No.038 南アフリカが形作ったイーロン・マスク
プレトリアから世界へ
世界一の富豪として、そして革新的な企業家として知られるイーロン・マスク。しかし、彼の原点が南アフリカの首都プレトリアにあることは、意外に知られていません。
イーロンマスクの自伝では生々しく語られています。
複雑な家庭環境と時代背景
1971年、技術者の父エロールとカナダ出身のモデルの母メイの間に生まれたマスク。両親の離婚後、9歳で父親と暮らすことを選択した彼は、厳格な軍隊式の躾のもとで育てられました。
アパルトヘイトの影
1980年代の南アフリカは、アパルトヘイト体制の末期。情報統制が厳しく、白人居住区は社会の現実から隔絶された空間でした。しかし、イギリス系白人の家庭に育ったマスクは、比較的リベラルな環境に触れる機会がありました。
父エロールはアパルトヘイトに批判的な進歩党から市議会議員に選出され、マスクが通ったプレトリア男子校も、当時としては珍しく黒人生徒を受け入れる先進的な校風でした。
差別への抵抗と代償
学生時代、マスクは同級生の黒人差別発言を諌めたことでいじめに遭遇。この経験は、彼の差別への敏感さと正義感の源流となったと言われています。
自由を求めて
1989年、徴兵制を避けるため、マスクは南アフリカを離れカナダへ。これは単なる兵役回避ではなく、アパルトヘイト体制への加担を拒否する決断でもありました。
現代への影響
現在でもマスクは、南アフリカの人種問題に対して敏感な反応を示しています。最近では「ボーア人を殺せ」という歌の合唱に対して強く抗議するなど、出身国の課題に対する関心を持ち続けています。
抑圧から革新へ
閉鎖的な社会での経験は、マスクの「自由」への強い執着を生み出しました。テスラやSpaceXでの革新的な挑戦は、この自由への渇望が原動力となっているのかもしれません。
才能の流出という代償
昨日お伝えしたように、レアル・マドリードでは難民キャンプ出身の2人の選手が同時にプレーすることになります。そして今回のイーロン・マスクの例が示すように、不当な差別や抑圧的な社会システムは、国にとってかけがえのない才能を失わせる結果となっています。
アパルトヘイトという非合理な差別により南アフリカを去ることを選んだマスク。かれg南アフリカにいたら今のような人物にはなっていなかったかもしれません。ただ、もし彼が自由に才能を開花させられる環境があれば、その革新的な能力は母国の発展にも大きく貢献できたはずです。
差別と抑圧がもたらす損失
戦争や差別は、単に人道的な問題だけではありません。それは国や社会にとって、計り知れない機会損失をもたらしているのです。デイヴィスやカマヴィンガのような難民キャンプの才能たち、そしてマスクのような革新的な思考の持ち主たち。彼らが本来の環境で才能を開花させる機会を奪うことは、社会全体にとって大きな損失なのです。
未来へ
現代社会において、このような才能の流出は決して過去の話ではありません。今この瞬間も、世界のどこかで戦争や差別により、無数の可能性が失われています。
一人一人の才能が、生まれた場所や環境に関係なく、自由に開花できる社会を作ること。それこそが、マスクの物語が私たちに投げかける重要な問いかけなのです。
戦争、差別、抑圧。これらが社会にもたらす損失の大きさを、私たちは決して見過ごすことはできません。なぜなら、次のイーロン・マスクや、次のデイヴィス、カマヴィンガが、今この瞬間も世界のどこかで生まれているかもしれないのですから。
私たちとしては今回の南アフリカでの訪問で子供達の剣道の試合もお手伝いする予定です。将来、あの時日本人教えてもらったから!剣道があったからこそ成長できた!という言葉が出てきたらそんなに嬉しいことはありません。しかし、その可能性を作るためにはやらなければいけません。来週に迫った出発ですが、ぜひクラウドファンディングでのサポートをお願いします!
ON AFRICA note center
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