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カレー!カレー!カレー!

子供の頃家で食べるカレーに入っていたのはいつもひらひらの細切れか薄切りの豚肉だった。だから中学生の頃泊まりに行った友達の家で夕飯にシーフードカレーが出た時もの凄くおしゃれな気がして、やっぱりマンション暮らしの核家族の食卓はうちとは違うと思い、少し羨ましかった。

同居していた祖父は食の好き嫌いが多く、母はカレーの日には煮込んだ具の一部を途中で小鍋に分けて一人分だけ肉じゃがにしていた。それと焼き魚か何かで祖父だけ別メニューにしていたと思う。だからうちのカレーはいつも薄切りの肉だったんだとさっき気づいた。

あの頃の母が私に何気なく話し、あの頃の私が何気なく聞き流していたちょっとした母の愚痴や不満を最近になって不意に思い出すことが増えた。そして今さらながら「いやー超わかるわ、あんた本当によくやってたよ、偉いよ」と言いたい、多分あの時言えていない分も。

家に帰れば当たり前にバラエティに富んだ夕飯が自動的に食べられる日々の有り難みを、稼働させる側になってようやく気づき、その面倒臭さや苦労や果てしなさを知った。

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先日、カレーライスに纏わるエッセイだけを集めた本を買った。中の写真も味わいがあり、紙の色までカレー色というこだわりを感じるアンソロジー構成で、色々な世代の名だたる文筆家が各々の視点でカレーについて書いている。読んでいるとカレーの香りがしてきそうな本だった。何となく私より上の重鎮世代の男性ほど「自身のカレーの原風景」に強い思い入れがあるように感じた。インドから来て洋食を経由して家庭に。カレーライスはもう日本のおふくろの味の一つな気がする。

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市販のルーで作る家のカレーライスも好きだが、若い頃はあちこちの人気店のカレーも食べ歩いた。学生時代に名物店主見たさに食べに行った渋谷のムルギー。書店の中にお店があって、気をつけないと付け合わせのジャガイモで満腹になってしまう神田神保町のボンディ。神保町と言えばクラシックな共栄堂のスマトラカレーと汗が止まらなくなるエチオピア。カレー好きの同僚と外回り中に行った銀座のナイルレストラン。ああこの人は私に気があるんだろうな、そんな話になると厄介だなと思いながら断りきれずに誕生日に職場の先輩に連れて行ってもらった祐天寺のカーナ・ピーナ。結婚前の夫とよく行った今はなき柏のボンベイのサラサラのカレー。

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数種類のスパイスがあらかじめキットになっていて、それらを加えて書いてあるレシピ通りに作ると本格的なインドカレーが作れるカレーセットを買ったことがある。クミン、コリアンダー、カルダモン、ターメリック、チリパウダー。これさえあればカレーになるというスパイスはないけれど、全て合わせると香り高いカレーになる。なんかこう、ONE FOR ALL,ALL FOR ONE的な、「調和と人生」に思いを馳せたくなるような、お前何言ってんの?と言われそうだが、市販のカレールーやカレーパウダーで出すカレー味でしか料理したことのなかった私には実験のようでとても興味深かった。

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今これを病院のベッドで書いている。

自己犠牲とかではなく、イレギュラーが苦手で自分の情緒や身体の不調に鈍感なんだと思う。そこまで無理をしていたつもりはなかったが、右胸の違和感と息苦しさが消えないので病院に行ったら片方の肺が破れてコテンパンに潰れていて、そのまま入院し手術することになってしまった。

手術自体は麻酔から目が覚めたら6時間ほどが経過していて、全く何の記憶もない。その後翌日の昼まで自力で全く動けずに何時かも分からない部屋で過ごした。幸運なことに大した怪我や病気もせずに生きてきたので、術後にこの部屋で過ごした一日が今のところ人生で一番苦しかった。唯一自由になる頭をずらして目線を上げると、右の方から何かの液体が点滴で体内に入っていて、見えないけれど左の足元のパックに尿が出ているようだった。点滴で適切な水分が補給されていても、口から飲めないと癒えない渇きがあるんだなぁ、水は買わなくていい水道水でいいというくらい水に対してなんの執着もなかったくせに、お茶でもジュースでもなく水が飲みたいなぁと心から熱望しながら過ごした。結果的に30時間くらい絶食絶水していた計算になる。

ようやくコップ半分程度の水を飲ませて貰って元いた病室に戻った時、この後の昼食が食べられるようなら点滴をはずせると言われていた。全く食欲はなく起き上がるのも辛かったが、頑張って届いた食事の蓋を取ったらその日のメニューはカレーだった。断食明け一発目からカレーか。いやカレーは大好きだけど、さっきまで酸素マスクをしていたのにいきなりカレーの今かよ感。

それは絶好調な体調だったとしても「人生美味しかったカレーランキングベスト300」に余裕で漏れる感じのシーフードカレーだったけれど、手の甲に点滴の刺さった左手でスプーンを持って、一口一口生きていることを確かめるかのように食べたこの日のカレーのことを、私は一生忘れないだろうなと思った。

ちなみに私が不在の我が家でも、最初の夜は夫がカレーを作って娘達と食べたそうだ。

お腹が膨れれば何でもいい訳でも、豪華ならいい訳でもない。毎回必ず美味しくなくちゃいけないとも思わない。でも何かの思い出を連れてくる食事が人生の中に沢山あるのは良いなと思った。退院したらまた毎日献立に悩みながらご飯を作る生活が戻って来る。私の作る食事が子供達の何かの思い出になったら嬉しいけれど、頑張りすぎるのは身体に悪いことがよく分かったので、これからは今まで以上に手を抜こうと思っている。

明後日退院出来そうです。

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