ステレオタイプと偏見

毎週何かしらのプチプログラム を開かせていただいております。


昨日は、90分のプログラムでした。

普段は60分とコンパクトです。

今回は、

「多様性と包摂 その理解とは?」

というテーマでした。

様々な方々がご参加くださいました。

ジェンダーギャップ

疾患・障がいギャップ

学歴ギャップ

行政にいらっしゃる方々もご参加くだいましたが、

様々な周囲の認識や理解とのギャップが実際はあり、

生きづらさが存在していること

多様な背景がある皆様とお話をし

あらためて感じることができました。


人の目に映りにくく、見えにくい

今回設定したキーワードは、

・ステレオタイプ

・偏見

・アンコンシャスバイアス

・レッテル...

多様性ある社会を阻む事象とは何か

皆さんの体験や経験

による、身近なステレオタイプや偏見、理解をする、される

について、ディスカッションが持たれました。


ステレオタイプは、

いわんや、頭の省エネ対策のために、人が無意識に身につけたスキルでもあるかもしれません

しかし、

なぜ、ステレオタイピングが、

ネガティブなことのような使われるのか?

何が要因なんでしょうか?

単純なイメージで存在している場合、それ自体の影響はあまりないのかもしれません

ステレオタイピングされ

カテゴライズ

そして、

それが

不定的な価値や感情を伴う場合、



偏見になるといいます。
偏見とは

「偏った見方、考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしに抱かれる非行為的な先入観や判断。」

weblio・goo辞書

さらに、

ステレオタイプにカテゴライズ(分類する)

アンコンシャス・バイアスが混ざる..

により、ある方々にとって、負の

単純化され、レッテルが貼られる

無意識化した

'レンズ'にいかに気がつくか


しかし、そんな'レンズ'を振り返り、見直しをすることで、今見えている世界が変わると言われた場合

我々は、見直しを選べるだろか

男性議員ばかりの政治は、女性の立場や暮らしの課題を把握し理解できるだろうか

という謎に対する古くて新しい問題への回答は、

依然日本のジェンダーギャップランキングの低さを見ると、

もどかしい状態にある

我々自身が

我々に必要な多様性を

いかに語るか、から、

どう生きるかに

変えてゆけるか、

どうやら

偏見による社会の消耗の正体の一部は、

①アンコンシャス・バイアスをベースに

そして

②ステレオタイプ

③カテゴライズ

により単純化され

尊重されない個別性

③レッテル貼り

により、他者の現状や実際の理解

その無意識な偏見により、他者の尊厳を結果軽んじる状態になってしまう


 体験や経験、引き継いできた価値観や、風習や風潮による

無意識な自動思考


この多様な人々が社会を実際は構成している今と我々がい

向き合えるか

カテゴライズし、定義にあてはめて'見る'習慣をいかにアップデートできるか

他者を見る

他者と知りあう

人と人が向き合う

至極シンプルな人の営み

他者をどう認知し、理解できるか

プラットフォーム

その認識の基盤のアップデート

その分岐点に今、日本社会は来ているのかもしれません。

日本の協調や、細やかさ、そうした持ち味を活かしながら、

移り行く多様な社会に対応したマインドセットのアップデート

さて、いかにアップデートしてまいりましょうか...


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多様性を考える

難病患者の就労支援、就活、働く準備、書類作成、使えるサービスや支援機関、整理の仕方等、難病患者の就活について、当事者の皆様をイメージしながら、元難病患者就職サポーター、リワーク支援、医療現場での支援の体験と実践に基づいて書かせていただいています。