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「これまでの経験は、すべてわたしの財産」。15歳でホストクラブにのめり込んだ女性が、自分に目を向けて初めて気づいたこと

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10代にして、親に隠れてホストクラブに多額のお金をつぎ込んだ女性がいます。山中美果(やまなかみか)さん、現在はワンネス財団のスタッフとして働く20歳です。美果さんは、キラキラした夜の世界への憧れからホストクラブに足を踏み入れ、そこで使うお金を得るために、風俗の仕事を繰り返していました。

そんな彼女は、大量服薬(OD:オーバードーズ)をキッカケにワンネス財団に入所。回復プログラムの中で初めて真正面から自分自身と向き合ったことで、見える世界が変わったと言います。

ギャル、キャバ嬢、ホスト、夜……。幼いころからそんな世界を夢見続けた女性が、ワンネス財団での生活を通して見た新しい景色とはなんだったのでしょうか。ワンネス財団のメンバーが話を聞きました。

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山中 美果(やまなか みか)
2000年神奈川県生まれ。4人家族の長女として育つ。17歳で処方薬を大量服薬したことをキッカケに、ワンネス財団の女性専用依存症回復支援施設「フラワーガーデン」に入所。3年の回復プログラムを経て、現在はワンネス財団スタッフとして沖縄で勤務する。

愛されて育った自分の中にあったのは「人と違うことをしなければいけない」という強い思いだった

―美果さんの幼少期について教えてください。

一言で言うと、「めちゃくちゃ愛されて育った子ども時代」。父と母と弟との4人家族で育って、やりたいことはなんでもやらせてくれていたように思いますね。バレエ、ピアノ、学習塾と習い事もたくさんさせてもらっていて、親がわたしを愛してくれているというのは常に感じていました。

―そのお話だけ聞くと、「ホストに大金をつぎ込んだ」という経験とはかなりギャップがあるようにも感じられます。そこからどのようにホスト通いの日々につながっていくのでしょうか?

本当にいろいろあったから、「これがキッカケです!」と断定できるものは思いつかないかな。ただ、「人と違うことをしなければいけない」という強い思いはいつも抱いていました。

両親がわたしに対して「こういう大人に育ってほしい」という理想を抱いているのは、なんとなく感じていました。「美果のためにはこっちの方がいい」「こっちの方が向いている」と進学先を強く勧めてきたのも、親なりの理想があったからだと思います。でもわたしは、期待に応えたいと思いながらも上手にできず、劣等感を抱えていたんですよね。

その気持ちがどういうわけか「他の人と違うことをしないといけない。そうじゃないと私が埋もれてしまう!」という形で表れた。気づけば人と違うことにものすごく固執するようになっていましたね。

―他の人と違うこと?

そうです。たとえば小学生なのにピンクと緑のエクステをつけたり、渋谷の109で山ほど服を買ってもらって全身ゼブラ柄で学校にいったり……。「人と違うこと」をすれば周囲に対しての優越感を抱けたし、誰かよりも優れていると思えた。高校生のときにホストに通い始めたのも、「周りがあっと驚くようなことをやらなければ」という気持ちからでした。

―「周りがあっと驚くことを」の根底にあったのは、一体なんだったのでしょう?

劣等感……かな。というのも、当時、モデルで食べていきたいという夢があって、事務所に所属してレッスンを受けていたんです。でもなかなか結果につながらず、周りの友人はミスコンでグランプリを取ったり読者モデルになったりと、どんどん前に進んで行く。自分だけが取り残されているような感覚があって、「ここで周りをあっと言わせなければ埋もれてしまう」と思ったんですよね。それで足を踏み入れたのがホストの世界でした。

ホストクラブは優越感を満たしてくれる場所。親に隠れて多額のお金をつぎこんだ

―さまざまな選択肢がある中で、なぜエネルギーの向かう先が「ホストクラブ」だったのでしょうか?

もともとホスト、キャバ嬢みたいな「キラキラした夜の世界」に対する漠然とした憧れがあったんです。ホストにはイケメンがいっぱいいて面白そうだし、周りの大人たちからも「お前はホストにハマると思う!」って言われていたから、興味本位で足を運んだ。それが最初のキッカケでした。

初めの1回は正直、「つまんない!」って感じでした(笑)。だからこそ「ずっと憧れていた場所なんだから、本当はもっと面白いはずだ」という気持ちになってしまって――。少しずつ、ホストにのめり込んで行きました。

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▲17歳のころの様子。高額のお酒を注文することが快感だったという。

―「つまらない」と感じたものに、いつしかのめり込んでいくようになったのですね。

ホストって、超資本主義社会なんですよね。1番お金を使った人がそのお店の中で1番えらい。お金さえあれば可愛がってもらえて、ちやほやされて、優越感を抱ける。わたしにとってホストは、子どものころからずっと求めていた「優越感」を満たしてくれる場所だったんだと思います。

―簡単に優越感を手に入れられる一方で、そのためにはたくさんのお金が必要ですよね?

そうです。だから、家族に隠れて風俗で稼ぎまくる生活をしていました。ホストにハマり始めたころは稼いだお金を使ってちやほやされることが嬉しかったのですが、いつしか高額のお酒を注文して周りを見下す……みたいなことに快感を覚えるようになっていて。いつも誰かの一番でいたかったし、だれかにとっての特別な存在になりたかったんですよね。

処方薬のODをきっかけに、ワンネス財団へ入所。回復プログラムを経て手にした「わたしはわたしで良い」

―そこからどのようにワンネス財団へ?

両親は、家に帰らず学校にも行かなくなったわたしを心配していろんな人に相談をしていたみたいでした。

ワンネス財団に入所することになったのは、17歳のとき。もともと椎間板ヘルニアの痛みを紛らわすために鎮痛剤を飲んでいたのですがなかなか効かず、痛みを紛らわすために睡眠導入剤と抗うつ剤をODするようになったからです。SNSで見かけたキャバ嬢がODをしているのを見て親近感を覚えたのも、繰り返しODをするようになった理由のひとつだったように思います。

最初は正直、ODに対して何か期待をしていたわけではなかったんです。でもだんだんODで得る心地よさがクセになって、やめられなくなった。その様子を見かねた両親がワンネス財団に相談し、インタベンションにつながりました。

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▲インタベンションにつながる直前の写真。ODを繰り返し、身体にはホストとのトラブルによる生傷が絶えなかった。

―回復プログラムは順調に進んでいったのでしょうか。

いえ、そうではないです。だって、ワンネス財団に入所する直前まで、風俗で働いて、ホストに通って、ODをしてっていう生活をしていたんです。ワンネス財団での生活は、それまでの暮らしとギャップがありすぎました。

入所してすぐにワンネス財団を飛び出して「実家に帰りたい」と警察に助けを求めました。でもそのときに言われたんです。「児童相談所に行くか、ワンネス財団に戻るかのどっちかだよ」って……。それでもう1度ワンネス財団に戻ることになって。

―そこからは、どのような変化が?

ワンネス財団に入る前は、常に誰かと自分を比べていたし、誰かを負かして自分が特別な存在になろうとしていた気がします。でもワンネス財団に入ってからは、周囲に対して意識を向けるのではなく、「自分は一体何者なんだろう?」っていうことに意識が向けられるようになった。そしたら、人ってクルマみたいなもんだなーって思えるようになったんですよね。

―クルマ?

そう。たまたま手に取った本の中に「自分は自分の人生を選んでこの世に生まれてきた」って考え方に触れたことがあったんですよね。個人的に、その考え方がすごく腹落ちして。

それってクルマにたとえると、誰かはジープを選んで生まれてきて、別な誰かはスポーツカーを選んで生まれてきてるってことじゃないですか?それぞれに強みと弱みがある。スポーツカーが足場の悪い道を走れって言われたら難しいし、ジープがとにかく速く走れって言われても難しいはずなんです。

それなのにわたしは、できないことに目を向けてはそれを埋めようとして、めちゃくちゃ改造を重ねていました。でも、どれだけ改造しても持って生まれた車体は変わらないから、いつまでたっても満たされない。

回復プログラムを通して、そのことをちゃんと理解できるようになりました。そして初めて、人と違うことをしなくてもいいんだ、わたしはわたしであるだけで特別なんだと思えるようになったんです。「わたしはわたしのままでいい」と思うための最初の一歩は、ここで踏み出せたかな。

―「人と違うことをしなければ」という強い思いを持っていた美果さんが「わたしはわたしのままでいい」と思えるようになったのは、とても大きな変化のように感じられますね。

かつてのわたしは人と違うことをしないと自分のアイデンティティが保てないと思っていて、だからこそ、いろんな悪さにも手を出してきました。でもそれってたぶん、そのままの自分の良いところを見つけられていたら、やらなくて済んだんですよね。

自分の意見をハッキリ言えるところ、物事を言語化できるところ、核心をつけるところ……。ワンネス財団でそういう自分の強みを見つけられたから、もう「人と違うことをしたい」とは思わなくなりました

「わたしをまっとうしたい」本当の意味でキラキラした人生を歩むために

―美果さんは現在、ワンネス財団のスタッフとして働かれています。回復プログラムを終えて、スタッフとして働こうと思った理由はなんだったのでしょうか?

勢いと直感、それとノリ(笑)!ワンネス財団のプログラムを終えたら、地元に帰って慣れ親しんだ場所で新しい生活をスタートさせようと思っていたんです。そのタイミングで創業者の矢澤さんから「お前と一緒に実現したい世界がある。沖縄に来い!」って言われて。あーこの人なかなかわけわかんないなと思いながらも、単純に「面白そうだな」と思いました。

このまま実家に帰ってても、専門学校に通うなりバイトをするなり、なんとなく未来が見えている。でも、沖縄のワンネス財団で働くってなったら、全然先が見えないじゃないですか?見えない未来を想像したらすごくワクワクして、誘われた3日後には沖縄に行きが決まっていましたね。

フラワー卒業式

▲フラワーガーデンの卒業式の様子

―今後は、どんな人生を歩んでいきたいですか?

キラキラした人生がいいな、と思います。でもそれは昔のわたしが憧れていた夜の世界のような「キラキラ」じゃなくて、「今この瞬間」を味わって、心が満たされていて、世界の色が鮮やかに見えるような、そんな人生。

本当の意味でキラキラした人生を歩むために、わたしをまっとうする、わたしを愛する、わたしがわたしの一番の親友になって見捨てない……そういうことを大事にしていきたいですね。

わたしは小学生のころに、自分で自分を見捨ててしまったように思います。これから先の人生は、もう自分のことを見捨てない。ワンネス財団で見つけた個性と強みを生かして、見たことのない景色を見続けたいですね。

フラワー卒業式プレゼン

▲卒業式のプレゼンでは「好きなことで生きていく」をビジョンとして語った

―今の美果さんが、当時の自分に声をかけてあげるとしたら?

あえて何か声をかけるとしたら「美果は美果のまま生きて」、かな。というのもわたし、小さいころから自分のことが嫌いだったから、自分の名前も嫌いで。当時から違う名前を名乗っていたんですよね。源氏名もいくつもあったし、ホストクラブでも違う名前で別人になりきって、「違う誰か」になろうとしていました。

でも今は、自分を愛するためにまずちゃんと名乗ろうと思えるようになった。時々昔の源氏名を名乗ることもあるけれど、そういう多面性を持った自分そのものを「美果」として受け止めていってもいいのかなと思っています。そういう意味で「美果は美果のままで」。

―「美果は美果のままで」。これからの美果さんのことを支えてくれそうな言葉でもありますね。

正直な話、過去の自由な生き方に戻りたいな、って思うこともあるんですよね。反面、安定した何かがないと少し不安な自分もいる。そういう自分の中の相反した気持ちに対して、その両方があって良い、その両方があって美果なんだ、と思えるようになりました。その多面性を統合していくのかそのまま受け止めるかは、これからのわたしの人生の大きなテーマになっていくかもしれないけれど……。

結局のところ、わたしは自分がホスト漬けになっていたあの日々が「なければよかった」とは思っていないんです。当時は自分なりに精一杯生きていたし、あの経験があったからこそ、いま人を信じることの大切さとか、自分がいかに強がりだったかに気づくことができた。これまでの人生経験はすべてわたしの財産。今は、そんな風に思っています。

フラワー入所皆んなで

▲フラワーガーデンに入所していたメンバーとの1枚。

長いインタビューの中で印象的だったのは、美果さんの口から後悔の言葉が出てこなかったことです。上手くいかなかった過去があるとき、人は「あの出来事がなければ」と悔んでしまうこともあるものなのではないでしょうか。しかし美果さんは、「まったく後悔していない」と言い切ります。それは彼女が、自分の身に起きたすべてが、現在の自分を形作っていると考えているからなのでしょう。

「これからのことは、なるようになると思ってます!」そう笑う彼女の言葉の裏側には、「なりたいようになっていくのだ」という、強い意志が感じられました。

(書き手:中野里穂)


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