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アイスクリームと明治文学

酪農家さんを応援しようということで牛乳消費レシピが話題になっていますが、そういえば以前出した本にも牛乳消費レシピがあったなーということで、アイスクリームの作り方と、アイスクリームにまつわる明治文学の小ネタを紹介します。

以下『国定図書館附属食堂 おばちゃんの料理帖』掲載のレシピ・コラムを加筆・修正したものです。

アイスクリームの作り方

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明治時代頃の作り方を参考にした、乳脂肪分控えめのあっさり系アイスクリームのレシピです。

材料(2人分)
卵黄 …… 1個
砂糖 …… 30g
牛乳 …… 200ml
ミント …… 適量

使う道具
氷 …… 0.6〜1kg程度
塩 …… 150〜250g程度
軍手、ボウル(中)、ボウル(大)、鍋敷き または 乾いた布巾
泡立て器、へら(ゴムやシリコンのもの)

作り方
1.卵黄と砂糖を合わせる
卵黄と砂糖をボウル(中)に入れて、泡立て器で白っぽくなるまですり混ぜる。

2.牛乳を加える
鍋に牛乳を入れて火にかけ、混ぜながら温める。ふつふつとしてきたら、火からおろす。泡立て器で混ぜながら1のボウルに少しずつ加える。均一に混ざったら、ボウル(大)に水を張ってひたし、粗熱をとる。

3.アイスクリーム製造機をつくる
ボウル(大)の水を捨てて、さっと拭く。ボウル(大)の底に氷を敷き詰めて塩をたっぷり振る。その上に2のボウルをのせ、ボウルとボウルの隙間にも氷を詰める。ボウル(中)に入らないよう気をつけながら、氷に塩を振りかける。水100mlを氷の上に注いで準備完了。

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マイナス10〜20度近くまで温度が下がるので、安全のため軍手をつけて作業すると良いでしょう。

4.混ぜながら冷やす
泡立て器でときどきかき混ぜながら30分〜1時間ほど冷やす。はじめは約5分おきに混ぜ合わせて、固まってきたら混ぜる頻度を増やす。氷が溶けてきたら、氷と塩を足す。固まって泡立て器では混ぜにくくなってきたらへらを使う。

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↑これくらい固まったらへらに持ち替えます。

5.盛り付け
ある程度固まったら、器に盛り付ける。ざっくりと盛り付けた後、スープスプーンの内側で表面を撫でるようにして整えると形が綺麗になる。ミントを添える。

甘いものが大好きだった夏目漱石

 『吾輩は猫である』など様々な作品で知られる明治の文豪・夏目漱石。実は甘いものが大好きでした。甘いものを食べ過ぎて妻の鏡子夫人に叱られたり、胃に悪いからと夫人が隠したお菓子を探し出して食べたり、ジャムをそのまま舐めていたという話もあります。和菓子以上に洋菓子も好きで、到来物の洋菓子、シュークリームなどがくると、自分一人で食べてしまったそう。

 持病の胃潰瘍が悪化すると、食べられるものが制限されるようになりますが、アイスクリームはそのような中でも楽しむことができた数少ない食べ物でもあります。

 明治43年、胃潰瘍の悪化で入退院を繰り返していた漱石のもとに、妻の妹婿にあたる鈴木禎次氏からアイスクリーム製造機が贈られました。材料を入れた缶の周りに氷と塩を詰め、ハンドルを回すと缶が回って、中身が混ぜられながら冷やされるという仕組みのもの。退院後も自宅に持ち帰り、家族みんなで楽しんでいました。

 漱石はその後も度々病臥することとなりますが、病床でも鏡子夫人の手からアイスクリームを食べ、「もうひと匙よこせ」などとせがんでいたそうです。

 ここで紹介したレシピは、漱石が自宅でアイスクリームを作り食べていた時代、一般的に使われていたレシピをもとにしています。生クリームを使わず、現在のものよりも乳脂肪は控えめなのであっさりとしていますが、卵黄のコクが効いてまろやかな味わいです。

明治の文学作品とアイスクリーム

 夏目漱石の作品にはアイスクリームが度々登場しますが、その発表年は、まさにアイスクリームが人々に普及し始めた時期と重なります。

・「虞美人草」(明治40年)
・「それから」(明治42年)
・「彼岸過迄」(明治45年)
・『行人』(大正1〜2年)
・『こゝろ』(大正3年)

 漱石と同じ時代に生まれ、仲が良かった正岡子規も、アイスクリームが好きだったようです。明治32年、病をおして高浜虚子宅を訪れた際にはアイスクリームを2杯も食べ、5〜6年ぶりに念願を叶えられた喜びを「ゐざり車」に書いています。

妻なる人、氷はいかに、といふ。そはわろし、と虚子いふ。アイスクリームは、といふ。虚子、それも、といはんとするを打ち消して、食ひたし、と吾は無遠慮に言ひぬ。誠は日頃此物得たしと思ひしかど根岸にては能はざりしなり。二杯を喫す。此味五年ぶりとも六年ぶりとも知らず。(正岡子規「ゐざり車」)

 また、よほど嬉しかったのか、高浜先生に宛てたお礼の書簡にこのような俳句を添えています。

“一匕のアイスクリムや蘇る”
“持ち来るアイスクリムや簟”(正岡子規)

 この俳句は、アイスクリームを読んだ初めての俳句と言われているそうです。

 明治30〜35年頃に書かれた尾崎紅葉の作品『金色夜叉』には、ちょっとおもしろい形で「アイス」が登場します。「高利貸」「高利」と書いて「アイス」と読む、というもの。美人のアイスクリーム(高利貸し)ということで「美人クリイム」というあだ名がついた人物まで出てきます。

 「氷菓子=高利貸し」「どちらも氷のように冷たい」というシャレで、明治20年代から戦前頃まで使われていた言葉遊びのようです。

実は嚮停車場で例の「美人クリイム」(箇は美人の高利貸を戯称せるなり)を見掛けたのだ。(尾崎紅葉「金色夜叉』)

参考文献

河内一郎『漱石、ジャムを舐める』創元社、2006年
夏目伸六『父・漱石とその周辺』芳賀書店、1971年
夏目漱石「虞美人草」『定本漱石全集 第4巻』所収
夏目漱石「それから」『定本漱石全集 第6巻』所収
夏目漱石「彼岸過迄」『定本漱石全集 第7巻』所収
夏目漱石「行人」『定本漱石全集 第8巻』所収
夏目漱石「こゝろ」『定本漱石全集 第9巻』所収
正岡子規「ゐざり車」『子規全集 第10巻』所収
正岡子規、明治32年8月23日 高濱清宛書簡『子規全集 第19巻』所収
尾崎紅葉「金色夜叉」『紅葉全集 第7巻』所収

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発行作品一覧→https://musubiyahonpo.jimdofree.com/book/










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