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meguruがめぐる

台東区谷中にある『雑貨と本gururi』さんというお店が発行するフリーペーパーに、文章を書かせていただいた。お店が2周年を迎える今月、記念すべき第1号が無事に出来上がった。

学級新聞みたいな懐かしい質感

社会人になり結婚するまでのここで暮らしていた数年間が、自分の人生の中でもひときわ濃くて楽しかったんだと思う。引っ越してからも頻繁に訪れてしまう好きな場所だ。

谷中は昔ながらの狭い路地が多く、神社仏閣が多く大きな墓地があるせいか、空が広い。
そして古い街並みとのんびりした雰囲気を残しながらも、新しい飲食店やセンスの良い個人商店が年々増えている。

古いアパートをリノベーションしたカフェ

私の好きなgururiさんもそんなお店の一つだ。
本はどこで買っても同じ本だけれど、だったらこのお店で買いたい、と思わせてくれる仕掛けと魅力に満ちたお店だと思う。そして、私と同じように感じているであろう沢山の人達がお店の顧客になっている。

先日、出来上がったフリーペーパー『めぐる』を見せてもらうために、仕事帰りにお店に立ち寄った。
そろそろ閉店時間だったが店内には数人のお客様がいて、思い思いに数冊の本と雑貨を選んで購入されていた。

到着した私とちょうどすれ違うように買い物を済ませた女性の方が、去り際に「いつもこのお店に来ると心がフラットになります、また来ます」と店主に声をかけていて、なんだかグッときてしまった。
私にとってもこのお店は、疲れた心をほどいて束の間ホッとするのと同時に、新しい世界や関心ごとを増やして帰れる、港のような場所なのだ。

店主の彼女とのちょっとしたお喋りが楽しみな人もいるだろう、丁寧な接客や品揃えの良さに全幅の信頼を寄せている人も多いと思う。誠実な商いには誠実なお客が集うのだなと、閉店まで邪魔にならない場所から店内を眺めていた。
そして、こういう小さな個人店が近所の人からも愛されて存続していける土壌がこの街にはあるし、そういう下町人情的な部分も含めて、私はこの街が好きなんだとあらためて感じた。

去年の秋頃、来年発行するお店のフリーペーパーに寄稿しないかと彼女に声をかけてもらい、嬉しくて胸が高鳴った。胸って本当に高鳴るんだなと思った。
それは、20代の頃から好きだった街ともう一度両思いになれたような、あの頃憧れていた自分に超遅ればせながら近づけたような、なんとも言えない嬉しさだった。

だから、第1号には谷中のことを書いた。

刷り上がったフリーペーパーはとても可愛くて、私が言うのもなんだけれど、無料なのが信じられないほど読み応えもある。こんな素敵な場所に自分の文章が載っているのかと、お店でこれを受け取っていく人達を見ながら胸がいっぱいになった。

その夜、彼女とお店の2周年と『めぐる』の誕生を祝いたくて少しお酒を飲んだ。しみじみと楽しい時間だった。

帰り道、駅まで送ってくれるという彼女と谷中の街を歩いた。真冬の寒さがいつの間にか和らいで、微かに春の気配がしていた。どこまでも歩きたくなるような空気の柔らかい夜だった。
私が暮らしていた頃から変わらない場所と変わった場所、私の知らないこの街の人達の話や美味しいもの情報など、観光客の引いた静かな夜の通りを彼女と歩きながら、とりとめもなく色々な話をした。

「ちなみに私が当時住んでたアパート、この路地の一番奥です」と私が手で示すと、どちらからともなく「行ってみましょうか」という空気になり、私もものすごく久しぶりにその細い角を曲がった。

大家の家も、その脇のアパートに続く砂利道も、アパートの名前が書かれたプレートの文字の「太」の部分が何故か「犬」に誤植されているのも、当時のままだった。「ほら見てここ、20年以上ずっと犬なんですよ」と小声で彼女に教えて「ほんとだ」と小声で笑い合った。

私がいた2階の部屋には今どんな人が住んでいるんだろうか。

私とこの街との縁を再びしっかり繋いでくれた人と一緒に懐かしいアパートを眺めながら思い出を遡るのは、なんだかもの凄く不思議な感覚だった。
彼女はこの時のことを「時間旅行」と表現した。さすがだ、先を越された、私も同じ気持ちだった。
そして今夜のことを、私はこの先も何度も思い出すだろうと思った。

必死でなんやかんや生きていたら、あっという間に20年が経ってしまった。
そして今『めぐる』と名付けられたフリーペーパーのおかげで、私がこの街に足繁く通う理由がまた一つ増えた。
これが巡り合わせでなくてなんだろう。

あの部屋に住んでいた頃の私に、大きく手を振りたい気持ちでいる。







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