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66と99

職場の最寄駅の改札脇に、すぐ近くの映画館で公開中の作品のポスターが貼られている。独自のセンスでセレクトされた作品が二本立てで観られる小さな映画館だ。今週は毎日、朝と帰りに『バッファロー‘66』と『ヴァージン・スーサイズ』のポスターを見ながら通勤している。

1999年、渋谷PARCOの最上階にミニシアターのシネクイントがオープンした。そこで公開された最初の作品が『バッファロー‘66』だった。サブカル街道を爆走中だった当時の私は、公開直後の週末にこの話題作を一人で観に行っている。

“最悪の俺に、とびっきりの天使がやってきた”

ポスターに書いてあった言葉だ。

社会人になってすぐ、20代前半だった。

映画が終わる頃には、カッコいいんだけどナイーブで不器用すぎるヴィンセント・ギャロと、主人公に振り回されながらも母のような包容力を見せる小柄でちょっともっさりした体型のクリスティーナ・リッチの可愛さにすっかりやられてしまった。誰かを愛したり大切にされることに不慣れすぎる主人公がおそるおそる心の鎧を脱いでいくような、ぎこちないラブシーンが切なくて最高に愛らしい映画。

今すぐ自分も誰かのとびっきりの天使になりたい!

なれるんじゃないか、ならなきゃ生きてる意味がない、それにはまずは靴だ、レイラが履いていたみたいな銀色の靴が欲しい!と熱に浮かされたようにPARCOのエスカレーターを降り、当時館内にテナントで入っていたAlfredoBANNISTERで理想通りの銀色の靴を見つけ、即座に買って履いて帰った。

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“1999年に地球は滅亡しなかった”

一方で同じ1999年、渋谷のはずれのラブホテルでは「ボク」が初めての恋に溺れるように汗だくになっている。

2017年に書籍化された燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』だ。

リビングの本棚ではなくいつでも手に取れる寝室の枕元に積んである。本にとっては雑な環境だが私にとってはここが一軍の本の置き場所だ。読み返すたびに、未熟でひたむきだった過去の恋愛や戻らない時間のことを想ってぼんやりしてしまう。小説から絶えず立ち込めてくる叙情が、物語のせいなのか自分の記憶によるものなのかも曖昧になるような、その不思議な感覚の中にずっと漂っていたくなる。

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あの頃聴いていた音楽、読んでいた本、好きだった店。渋谷PARCOの地下はマニアックな本や写真集も揃う大きな本屋だった。

ああもっと何かを思い出せそう、この気持ちを確かに私は知っている、忘れてしまっていることがまだありそう。読むといつも胸を掻きむしりたいような気持ちになる。

そしてそんな時必ず思い出すのが『バッファロー‘66』で、滅亡しなかった渋谷の街の坂道を意気揚々と歩いていく銀色の靴を履いた1999年の自分が、小説のどこかにいるような気がしてしまうのだ。

小沢健二、ラフォーレ原宿、横尾忠則、Olive、ケイタ・マルヤマ、仲屋むげん堂、中島らも。物語の中に散りばめられた固有名詞にいちいち共鳴してしまう私は、サブカルを一旦引き出しに仕舞って主婦になった「かおり」なのかもしれないし、「ボク」すら私の一部のような気がする。小説の中に自分を見つけてしまう感覚。きっと多くの人から愛される優れた小説にはそういう局面があるんだと思う。

映像化、楽しみだなぁ。本を読みながらいつも頭の中で繰り返し想像していた場面が映像になったのを見たら、ちょっと泣いてしまうかもしれない。

そんなことを考えながら今日の仕事帰りに改札脇のポスターをふと見ると、朝とはもう別のアニメ作品のポスターに貼り替えられてしまっていた。


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