは」のnoteへ初めての方は、以下もどうぞ。

#連載小説 #ミステリー #人格詐称 #創作 #小説

この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,870件

よろしければサポートをお願いします。皆さんに提供できるものは「経験」と「創造」のみですが、小説やエッセイにしてあなたにお届けしたいと思っています。