見出し画像

経験を殺すな。

どうも、いつおわです。

気づいたら名前を略するようになっていました。
だって、長いからね。
サクッと、いつおわ!って読んでもらえると嬉しいです。
「いつでも終わります!」じゃないからね?

さて、デジャブ感というか既視感から知ってるつもりになることってありませんか?

例えば、「自分がお金を貯めてパソコンを買うことができて世界がひろガッった!」という経験があれば「お金を道具に投資するのって大事だよね!」みたいな話しをされた時に自分の経験を引っ張り出してきて頷きが止まらなくなると思うんですよ。

でも「お金を道具に投資するのって大事だよね!」って言ってる人の言葉の裏には「農作業をしていて斧を変えたらすごい捗るようになった!」みたいな話しが隠れているかもしれなくて。

抽象度をあげて頷くのは簡単だし、それもいろんなものを自分の糧にするには大事な一方で、思考停止を起こしうる可能性もあるな、と。

「農作業をしていて斧を変えたらすごい捗るようになった!」という体験の背景には、「隣のおばさんと仲良くなって安く買える方法を聞いたから買った」とか、紐ずいた経験が隠れていて、違う角度で学べることもいっぱいあるかもしれないのに。

あくまであなたの体験はあなたのものでしかないように、誰かの体験も誰かだけのものであって、悟るにはこれを見ている全員あと150年くらいきっと早いんです。

そろそろインスタントじゃなくて、美味しいコーヒーが飲みたいです。