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岡潔は「真我的であることが、日本民族の本来の姿です」と。

岡潔の著「情緒と日本人」の最後に松下幸之助さんと対談をしている内容が収められてました。
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人間性をたかめる教育

P178

松下:ところで私は、愛国とは、結局、自分がかわいいから自分を愛する、それと同じように自分の住む街を愛する、

さらに同じように自分の国を愛するということではないかと思うのです。

岡:そのとおりなのですが、日本人は、だいたい明治以前には、自然とか
人の世とかをそのまま自分の心の内容だと思っていました。

自然が美しければ自分はうれしいし、他人が喜んでおれば自分もうれしいといったふうでした。

そういう広々とした心が本当の自分なのだと、仏教は教えています。

それを真我と申します。仏教がはいる前から日本民族はそう思って
いました。それを言葉に出していったのは仏教です。

それに対して、五尺のからだを自分だと思いがちですが、これは迷いです。これを小我といっていたのです。

真我の人すなわち菩薩はすべての生き物を自分のからだとします。
それが菩薩なのです。

だから真我的であることが、日本民族の本来の姿です。それを明治以後、
欧米の物質思想がはいってきて、すっかり忘れてしまっている。

欧米人は五尺のからだを自分だとしか思えない。すると菩薩は全体主義だということになる。

いまでは、愛国主義は全体主義だと思い違いをし排斥してしまって、愛国ということをいわなくなった。

明治維新は志士たちの活動によって起こりました。

その志士であることの第一の条件は、自分の身辺のことよりは国のことの
ほうがよほど心配になることだったのです。

しかし、維新ができ上ったとたんに肝心のその心がけを忘れてしまった。
たぶん、西郷隆盛はそれが気に入らなかったのでしょうね。

松下:なるほど。

岡:明治になって、小さな自分がかわいいことになってしまったのです。

明治維新は形式の上ではでき上がりましたけれども、肝心な内容である心というものを間違えてしまったのです。

形式の革命はあれでいいとして、いまは心の革命が必要だと思います。

革命といいたいくらい思い切ってやらねばならぬほど、間違ってしまっていると感じます。

松下:よく分かります。いま先生がおっしゃった”心”を日本人は取り戻さなければなりませんね。

人間は、だれでも自分を愛さない物はないわけです。

それと同じように、自分がかわいいければ自分の住む町がやはりかわいい、さらに進んでは自分の住む国がかわいい、ということに通じる考え方が
なければいけません。

同時に、自分の住む世界がかわいいという世界愛へと通じなければ
なりません。

つまり愛国心から進んで世界愛へ、と同時にそれは小さくは自分への
愛である。

そういう考え方を国民が、あるいは人類が共通的に持つには、教育の役割が非常に重要だと思うのです。

しかし、そういう意味での教育が果たして日本でいま行われているか
どうか・・・・。

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なるほどぉ。

300年前の古典物理学と言われるニュートンと、心身二元論を唱えたデカルトによる

人間という5尺(約151センチ)の存在が、動く、という人間の認識感によって、

すべてのつながりをも断ち、「万人の万人に対する闘争」という
いわゆるエゴ拡張経済にもよって、

個人という小さい小我が「デッカくなりてー!」という欲求により、
自然破壊が余儀なくされている。

そんなイメージがバンッ!と飛んできました。

そして、AIによる解析により、近い将来は、環境破壊の一番の原因は、人間自体。

そんな恐ろしいデータにより、地球内のがん細胞と認識され、殺戮される?かも?という

恐ろしいけど、事実になりうる事を、AIのゴットファーザーであるジェフリーヒントンも警告しています。

今の時代だから「こそ」色あせないメッセージ。

その岡潔さん、松下幸之助さんたちが言っている真我的な教育が必要になってくる。

真我的な教育は、こちらから学べますので、
令和哲学カフェ (reiwaphilosophy.com)

ぜひ、岡潔さん、松下幸之助さんが憂いでいる社会、世界。

この「情緒と日本人」の本の中では「昭和維新」と言ってますが、今の時代である

「令和維新」の教育として、自分たち日本人一人ひとりが教育革命を
起こしていきたいものです。



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