雨の日は物思いに耽る
雨の日、物思いに耽ることがある
気圧のせいだと多くの人はいう。僕は影響されやすいから、プラシーボみたいなものもあるかもしれない外部的な因子があるとすれば、雨の日は畑仕事ができないから、どうしても手持ち無沙汰になってしまうのだ。こういう時は悶々とするより、開き直って文章でもしたためている方が建設的であるような気がするし、何より、僕の気分は些か晴れやかになる。
少し遠出して、海を見に行った。幸いにも海沿いの雨は極めて小降りだったから、僕は砂浜に降りて、海に近づいてみた。波打ち際は波の音でうるさくて、海の匂いがした。どんよりとした空気も相まって、いつもより海の匂いを存分に吸収することができた。母なる海。いろいろな有機物が折り重なって、混ざり合い、流れに呑まれて、少し生臭い。そんな磯香が、僕に生きる気力を与えてくれる。曇りにくすむ海の色は、一人で海を訪ねる僕を、優しく受け入れてくれる気がした
また少し車を走らせて、山を登る。山道にぽつんと喫茶店が、黄色いランプを点滅させていた。曇り空の中に光るランプは頼りなげで、それは羊の群れに紛れ込んだ子ヤギのようだった。
喫茶店の中は猫の匂いで充満していたが、肝心の猫は、どこにも見当たらなかった。少し戸惑いながらも、奥のテーブルに腰掛け、コーヒーを注文する。ついでに「喫煙所はありますか?」と聞くと、マスターは申し訳なさそうに微笑しながら、首を横に振った。
猫の匂いを紛らわすために、バッグの中に手を入れて、お気に入りの本を取り出す。僕はこの本をことあるごとに読み返している。ほんのいいところは、成長しないところだ。親も、恩師も、人は時間の中で成長していく。僕がそうであるように、彼らもまた、この時代の中に揉み消されないように、体を適応させていく。そういう生物として当然の営みは、時として、僕と恩師との間にある「差」のような距離感を曖昧にさせてしまう。彼らもまた海に揉まれる有機物のように、その距離の間を行ったり来たりしている。
一度本となった文章は、死んでいった人々は、時代の波に揉まれることはない。海の中の岩のように、そこから動かなくなる。
一度は読んだその本を、再び読み返すと、僕は以前と違う感想を持つ。それは僕が揺れ動く有機体であることを証明してくれるし、僕の中で印象として残っているその本が、記憶の中で削られて丸みを帯びている。その二つの事柄が、そのような影響を与えているのだろう。マスターが、コーヒーと一緒に灰皿を持ってきた「お客さんがいなくなったので」微笑むと、またカウンターに戻っていった。
僕は嬉々としてポケットからライターとマルボロを取り出す。サボイアが刻印された赤いメッキのオイルライターと、マルボロの赤い箱は、それらが最初から一緒であったかのような連帯感を感じる。タバコの匂いで猫の匂いを紛らわせ、嬉しそうにパソコンを立ち上げ、今日の思い出を、このように振り返っているのだ。
カウンターから流れてくる議会答弁を流し聞き、謝罪会見を流し聞く。
どのような思い出も、いずれは記憶の流れに攫われ、角を失って丸みを帯びて、しまいには川底に敷き詰められるのだ。僕はそれら一つ一つを掬い上げては眺めてみるという試みをしてみるが、川底の小石はどれも同じ形に見えるように、漠然と、その小石がどこで生まれ、僕に何を与えたかまでは語りかけてくれないのだ、川の小石をそうするように、僕は少し呆れた顔をして、結局その小石を川に放り投げてしまう。
海にたどり着いた小石は、荒れ狂う波の中で自分の価値を忘れ、粉々になり、堆積して、数ある砂浜のように踏み躙られるのだろう。それでいいのかもしれない、砂浜がなければ、足場を失い、海に近づけないのだから。
僕ら命もまた数億年の命の中の一粒に過ぎない。その中で瞬きたいう願いも、その瞬きを人間は理解しても、別の生き物は理解しないだろう。
僕は人間として生を受ける以上、人の作るものに価値を感じ、自己を見つめ直すことができる、そのありったけを享受できる権利に喜びを感じる。
本は形を変えない、読み手が誰であれ、そのもの自体は均一に、平等に、同じことを語りかける。
変わるのは読み手の方だ。
数ある小石の中から、その本に対する思い出の小石を拾い上げ、眺めるという行為。他の多くの小石とは違い、その小石は言葉という情報をもとに自分の姿を思い出し、当時の形を思い出していく。復元されたかに見えるそれは、以前とは異なる形を持つ、それはなぜか、復元者が以前とは違うからだ。もしかしたら復元というより、研磨という方があっているのかもしれない。
僕はこの本を読み終えた時、またこの記憶を川の中に打ち捨てる。また角を失い、丸くなっていく。また拾い上げる、また違う形に研磨する。
小石を研磨する過程で、副産物としてポロポロ溢れ落ちていくものがある。それが感動だったり、ノスタルジーだったり、いろいろな想いを僕に与える。
古時計のカチコチという音が、店内全体にリズムを与える。それにきづいて腕時計を見ると、いつの間にかかなりの時間が経っていた。
僕は2本目のタバコを吸い終え、コーヒーを飲み干し、店を後にする。
写真、文章の特徴は、残るところだ。僕らは人生という船旅の中で多くのものを手に入れ、多くのものを失う必要がある。そうしなければ、船は沈んでしまう。
自分にとって素晴らしい文章や写真は、その中で砕けることなく、灯台のように、時間の中で遥か遠くにあってもなお光り続ける。そうでなくても全ての記憶が砕けるわけではなく、写真や文章に頼らずとも、印象的な出来事として胸の中に秘められるものもあるけれど。
今日は何でもない雨の日だった。そんな雨の日の中で想いを馳せた一幕をここに書き残しておく。僕は何千日もの出来事を忘却しながら前に進む。
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