君には忘れられない冬があるか。
『人類が最後に罹るのは、希望という名の病気である。』――サン・テグジュペリ
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当noteは講談社ラノベ文庫様より刊行されている『雪の名前はカレンシリーズ』を読んで思ったことをまとめた記事になります。
『雪の名前はカレンシリーズ』とは――――
オリガ戦没記念都市。災厄と祝祭を連想させる不思議な街。四季の美しい瓦礫だらけのこの場所で、〈僕〉は、彼女に出会った―。
『世界は美しい。戦う価値がある』
雪の降る夜、少女はおしえてくれた。少女の名は赤朽葉カレン。人工天使・制服少女委員会のA(エース)転生者であり『冬時間』から襲来する転生生物をココロを代償に迎撃する最終兵器。詩を書くのが救いの少女整備士の少年は、失われゆく意識のなか必死で彼女の記憶を書き留める。「痛みは私を満たしてくれますか?」「初恋が人間らしい感情だとききました」「私と付き合ってくれますか」 講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞した奇跡の才能、思春期のあなたの胸を撃ち抜く最高傑作。
――――以上、裏表紙のあらすじ全文。
イラストは『竜と祭礼』の表紙やキャクターデザインも務めるEnjiさんです。透明感があってめちゃかわよい。
作品自体のネタバレはほとんどないと思いますが、要素のネタバレはありますし、多大なるうわ言たわ言世迷い言が含まれていますので、この記事を読む前にまずは『雪の名前はカレンシリーズ』を読了なさることを強くオススメします。マジで。
あと感想自体はだいぶ後になるので、感想だけを見たい方は2まで飛ぶことを推奨します。
1:前置き、あるいは鏡征爾との出会いについて
にのまえ あきらです。お久しぶりです。師走ですね。
世間的な話をすれば某恒星のガス層と同じ名前を冠されたウイルスの第三波が東京を襲っています。個人的な話をすれば僕はもうすぐ小説を書き始めて三年になり、二十歳の誕生日を迎えます。
世間と個人を絡めたようで絡まっていない話をすれば、僕は世間とは全く関わりなく自堕落極まりない生活を送っており、いったい三年間も何を燻っているんだと言われても何にも言い返せません。ほんと三年間何やってきたんだろうな……。
などと思わず自虐的になってしまいそうですが、『これはやった』と言える数少ない物が一つあります。それが今回もこうして書かせてもらっている感想記事です。
書かせてもらっている、とは言っても別にどこかから依頼されたわけではありません。”まだ”僕の文章に金銭的価値は発生しておりません。いつか発生させるために頑張っているわけですが。
今回記事を書いているのは作者の鏡征爾さんから献本を戴いたから、というのが主な理由です。それも銀色インクのかっちょいいサイン付き。
かっちょいい。
なんでこんなかっちょいいサイン付き献本を戴けたかというと、鏡さんご自身が『欲しい人は言ってくれたら誰でも送るよ!』という旨の前代未聞の応募者全員サービスを敢行していたからです。(現在は終了しています)当該ツイートはこちら。
これでなぜ僕が献本を戴いたかはわかっていただけたかと思います。
次に、何故僕がこの献本を貰おうと思ったかに着いて。
それを話すには、僕が鏡征爾について知った高校生の時まで遡らねばなりません。
当時からトゥイッターにどっぷりハマっていた僕がTLを眺めていると、いいねだかリツイートだかで回ってきたあるネット記事を目にしました。
西尾・舞城・奈須を超えろ――重版童貞が名物編集者に言われた最高のアドバイス「ガンダムを1日で見ろ」
これが、鏡征爾との(一方的な)ファーストコンタクトでした。
鏡征爾という人間についてザッと紹介しますと、第5回講談社BOX新人賞(『メフィスト』姉妹誌『ファウスト』後継)で『白の断章』という作品で初の大賞を受賞をした、東京大学大学院博士課程在学中のお兄さんです。
この記事はねとらぼのエンタというジャンルで鏡さんが【東大ラノベ作家の悲劇】と題して自身の経験を面白おかしく(というにはいささか内容がハードすぎる気もしますが)綴った連載記事の第六回になります。
【東大ラノベ作家の悲劇】は全部で十の記事があり、全部読めば鏡征爾という人間のことが少しはわかるかもしれません。
当時、この記事を読んだ時の衝撃は今でも覚えています。
畏敬と焦燥……その他ありとあらゆるネガティブな感情に、興奮と昂り……未知の世界を覗いたことによる、後頭部を火で炙られるような感覚を得たことを覚えています。
いったいこいつは何なんだ。
こんな経験をしたのは、それをこんな筆致でえぐり出したのは、いったいどんな人間なんだ。
僕の興味は鏡征爾に向きました。
あいも変わらず素晴らしいものを見るとそれを造った人に対して興味が湧き上がるものですから、僕はすぐさま検索をかけました。
Google:鏡征爾 twitter 検索 ポチッ
ツイッターのアカウントを見つけて速攻でフォローしました。
そして当時(確か)固定ツイートにぶら下げられていた、鏡さんがカクヨムに出していた少女ドグマという作品を読み、脳天をぶち抜かれました。
少女ドグマを読んだ当時の僕は『統合失調症の人の手記かと思ったらハウルの動く城だった』というような旨のツイートをしたことを覚えています。あまり時を経ず、そのまま作者である鏡さんにエゴサで見つかりリツイートされてフォローが返ってきました。
そういった経緯があり、今回の『雪の名前はカレンシリーズ』が出ると知った時、本当に嬉しく思いましたし、献本をサイン付きで渡すというツイートを見た時は反射的にDMに突撃していました。
鏡さんからしたら一読者の一人にしか過ぎないわけですが、僕の方は勝手に影から応援している、というわけです。
2:作品を読む前に思ったこと、あるいは読んだ後に思ったこと
作品を読む前、僕には一つ懸念がありました。
それは『十代読者が読めるものなのか』ということ。
お前も十代なのに何言ってるんだと思われるかもしれませんが、冗談じゃなく、本気で読み物として認識してもらえるのかが心配でした。
というのも鏡征爾の文体、というか作品の特徴として散文詩的な言葉、あるいは詩そのものを書き綴るところから始まるのです。
詩は作品内の至る所に散りばめられており、作品強度を非論理的に、あるいは別次元的に(要は直感的に)担保しているわけですが、まぁその詩が難解なわけです。
作品に綴られている詩が難解ということは作品のテーマそのものも難解ということであり、先ほど少女ドグマを読んだと言いましたが、あの作品について僕は二割も理解できていないと思います。
鏡さんのデビュー作、『白の断章』を試し読みした時なんて軽く目眩がしました。
レビューで文章が読みにくい、内容がわかりにくいとバッサリ切る人もいましたが(確かにそうなのですが)、そんな言い方で割り切ってしまえるほど浅い読みにくさ、わかりにくさではないと思います。
天才の思考を凡人が理解できないように、天才の紡ぐ文章を凡人が理解できないだけなのだと僕は結論づけました。
ですが、レビューも一つの事実であることには変わりません。
問題は『白の断章』が散文詩の集合体ではなく、大衆小説であるということ。
鏡征爾が詩人ではなく、一人のエンタメ作家であるということ。
それはつまり、作品と作者に課せられた至上命題が『読者に面白いと思ってもらえる作品を世に送り出すこと』であり、どれだけ高尚なテーマ、華美な文体、考え抜かれた構成で物語を紡いだとしても、読者に『よくわからなかった』と言われてしまったらおしまいなのです。
だから鏡征爾が十年ぶりに新作を出すと聞いた時、『どうか鏡征爾が受け入れられますように』と願わずにはいられませんでした。
結論から言うと、僕は『天才のきかん』を目にしました。
それは帰還でもあるし、機関でもあるし、基幹でもあるし、器官でもあります。
世の中には、三種類の天才がいます。
一つ目は、誰も到達しえない領域に辿り着く天才。
二つ目は、誰しもに物事を知らしめる天才。
三つ目は、その両方を成し遂げる天才。
果たして、鏡征爾は三番目でした。
あるいは真の天才というのは皆、三番目に属するのかもしれません。
鏡征爾と『雪の名前はカレンシリーズ』は僕の杞憂を宇宙の果てまで軽々と蹴っ飛ばしてくれました。
浅い部分、あるいは表面的、またはビジュアル的な部分を紐解いていくと、作品内には〈カオナシ〉〈転生者〉〈転生生物〉〈人工天使〉などなど昨今のライトノベルの流行やライトノベルらしさを取り入れた造語があり、登場人物も学園一の人気者である幼なじみや血の繋がらない妹、〈人工天使〉の中でも最強たるヒロインなどケレン味が満載でした。
メタ的な部分を紐解いていくと、この作品はゼロ年代の、もっと言うとセカイ系の流れを組んでいます。
端的に、あるいは無粋に言えばヱヴァリスペクト、またはそういったエヴァ後発のセカイ系作品のオマージュがふんだんに盛り込まれています。
『夏時間』『冬時間』といった世界観の根幹になる単語であったり、キャラクターの口調で某ツンデレヒロインを思わせるセリフがあったり、場面も某無表情ヒロインとの出会いを彷彿とさせるものがあったり、その他にも『うーん、これはセカイ系!』と思わず膝を叩きたくなるような要素が満載です。
ただのオマージュでは終わらず、リスペクトを以って自分の世界観、文章、文体、物語と高い次元で融合させています。よくここまでぶち込んだなと畏怖すら覚えます。これが作者の十年が雪や澱のように積み重なった結果なのでしょう。
話自体や登場する要素、キャラクター自体についても語りまくりたいのですが、全部書いたら一万文字くらい平気でぶっ飛ぶので、noteに書くのはこの辺にしておきたいと思います(すでに三千文字を超えている)。他の言いたいことはツイッターの海に放流させます。
ですので最後にひとつ、僕の疑問、あるいは希望をここに述べておきます。
なぜタイトルは『雪の名前はカレンシリーズ』なのでしょうか。
一ページ目に記され、おそらく最後の場面にも繋がっているのだと思われるタイトルですが、なぜ”シリーズ”なのかがわかりません。
わからない、とわざわざ述べるのには、希望があるからです。
正直、本当はわからなくたって構いません。
先ほども述べましたが、僕は鏡征爾の作品の分からない部分も含めて好いています。
僕の知らない部分に、鏡征爾の考えた宇宙がある。それだけで良い。
だから、この疑問は希望なのです。
もし本当に”シリーズ”なのであれば。
この”続き”が記されるのだとしたら。
疑問がそんな形で晴らされでもしたら、こんなにも嬉しいことはないでしょう。
2020.12.7. Monday 14:44 執筆BGM:Feryquitous - Dahlia ( Official Image Song )
余談ですが、この Dahliaは、Feryquitousという作曲者によって『雪の名前はカレンシリーズ』をイメージして作られています。公式でイメージソングが作られているわけですね。
Dahliaはその第一弾、序章の一曲目とのことで、恐らく続きの第二弾や第三弾も上がるのではないでしょうか。
楽しみに待ちたいと思います。