感情はエンタメ
基本的に大勢の人が「結果が全て」という考え方をしているように感じる。
お金持ちになるため、幸せになるため、様々な思いがあるがどれもその「結果」に向かって努力している。
しかし、私たちには絶対に「死」という結果が待っている。
結果が全てであるならば、全ての人間に同じ結末が待っているのになぜ生きている?
つい先日、彼氏と別れた。
たくさんひどいことをされたし、訳の分からないことも言われたけれど、それでも大好きだったから辛かった。
わたしは友人に「でもいい経験になった」と話した。本当にそう思っていた。
そしたら「でた!嫌な思いしてんのにみんなそーやって言う!!」と言われた。
確かにド正論かもしれない。嫌な思い出なのにわたしが美化したいと思って強がって言っているだけなのかも、と思って急に悲しくなって泣いた。
けれど今もう一度考えてみると、わたしは本気でいい経験になったと思って発言していた。
いい経験というよりかは「いい感情」という感じ。
私は感情はエンタメだと思って生きている。
人間は本を読む、映画を観る、ライブに行く、恋愛をする。
その中で「いろんな感情」を楽しんでいるのだ。
映画館で映画を楽しんでる感覚に近い。
「全米が泣いた!」みたいなのがよくあるけれど、もしわたしたちが辛い思いは「悪」と捉え、絶対に味わいたくないものだと考えているのであれば流行るはずがない。
娯楽施設などはどれも人間の感情を揺さぶるために存在している。
たまにわたしは自分自身までも客観視して第三者の視点で見ている時がある。
あ、今すごく悲しんでるなー、
まあでもこの悲しみもずっとは続かないから今のうちに味わっておこう、文字書いておこう
とか考える。
悲しみもまた一つの娯楽。
(もちろんその時は辛いが我々には忘却の力が備わっていて永遠に続くものではないので大丈夫)
そしてなんといっても恋をしているときの感情は唯一無二だ。
彼との最初の3ヶ月間は本当の本当に楽しかった。
そのあとから色々と問題が出てきて楽しいことだけとは決して言えなかったけれど、人を愛することを知れた喜びがあった。
とても辛い気持ちのときもあったけれど、それはそれで哀しみという感情の娯楽を楽しんでいた。
彼のことをたくさん考えた。
「結果」としてはわたしの言葉は伝わらず、残念な結果となったが、
もしこの期間を何もない空白にするか、もう一度同じ結果になるとしても同じことを繰り返すか、と聞かれれば絶対に後者を選ぶ。
周りが「そんな奴やめときなよ〜辛い思いするだけだから早く別れなよ〜」と言うような奴と付き合っている人はよくいる。
わたしも今までよく言っていた。
けれど最近は「本人がそれでいいと思っているならば別にいいんじゃないか?」と考える。
なぜなら、その感情を楽しむのもまたその人にとっての人生の醍醐味だから。
死に向かうルートは自分で選んでいいし、その過程は幸せでも不幸でもいろんな感情があればどちらでもいい。
それよりも、楽しいことも嫌なことも少ない、感情の波の少ない人生がわたしは一番嫌だ。
なるべく平和なルートを選んで、何も行動しなければ、そうして生きていくこともできる。
けれど、つまらない。
たしかにみんな幸せになりたいと思って生きている。
しかし「幸せ」という結果よりもそこへ向かう過程が人生である。
哀哀怒哀しかないのであれば心の病気になってしまうので考え直すべきだが、喜怒哀楽どれもあるのであればそれはとても楽しんでいると言える。
人はいずれ全員死ぬ。
だからこそ、その過程の感情を楽しんで生きていくのだ。
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