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社会の上位層ルートから外れることが怖くて仕方ない

ある人の日記を読んだ。
日記に書くことを前提に取った行動は、「こうなりたい自分」の現れである、みたいなことが書いてあった。うわ!!!!!私いま全然「こうなりたい自分」じゃない働き方/生き方をしているわ、と気づいた。

昨日、最近ずっとずっと悩んでいたキャリアについて、一筋の光が見えた。ずっと色んな人に話して壁打ちさせてもらったり、色んな言葉をもらって、ようやく「あっこれやりたいかも!」と思えることが閃いた。これなら、これを勉強して、この資格を取ればいけるかも。やりたい!やろう!!!そう決めた。ずっと使ってなかった無地のノートに「誰かに背中を押して欲しいんじゃない、自分で決断したい」と書いた。

でも、その数時間後、人材紹介の仕事をしている姉にこの話をして、「その分野だと専業じゃなくて副業ならいいと思う」と言われて、やっぱりそうだよね......稼げないし社会的に地位が確立されてないよね...と落ち込んだ。人の意見に左右されないぞ!これは一方的な宣言だ!と心に決めていたのに、簡単に凹んだ。
「それだったら、今の会社に◯年いました、の方が評価されるよ」と姉に言われた。私が今勤めているのは大企業で、給料も福利厚生も手厚い。社会的にも認められている。貧乏だった家系のループを断ち切りたくてこの会社に入社した。私は実力以上の会社に入れてしまったと思う。だから残業もそれほど多くなく、同世代より多い収入を得ている。でもスキルが身についている実感がない。やりがいもあるんだか無いんだか分からない。意見を言っても通らないクソさに腹が立つ。もう飽きた。人間関係を気にして発言したことを後悔したり、少し耐えればいいだけって思ったり、自分がいてもいなくても変わらないミーティングに参加するのはしんどい。問い合わせに、それはできないんですと答えるのももうやりたくねえ。

怖いんだ、この社会の上位層ルートから外れることが。このまま会社に10年20年いれば、いくら貰えてるだろうか。今からじゃ想像できないほど、でもそのときには当たり前だと感じてるほど、余裕のある暮らしができていると思う。つまらないことにも腹立つことにも、耐えてれば慣れてくる。わかる。

私のお母さんは、30代〜40代にかけて仕事を転々としていた。パン屋になりたいと言ったり、カウンセラーになりたいと言ったり、高卒の資格を取りたいと言ったりしていた。そんな母が恥ずかしかった。何十年も同じ会社にいる友達の親が羨ましかった。授業料免除を申請するときに、親の職業が変わっていなければ書類を更新しなくていいのに、私は母の仕事が変わるたびに更新しなくてはいけなかった。夢みがちな大人はイタいと思っていた。我慢している大人の方が、よっぽどオトナだと思っていた。

でも今、私はまさに母の気持ちがわかってしまう。結局、私は母に似ているんだろうと思う。でも、こうしたいああしたいを話すことは恥ずかしい。母のことを恥ずかしいと思っていた呪いが自分を締め付ける。母みたいにならないぞ、と思っていた。(ごめんね)今は母のすごさがわかる。わかりすぎる。職を転々としても、人に頼りながら3人の子どもを育てあげた。大学にまで入れてくれた。それでいて、夢を追いかけることの何が恥ずかしいんだ。はやく自分への呪いも解きたい。

バリバリ働いて一人でも生きていけるくらいのお金をたくさん蓄えて女だからって舐められない生き方をしたかった。そうじゃなくても私に価値はあるのだろうか、この道を失っても大丈夫なんだろうか。まだ絶賛悩み中だし夢みがちだけど、今はそういう時期だと開き直って悩みまくったりちょっと動いてみたりしようと思う。

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