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live on

数字というものが、
どうやら私は苦手らしい。

数学はおろか算数の時点で苦手というより
大嫌いのレベルに達していたけれど、
四則演算とかそういう類の数字ではなくて
「何かに付属する数字」というものに、
強烈な苦手意識を抱き続けている。



特に「年齢」はそれを顕著に表していて、
誰かが何気なく使った言葉に敏感に心が
反応してしまう。



──といっても、巷でよく使われる
「私もう○○歳だから……」という類の年齢観
とは全く異なっていて。



むしろ「あなたは若いからいいわねぇ~」
といったような若さ礼賛(!)系の年齢観に
いつも心をえぐられる。



若さって何なんでしょうね。
若さの真っ只中に自分がいることは
分かっているんですけれど、どうも
その若さとやらと相性が合わない。



以前から『子供でも大人でもないあいだ
に身を投じるのが早かった』
と記事の中で
綴ってきましたが、だからこそ、「若さ」
と上手く付き合えないのかもしれません。



かといって自分の中には幼さ/若さが
一つも無いのか、といえばそうでもなくて。



「あ、これやりたい!」と思ったら即実行。
たとえまだ出来ない段階でも出来るまで
しつこく策略を練る姿はまるで3才児。



3才児並みに一点集中して何かをやり遂げた
その中身がずば抜けて老成してる、みたいな。
ギャップの幅が凄いんです。



当の本人は年齢だの立場だの肩書は意識
しておらず、あくまでも確固たる信念を貫き
「等身大」でカタチへと昇華させているので、


「その若さで大したもんだ」
「若いのにセンスいいね!」
「いやぁ~、若さって素晴らしいなぁ」


という言葉を頂くと、一瞬嬉しくなるも
中身や本質じゃなく年齢の方を見てるのね……
となんだかやきもきしてしまう。



その度に
若さや年齢というフィルターを取っ払って
本質を見抜いてくれ!うぉぉぉ……!
と心の中にメラメラと青い炎をたぎらす。



一種の闘志にも似たそれは、
青年や成年前期の有り様そのもので、
「自分は結局『若者』でしかないのだな」
そう自覚しては、あぁぁ……とへこむ。



苦手な数字……というか、若さそのものに
がんじがらめになって苦しい折、
とあるインタビュー記事と出会った。


椎名さんはこのインタビューの
"これからどんな40代を迎えたいか "
という話題の中で、

もうずっと憧れていた年齢というか、
自分が一番似合う年代だと思うんですよ。

【引用元】https://madamefigaro.jp/culture/series/music-sketch/190531-sheena-ringo.html

と仰られておりました。


私は元々椎名さんの大ファンで、
取材等でご自身が経験してきたことを語られきた姿を見て、一部とはいえ彼女の背景を知っている分、この言葉は特に響きました。


「等身大ぶる」んじゃなくて、
本当に等身大のまま制作できるというのは
ストレスフリーです。
アー写やジャケ写で値踏みされる苦痛からも、完全に解放されていますし。

【引用元】https://madamefigaro.jp/culture/series/music-sketch/190531-sheena-ringo.html


続けて語られたこの言葉に、
私はひどく感動した。
魂が震えた。実際ちょっと泣いた。


カタチにしたいことは山ほどあるけれど、
「若いのに……」という言葉を恐れて
まだ着手できない状態を憂いている「今」。


ひどいときには、なんでこの「現在」
に生まれたんだろうと本気でへこみ、
若さをありのまま謳歌している同年代に
嫉妬すらしてしまうけれど、


彼女のように自分が一番似合う年代になったとき等身大の私が一番伝えたいメッセージや本質が誰かにまっすぐ伝わるとしたならば。


きっと、今よりも遥かに生きやすいと思う。
やきもきした過去に感謝すらしたりして。


そういった明るい希望を持ちながら、
憧れの40代になれるまで懸命に
生きていこう、と思った。


矛盾を抱えたまま。
信念を貫き通したまま。
あるがままに、自分らしく。



inspired by……

──静寂と明るさを兼ね備えた曲調、
生きることそのものを表しているかのような椎名さんのパフォーマンスに感銘を受け、
このエッセイを執筆しました。

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