一家の顛末 3

相続というのは特に遺言が無い限りは法定相続と言って、亡くなった当の本人―被相続人という―の配偶者に半分、残りの半分は子どもたちで均等に分ける。
被相続人に配偶者がおらず兄弟・尊属もいない場合は子どもだけで分ける。そういう民法の規定がある。

義父も特に遺言を残しておらず、義父の妻も母親も既に亡くなっていたので民法の規定通り夫と夫の兄弟2人で遺産を分けることになる。

遺産を分割する話し合いをして両者の意見をすり合わせることを「遺産分割協議」といい、夫と夫兄弟は3か月以内に遺産分割協議を行うため話し合いの場を持つことになった。



遺産分割協議を始める前に入院中に義父から預かっていた通帳や保険証券、登記権利証を集めて財産目録を作成した。

1・預金
2・保険金
3・実家の土地家屋
4・山林
5・隣町の土地家屋

このリストを見ながら夫と夫兄弟にはどのように遺産を分けるか話し合ってもらう。
私は夫が財産を多くもらうか少なくもらうかにより経済状況が一緒に変わるので一応利害関係者にはなるが、相続人ではないので話し合いに口を出してはいけないと同席は遠慮することにした。



しかし1~3までの金融資産および容易に換金できる実家の土地家屋は「良い資産」だが4・5の山林と隣町の土地家屋は正直「負動産」である。

夫に問題の山林と隣町の土地家屋についてそれとなく話を振ってみたが、特に気に留める様子はなかったので色々と話を聞いてみたところ土地についてのリスクを正しく認識できていないことが発覚した。
つまり、「ただの土地でしょ?」ということであった。



とんでもないことである。
私は夫にそれぞれの土地の危険や年間かかる維持費、また売却が非常に難しいことを説明した。



まず山林。
この山林は交通量の多い市道わきにあり、好景気の時に周囲は宅地開発されたものの該当の山林は傾斜が急すぎて宅地としての利用が出来ず、そのまま市街地の中に取り残された「ポツンと山林」である。
それを裏付けるように山林の固定資産税は街中にあるにも関わらず格安であった。

そしてここからが問題なのだが、市役所のハザードマップで調べたところ所有の山林が真っ赤だったのである。
真っ赤・・・いわゆるレッドゾーンと呼ばれるもので、地震や長雨などで傾斜が特に崩壊しやすいと言われている「急傾斜地崩壊危険区域」という。がけ崩れに最大限警戒するべき非常に危険な土地ということだ。

グーグルのストリートビューで様子を見たところ傾斜が急すぎて不法投棄すらなかったが、植物の種類は竹が多く、まともに木が生えていないあたり過去に土砂崩れがあったことが偲ばれる。
付近には市役所が設置した「がけ崩れに注意!」の看板があった。

看板に書かれた区域名がちょっと気になったのでWikipediaで調べたら「地名は水の音が転じたものをつけられており」「竜神伝説がある」という大昔からガチガチの水難発生区域であり、本物を掘り当ててしまった恐ろしさで一瞬不整脈が起きた。
さらに北側には神社があり、山林は人が入れないようにフェンスでぐるりと囲まれている。つまりこの山林は神社の裏にある禁足地ともとれるわけで、どうしてこんな場所が出来たのか、どのように夫家に渡ったのか経緯も何もかもが不明の非常に気持ちの悪い存在である。

オカルト話はここまでにして、この山林で本当に恐ろしいのは、がけ崩れが発生して山林の下を通る市道を走行中の車が巻き込まれ死者が出たらどうなるかということである。
この場合誰の責任になるのか。土地の所有者の責任になる可能性が非常に高い。

たとえ適切な管理をしていても事が起これば問答無用で責任を問われる。それが土地所有の恐ろしさなのだ。
市道にあふれてしまった土砂の撤去費用も山林の所有者が負担することになる。

それで死者なんか出たら・・・人間一人の命、いったいいくら出せば贖えるというのか。
人間一人の命の値段は、裁判の判例上では1億円ほどになるが、それを払ったとして本当に赦されるものなのだろうか。



そして一番問題なのが隣町の土地家屋。
先日実際に現地を見に行ったところである。
立地をもう一度おさらいしてみよう。

この土地は交通量の多い市道わきにあり、市道から車一台通れるぐらいの狭い坂の両側に並ぶ小規模な住宅街の一つ目の区画の家になる。
土地に入り端まで移動するとブロック塀があり、ブロック塀の向こうは崖になっている。崖下は先ほどの市道だ。

土地の奥側は鬱蒼と竹と大木が茂っているが衛星写真で確認すると奥側にはもうひとつの崖があり崖下には普通の住宅がある。
土地には古い平屋が1軒、物置が1つ、古い井戸があるだけだ。

平屋は雨戸が全て閉まっており、長いこと人が住んでいないようだが外壁が不自然なほど綺麗なのは気になる。物置と井戸周辺は雑草が生えておらず土は固く締まっているので誰かが日常的に出入りしている可能性はあるだろう。義父のエンディングノートには利用者がいるかどうかは何も書いてなかった。勝手に住み着いたホームレスだろうか、でもこんな山の中に?または近隣住民の誰かが勝手に使っているのだろうか?

それにしても古くて簡単なつくりの家だ、勝手口のほうにはトタンで簡単に作った干し場がある。
これでは強い台風が来たときに飛ばされてしまってもおかしくはないだろう。

家自体はだいたい屋根から崩れ落ちていくものなので鍵がかかっている以上、巻き込まれる人はいないだろうが強風で瓦や干場が飛んで行って通行人やその家に被害が出ないか心配ではある。

だいたいイメージできるだろうか?
この土地はおおよそ長方形をしていて、市道から坂を上って土地の手前に入口があり、土地に入って右の市道側と土地奥側は崖になっている。
そして「崖」と表現した場所であるが、この崖は土砂崩れが起きないように「擁壁」というコンクリートの構造物が覆っている。

土砂崩れが起きないように覆ってあるから安心?
そうでもないのだ。この擁壁はとても古く、隙間から背の高い雑草がボーボーに生えており、いつ施工されのか分からない代物だったのだから。
コンクリートの寿命はメンテナンスを施さない状態ではおおよそ60年、日本のコンクリート建築物の代表である分譲マンションなどは平均68年で取り壊されるというデータもある。

ただ、これは建築物としての耐用年数であり、常に土と土中の水分に触れている擁壁の寿命は更に短くなっておおよそ50年になる。
土地に井戸がある通り、地下水脈がある場所なので地下水に触れている可能性も高いだろう。コンクリートにとってはすこぶる悪条件だ。

崖下の市道に立って私が見たところ、擁壁は少なくとも施工40年以上は経っていそうだ。大きなヒビや歪みは見た感じなさそうではあるが高さは7メートルほど、市道から見える部分だけで幅は60メートルはありそうだ。巨大な擁壁がとてつもない質量の土を押しとどめて、土地は形を保っている。

擁壁は3段構成になっており、一番下2メートルほどは大きな石を組み合わせた擁壁、その上にRC構造という鉄筋を入れたコンクリート擁壁が3~4メートル、さらにその上に1メートルほどのブロック塀という形だ。
擁壁が下から上まで1枚の構造ではなく3段というのも大きな懸念だ。どうしてこのような構造をしているのかいきさつは分からないが、最初に作られた1段目の擁壁の上にその場しのぎで2段、3段と擁壁を重ねているので強度にばらつきがあり1枚構造の擁壁よりも崩れやすいのだ。

擁壁の真下にはバス停があり、近くに複数の団地があることもあって乗降客が多い。
市道も交通量が多いし、近所の子どもが通学路として歩いている。朝晩のラッシュ時は相当な数の人と車が行き交うのであろうことは容易に想像できた。

耐用年数をとっくに過ぎた、危険な擁壁の下を大量の人間が何でもない顔で行きかう様子を思い浮かべて本当にゾッとした。
もしこの擁壁が崩れたら、それもラッシュ時に崩れたら、いったい何人が巻き込まれるのだろうか。そうなった場合、どのように責任を問われ賠償額は何億になるのだろうか。


そんなことはめったにないと笑う人もいるだろう。しかし形あるものは必ず崩れ去るのだ。平均気温も湿度も低いヨーロッパですら古城に莫大な額の費用をかけて必死に補修工事をしている。

補修の形跡すらないこの古いコンクリートがどれぐらい持ちこたえてくれるか誰にも分からないのだ。今崩れなくてもいつかは崩れる。
それが今日か明日か、10年後か50年後か100年後かもわからない。
その間、何もしなければ確実に崩れて被害が出る。そしてこれは持ち主が死んだら順当に相続されていく。


補修して保たせたらどうだろうかなどとも簡単に考えないでほしい。
そもそもがこんなに古い擁壁を補修しても、どれほどの効果があるというのか。
補修はあくまで補修であり、その効果はどう見積もっても擁壁の更新よりはるかに劣る。
仮に補修を施すにしても「失われた時代」と揶揄される不況時代に生まれ育った私たちには多額の借入が必要だろう。


ここまで詳しく書くと、山林も隣町の土地家屋も危険なものだということはお分かりいただけるだろう。
夫にも擁壁の寿命や危険性、損害が出た場合の賠償の種類や額は伝えておいた。

そして「義父の持病が悪化してからは夫がずっと入院などの対応をしていたから寄与分として夫が多めに貰うのは良いと思う。でも大きなリスクのある不動産がある以上、お金だけ欲しいというのはあまりに身勝手。山林と隣町の土地家屋をどうするか、兄弟とよく話し合って決めてほしい。」と伝えた。



迎えた連休。
夫の兄弟は遠方から実家へ話し合いのために来てくれた。
予め了解をとってはいたが、早々に遺品整理を終え空っぽになった実家を見回して義父が亡くなってしまった実感が出たのか神妙な顔をした。

しばらく近況を話し合い、昼食をとり、義父の部屋に皆で入る。
空になった部屋にはピアノだけが残されている。
このピアノは、夫兄弟のものだが売却したらお金になるのではないかということで遺品整理で処分せずに取っておいたものだ。
義父はこのピアノで夫兄弟の演奏を聴くのが好きだった。私の両親にもカセットに録音した演奏を聴かせたほどだ。

夫兄弟がピアノの椅子に座り、演奏をする。
モノが無くなってがらんとした広い家にピアノの音が大きく響き渡る。
レクイエムだ。これは義父への餞だ。
もしかしたら生前の義父がリクエストしていた曲なのだろうか。
このピアノを演奏している間は、親子というにはあまりに歪すぎた彼らの穏やかな時間だったのかもしれない。



いよいよ遺産分割協議をするということだったので、わたしは別室に移り掃除をはじめた。
実家の掃除はほとんど終わっていたものの、床に敷かれていたフリーリングカバーが何故かガムテープで直に張り付けられていたため床材にガムテープがこびりついていたのだ。

安売りされていたニベアをガムテープ跡に丹念に塗り込んでいき、これまた安売りされていた鉄の爪で床を傷つけないように慎重にガムテープの粘着を取り去っていく。

掃除は楽しい。作業すればするほど目に見えて成果がわかるのだ。
作業は地味で静かだった。
隣室で行われる遺産分割協議の声が丸聞こえになるほどに。



「じゃあ、失礼します。」
そう他人行儀に言って夫兄弟は丁寧に玄関のドアを閉めてはるか遠い自宅へと帰っていった。

それもそのはず遺産分割協議では不動産はすべて夫が相続し、金融資産は半分に分けることに決まったのだ。
そう話がまとまったので、実家は名実ともに夫所有の家となった。

夫兄弟はそのことを正確に理解して正確な言葉を選び、家から出て行ったのだ。
そして私も、夫兄弟に続いて家を出ていってしまいたい衝動に駆られていた。



山林と隣町の土地家屋、危険な土地をまるまる2つも夫が相続してしまったのだ。
この時の私の混乱ぶりは誰にもわかるまい。

その日はあまり記憶が残っておらず、気が付いたらとっぷりと日は暮れてシャワーと歯磨きまで済ませてしまっていた。


遺産分割協議の内容が頭の中でループする。
特に争いが起こったわけではない。押し付け合いもなかった。
本当に穏やかに、お互い話し合いが終わったのだ。

不動産はすべて夫が相続し、金融資産は半分にしたいと夫が申し出たのだ。
夫兄弟は夫の提案に頷いただけでしかない。



なぜそんなことになってしまったのか・・・頭を抱えて真っ青になる。
土地のリスクについての説明が足りなかったのだろうか?言葉を選びすぎてしまったのだろうか?何か策がある?それとも私の話などはなから聞いていなかったのだろうか?

色々な思いが頭をめぐる。
いつもそう。いつもそうなのだ。
私の言葉は徹底的に夫には届かない。

義父の鬼のような電話の時に助けを求めた時もそうだったし、私が退職する前には残業もしつつ働きながらすべての家事を負うのがあまりにきつく助けを求めた時もそうだった。



しかし、当人たちが合意して決まってしまった遺産分割協議は覆せない。今更夫を責めてももう意味はない。それこそ本物の愚問である。やはり私も話し合いに同席して改めて土地の説明をしておくべきだったのかもしれない・・・そう深く後悔した。

ここから、今回の苦難は本格的に牙をむき私の心身は短期間のうちにズタズタに引き裂かれることになる。

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