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「防災の知恵を楽しみながら身に着ける」~日本笑顔プロジェクト Vol.1


令和元年東日本台風から、まもなく2年がたつ。「まだ」2年なのに、私たちのなかで、災害や防災への意識が過去のモノになっていないだろうか?今期、ONE NAGANO/NET note では、5回にわたって地域発の新しい防災の取り組みを紹介する。日本笑顔プロジェクトが考える防災力とは?第1回目は、代表 林映寿さんから、プロジェクト発足時の取組についてお話いただきました。

日本笑顔プロジェクトのはじまり

2011年3月11日、日本は今までに経験したことがない恐怖につつまれました。日本笑顔プロジェクトは、東日本大震災発災から1週間後3月18日に「まずは目の前の人を笑顔に」という思いで発足いたしました。

その後、「一人ひとりが笑顔を持って、家族、友達、職場、地域に笑顔をつなげ、その輪を日本全国にそして世界に広げていく」という理念のもと10年経つ現在も微力ながら活動を続けております。

東日本大震災というと、東北地方が意識の中で大半を占めるかと思いますが、3月12日には長野県北部の栄村が地震の被害を受けました。マグニチュード 6.7 、最大震度6強。本震に続いてM5以上の2回の余震が2時間内に相次いで発生しました。死者3名、負傷者46名と東北地方の被害に比べると規模は小さいですが、自分たちの住む地域が被災したことは驚きと共に悲しい現実を突き付けられました。

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まずは地元栄村への支援活動を開始。一番記憶に残っていることは、栄村東部小学校の卒業式のお手伝いをさせて頂いたことです。栄村東部小学校は、その年に閉校が予定されており地震の被害で体育館も使用できず通常の式典はできませんでしたが、規模を縮小して「卒業証書を渡す会」が執り行われました。全校生徒22名、内卒業生7名とその保護者の皆さまと一緒に我々も参加させていただきました。卒業生一人ひとりに、「笑顔の色紙」も渡すことができ、僅かばかりではありましたが、子供たちと一緒に笑顔あふれる時間を過ごすことができました。

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その後も、地元栄村での活動を継続させつつ、東北は宮城県牡鹿郡女川町での支援活動も開始させました。2011 年4月以降、長野県をはじめとする全国各地からプロジェクトへの賛同者や支援者が集まり、2年間ほぼ毎月女川町を訪れ活動を行いました。町の8割を津波の被害で失った女川町で、炊き出しや支援物資提供、マッサージ、保育施設や病院での風船アトラクション、小学校での学習支援など現地ニーズを随時聞き取りながら幅広い活動を行ってまいりました。毎月継続的に訪れることで、町民の皆様とも顔を合わせて話をする機会が増え親近感や信頼性が生まれてきました。小学校での学習支援もあり、子供達とは、活発にコミュニケーションをとる事ができ、毎回多くの笑顔や元気をもらうことで、我々支援メンバーが逆に励まされました。

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特に日本笑顔プロジェクトは、代表の林映寿が主宰する筆遊びが子供たちへの学習支援として人気をよびました。筆を持って楽しく字を書く!浄光寺寺子屋でスタートした活動がこうして復興支援としてもつながりを持ちました。

以下は、筆遊び支援に同行したプロジェクトメンバーの記録です。

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”「震災があったおかげで、みなさんにこんな風にしていただけてありがたい。。。」今回の3度目のボランティアに同行して、一番心に残った言葉がこの言葉だった。私は、筆遊び班に同行し、今回は女川小学校3年生と4年生の教室を訪問した。映寿先生の楽しい授業に、子供たちはもちろん、先生も笑顔プロジェクトのメンバーも感動をし、筆遊びに没頭していた。子供たち一人一人が自分の思いを筆に託して、墨で手や顔を真黒にしながら笑顔いっぱいで筆遊びをしていた。そんな姿を見て、先生もメンバーも笑顔いっぱいだった。
キラキラの「希望」を書く子
可愛い笑顔の「笑顔」を書いて「○○ちゃんらしい~っ」と先生に言われる子
本当に楽しそうな「楽」を書く子
怒りマーク付きの「空」を書いた子
字にならない線を書いた子
色々な子がいた。

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筆遊びのサポートをさせてもらって私が毎回感動することが「全てが満点である」ということ。上手も下手も無い。その時の感情を表に出すこと、それが満点。何も書けない、何も思いつかない。それでも満点。ありのままの自分を表現することが大切。そして、その作品、ありのままの書に対してみんなで褒めあう!!認めあう!!書いた子も、褒めている子も、先生たちもみんな本当に素敵な笑顔をしていた。

前回の訪問の時に筆遊び教室を行った2年生の教室に招かれ教室に行くと「映寿せんせ~い」と駆け寄ってくる子供たち。お礼のメッセージと元気いっぱいの歌をプレゼントしてくれた。その後に、一人の女の子が私を覚えていてくれて、寄ってきてくれた。前回、「私の名前覚えていてね」と言った子だった。続いて他の子たちも集まって来てくれた。本当に嬉しかった。「また来てね。」「また来るね。」私たちの合言葉。冒頭での言葉は、マッサージ班で少しお手伝いをしたときに年配の女性がふと口にした言葉だった。震災が無くても、人を助け合うこと、人の力になりたいと思うこと。人を褒めあうこと。人を認めること。人に感謝をすること。自然に表現できたらもっともっといい世の中になるのにね。。。笑顔プロジェクトのメンバーとして今回も同行させていただきありがとうございました。今後はもっと身近なボランティアも参加していきたいと思います。”

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2011年9月からは女川町に住む主婦の方々が、自発的に日本笑顔プロジェクトの現地支部(女川支部)を立ち上げて頂き、復興地と我々との太いパイプ役になってくださいました。絶えず変化するニーズを探るには、やはり現地と密接になる必要がありました。こうして多くの賛同者や支援者に支えて頂きながら、復興支援団体として試行錯誤しながら笑顔を広める活動が現在も継続しています。           


次回は、長野地域に大きな被害をもたらした、令和元年東日本台風災害での笑顔プロジェクトの活動やその中から気づいたことを、副代表 春原圭太さんからお話いただきます。

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