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年明けつらすぎる日記

1月1日。

Kくんを起こして隣駅のスーパー銭湯へ行った。私が「あがったよ〜」とLINEしてから45分後に合流した。長くない!?何してたの!?と聞くと、内風呂の椅子でぼーっとしてた...とツヤツヤの肌で答えたのが面白かった。
このあとは元日から開いている本屋に行って、そのあとコーヒー飲みに行こう。その前に一度帰って昼寝をしよう、と話していた。
家に着いて昼寝しようとしたら、Kくんが「地震?揺れてる」と言った。揺れは思ったよりも長く続いて、NHKをつけると実家がある地域に津波警報が出ていた。アナウンサーが早く逃げて早く逃げてと連呼していた。すぐに母やおばあちゃんにLINEしたけど反応がなかった。2日から実家に帰省する予定だった。まさに帰省中の友達も沢山いる。私が通っていた大学は海の近くにある。何も言えずテレビを見つめたりXで状況がわかるツイートを探した。
しばらくしてから、『かなり揺れたけど大丈夫!』と母から連絡があって、おばあちゃんや弟からも後から連絡が来た。友達からもポツポツと連絡が届きはじめた。みんな無事だった。『怖かった』『久々にあの恐怖を味わった』と言った。
1997年生まれの私は、7歳と10歳と13歳のときに大きな地震を経験している。幸い、家の倒壊や家族の負傷はなかったけど、恐怖の感覚はまだ覚えている。7歳のときは、幼馴染のなっちゃんが私の家に遊びに来ていてバイバイした直後だった。7歳ながらになっちゃんのことが心配で心配で、すぐに電話をかけて、もう家に着いていたことを知って安心した。なっちゃんが外で1人じゃなくてよかった、と思ったことを覚えている。


1月2日。

新幹線は運転見合わせになり、予約していたチケットは無料で払い戻されることになった。3日になれば動きそうだったけど、今このタイミングで帰省するのはどうなんだろうと考えてやめることにした。その旨を母に連絡した。
母から『そっか、寂しい。おばあちゃんが新しい箸やお茶碗を用意してお雑煮も作っていたよ。』とLINEが届く。料理の写真もたくさん届く。帰らない私の選択が間違っているんだろうか。みんなが一緒に同じ恐怖を味わって、そしてもう前を向こうとしている中で、その場にいなかったのに勝手に不安になって怖くなって帰ることもできたけどやめた自分が間違っているように感じてしまう。変な罪悪感が残る。
4日に会う予定だったなっちゃんにも、ごめん帰らないことにした、お店予約してくれていたのにごめんと連絡した。なっちゃんは、そうだよね!無理しないで!また絶対会おう。と言ってくれた。なっちゃんには結婚のお祝いとしてプレゼントを渡す予定だった。ブラッシュアップライフのポップアップストアで買ったステッカーも本当は直接渡したかった。宅配便で送るために新居の住所を聞いた。

夕方頃、左肩が痛み始めた。10分20分と時間が経つにつれて軽い痛みからどんどん鋭い痛みに変わってきた。そういえば12/24、M-1を観てる最中にも左の肩と背中が痛くなった。その後はあまり覚えてないけど、そのときと同じ痛みがまたやってきた。でもそのときよりも痛い。痛い痛い痛い。ネットで調べると整形外科に行くべきらしい。もちろんどこもやっていない。市の救急外来を調べると、タクシーで10分の距離にひとつあった。でもネットで調べるともしかすると救急外来では鎮痛剤が処方されるだけかもしれない。行くべきなのか判断に迷った。以前、激しい頭痛で記憶が飛んで救急車で運ばれたときも、鎮痛剤と点滴を処方されて数時間したらフラフラの状態で帰されたことがある。あれを思い出すと、どうにも行く気にならない。

18時頃、羽田空港のニュースがネットに流れた。本当にしんどい。なんなんだ。しんどいけど何も見ていないと不安になる。ずっとスマホかテレビを見てしまう。急に仕事関係の本を読んでみたりする。一瞬色々忘れられる。でも左肩はずっと痛い。アバラまで痛くなってくる。トイレに行くと生理になっていた。そろそろ来ることは分かっていたけど、重なりすぎてつらい。
Kくんは夕方頃に帰る予定だったけどもう一泊してくれることになった。一人で大丈夫だよと言ったけど、いま思うといてくれなかったら相当心細かった。シングルベッドに2人で寝るには左肩が痛すぎると思っていたら、察するかのように座椅子ソファを使って寝るよと言ってくれた。本当に申し訳なかったけどありがたかった。この日は病院には行かず片頭痛のために処方されていた鎮痛剤を飲んで寝てみることにした。翌朝になったら病院に電話してみようとKくんと話した。鎮痛剤のおかげで痛みが少し和らいでしっかり寝ることができた。座椅子ソファで寝ているKくんからもしっかり寝息が聞こえてきて安心した。


1月3日。

起きると左の上半身が痛い。やっぱり痛い。薬が切れてしまったみたいだった。もう一回、救急外来の場所や電話番号を確認する。こんな症状で行ってもいいものか迷う。まだ寝ているKくんに「ねえ、痛い。病院行ったほうがいいかな」と話しかける。「行ってきな」と言われて、ようやく電話をかけてみる。症状を聞かれて答えると「今ね、すごく混雑していて、9時過ぎにもう一度かけてください。9時までは他の病院探してもらって、それでもなかったらかけてください。いつもここにかかってるの?違うよね?今日ね、3時間待ちくらいだから。」と言われ電話が終わる。もう電話はしなかった。
何も食べていなかったけど鎮痛剤を飲む。しばらくするとまた鎮痛剤が効き始めた。朝マックをウーバーする。パーソナルジムに通い始めて食事も気をつけようと思っていたのに、もう色々崩れる。昨日の夜も動けなくてウーバーを注文した。
Kくんにずっと「痛い」「なんでこんなことに」「せっかくの休みなのに」と弱音ばかり吐いてしまう。病院を検索し続ける。大体5日からスタートのところ、ひとつだけ明日やっている整形外科を見つけた。HPには一切記載がなくて、一か八かで電話をかけてみたら自動音声で「1月4日から診療いたします」と流れた。良かった、本当に嬉しい。8:45に受付開始だから8:30には到着しよう。早く痛みから解放されたい。
昼にKくんが帰ることになり、送らなくていいよと言われたけど、食料を補充したいからと最寄り駅まで送った。コンビニで果物やヨーグルト、シュウマイとふりかけを買う。何もできない。洗濯だけ回して干した。年末にこんなnoteを書いていたけど、何もできない。すべてが思い通りに行く前提で生きすぎている。当たり前に自由に予定通り動ける日々がどれだけ幸せか、こういうことがあるたびにつよくつよく実感する。

夕方の英会話レッスンも本当はキャンセルしたいけど、会社からお金を出してもらっていてキャンセルすると将来の自分が苦しむのでキャンセルできない。いや一回くらい良いかな。きっと先生から地震のことで心配されるだろうし、そのうえ身体も痛いし。心配されたときの受身をとることにも意外と気力を使う。だからむやみやたらに心配されたいわけじゃない。でもつらいことをつらいと言わないとやってられない。
13時半過ぎ、また薬が切れたのでもう一度鎮痛剤を飲む。こんなにずっと飲んでいて大丈夫か分からないけど、もうこうするしかない。英会話キャンセルしたい。何回までならキャンセルしてもセーフか確認してみよう。もうやだ辛い。ネットの声をみるたびに、つらい、面白い、うるせーなと思う。今一番辛いのは左半身の痛み。早く明日になって病院へ行きたい。余震情報がたくさん流れてくる。心配と同時に、帰省をやめたのは英断だったと思える。

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