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わたし、読む。

読みたい。

と思った本には、お金は惜しまないように、している。
りんご158円は惜しむのに、小説700円は惜しまない。
それぞれ、あるとおもう。ワイン、音楽、コーヒー、自転車、推し。。。
わかってほしい。

父方、母方、いずれの祖父も大量に本を読む人だった。それぞれジャンルは違うけれど、遊びにいくと必ず両者の傍らには読みかけの本が置かれていた。
教員であった両親も、平均から見れば本を読む人であったと思う。家には本がたくさんあったし、童話集も本棚狭し。児童書は図書館でたくさん借りてくれた。

ここなのだろうな、と思う。
本を買うことを惜しまないのは、育まれた家庭の文化的背景が大きい。
サンリオキャラの文房具は1つだって買ってはくれないが、ファーブル昆虫記はいともあっさり買ってくれる環境だ。

その教育方針に、今となっては非常に感謝しかない。

「人生の勝者はメモを取る者と、本を読む者だ。」
なることを、と母方の祖父は言っていた。
当時はその意味することを考えようともしなかったが、軍事工場へ動員され、多感な時期に本を読むことができなかった祖父の言葉は、幼心にも静かに響いた。
だから、本をたくさん読もう、と思った。

現実逃避の意味合いは大きい。
本を開けば、そこには別の世界がある。良いこともあれば、嫌なこともある現実に、本は平素平等であってくれる。私がページをめくるまで、急かさず待ってくれる。内容がどうであれ、読むことで癒され、そこから励まされてまた現実に向き合える。

kindleは…苦手だ。
慣れ、の問題でもあるが、電子書籍は苦手なのだ。本がこぼれ落ち、積み上がっていく本棚の前で、その利便性が頭をよぎる。いやいや。自分の指でページをめくる、という作業に意義があるんだよ。と主張してくる私に何度も納得してしまう。紙の匂いや、インクの匂い、出版社ごとのフォントや行間の幅。なんて愛おしい。

ヨミカケが何冊もアル罪悪感と多幸感。

おすすめの本は?と聞かれると、上手く答えられないし、最近は2度目の本でも初見の如く読める(覚えてない)し、電車を乗り過ごすのもしょっちゅうだし、本棚…本当にどうしたらいいのかわからないけれど、それでも本を読むことはやめられない。無いと私の均衡が保てない、大袈裟だけど、もはやそういうことなのだ。

なのでこれからは、しっかりと嗜みとして本を読むことを深めていきたい。
美味しいコーヒーと一緒に。とか、雨降りの朝は。とか。
本を読んでいる自分の状況にも、気を向けてあげたいと思う。


-20220415-






noteを書いていると、自分が何故そうなのか、そう思ったのか、の整頓ができる。
自分のことをアウトプットするのが、とにかく苦手な私はこの効果に驚いている。


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