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医学の話

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2019年10月の記事一覧

救急医療とは社会の要請である

救急医療とは社会の要請である

*とある雑誌の依頼原稿の下書き

① 「したいこと」ではなく、「求められる」ことを

僕は「救急医療とは社会の要請である」と思う。救急医としての師匠である、聖隷三方原病院高度救命救急センター早川達也センター長が同じことを仰っていた。各時代、各地域で求められている医療を提供することこそがプライマリーケアの宿命であり、その表現系の一つが救急医療なのだ。

元々。外傷外科医を目指していた時期もあり、

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やりたいこと、やるべきこと、やりたくないこと、と言う三つ巴の中で、やっていること、やっていないことの境界線と、やること、やらないこと、と言うスペクトラムが存在する。

noblesse obligeと思うと、やるべきことを真摯に向き合うべきだろうか…

突き詰めて突き詰めて突き詰める。

それが正義だと思って突き詰めて、やるだけやり切って最期の姿が凄惨になる、と言うことは、間々ある。

一方、誰かが撤退と口にした時、思い止まらせた結果、社会復帰できた人もいる。

人の命に線を引くこと、人生に寄り添うこと、紙一重で難しい。

若手、中堅のカットオフ値不明だが、少なくとも僕も歳をとってきた、と言う自覚が出てきた。そんな中で感じることは、患者さんと自然体でコミュニケーションが取れるようになってきたこと。多分、医者であることと個人であることとが馴染んできた結果なのだろう。

何処まで煮詰めれば本当に誠意があると言えるのかと、いつも悩んでしまう。頑張れば頑張るだけ結果が返ってくるわけではない一方、頑張りが足りなければ根本的に結果を得られる事はない。

極端な人間なので、誠心誠意の診療と言うフレーズに呪われている。

正しいと言う事は、思うより難しい。

今日やれる事を、全てやったか。全ての患者さんにベストを尽くしたか。

その自問自答に胸を張って答えられたなら仕事終わりのタイミング。

そして、医者になる

そして、医者になる

紆余曲折を経て進学、そして、部活を辞めた僕は割と時間を持て余すようになった。しかし、母校の数少ない優れた点である図書館のスペックの高さから多くの時間を勉学に費やすことに成功した。今までの人生で圧倒的に足りなかった短絡的な目標を抜きに勉学に勤しむと言う経験をし、僕にとっては大きな肥やしになったと思う。今でも確たる真実と思っているのは、学問とは道楽である、と言うことだが、その言はこの頃の経験に基づくも

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明けとか入りとか患者には関係ない話である。提供できない医療なのか提供できる医療なのか、その二択しかないり提供できる医療の体現として患者の前に立ったなら、コンディションの良し悪しは度外視として、プロフェッショナルに努めるべきである。

そもそもグダグダ言うから患者の前に立つな。