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「はたらく細胞」に学ぶ、たまのギャンブルは心に良い。

先の記事で紹介した、『ウマ娘プリティーダービー』の勢いがとまらない。


2021年2月末のリリースから約1ヶ月で400万ダウンロード、アプリセールスランキング1位独走、推定売上金額は124億円と冗談みたいな数字が並んでいる。大躍進だ(参照元)。

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(どうしてこうなった…:Twitter『ウマ娘プロジェクト公式アカウント』より引用)

『ウマ娘』。彼女たちは、走るために生まれてきた。ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前とともに生まれ、その魂を受け継いで走るーー。それが、彼女たちの運命。

『ウマ娘プリティーダービー』公式HPより引用


思ったより、ヒトは萌え擬人化したウマ娘が大好きな様子。

良識ある読者の中には、この状況を憂いている人がいるかもしれないが、悲しむ必要はない。ゲームを飛び越えて世の中に良い作用も示している。


『ウマ娘』をきっかけに興味を持ったユーザーが競馬場に足を運ぶだけでなく、引退馬支援を目的とする教会への寄付も増えているという記事を先日見つけた(参照元)

この活動は本当に素晴らしい。種牡馬や繁殖牝馬として余生を過ごせるサラブレッドはごくわずか、乗馬クラブなどに引き取られる例もあるが、性格が穏やかで乗馬向き、かつ運の良い馬に限られる。そもそもの受け入れができる施設数が少ないからだ。


ゲームをきっかけに課題解決に取り組むような行動変容を起こしているという時点で、『ウマ娘プリティーダービー』はイノベーティブゲームと言わざるを得ない。

まだ抵抗感のある読者にアドバイスするならば、「早く認めて楽になっちゃえよ」である。


しかし強すぎるコンテンツは多方面に影響を及ぼす。


先日、あるツイートが話題となった。ライスシャワーの記念碑に、ウマ娘のキャラクターが身につけている青い薔薇が献花されていたという内容だ。

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(青い薔薇と記念碑:引用元


ライスシャワーは1991~1995年に活躍した、「刺客」の異名を持つ人気のサラブレッドである。

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(刺客:『ライスシャワー』Wikipediaより引用)


ライスシャワーの生涯を一言で表すならば「悲運」という言葉が最も当てはまるだろう


クラッシックの年代(馬齢3歳)では、皐月賞・東京優駿を無敗で制したミホノブルボン、古馬時代(馬齢4歳以上)では、天皇賞春を連覇したメジロマックイーンという世間に愛されたスターホースがいた。

これらスターホースに隠れていたライスシャワーであったが、彼らのクラッシック3冠、天皇賞3連覇という偉業達成が期待されるレースに、尽く勝利する。望まれていない勝利。世間はライスシャワーを「悪役」と貶めた。

そして、ライスシャワーはスランプに陥る。

人の声が競走馬であるライスシャワーに影響を与えたかはわからない。ただ事実として、メジロマックイーンの天皇賞春3連覇を阻んだレースから2年間、ライスシャワーは勝ち星から遠ざかってしまった。


ただ、これでライスシャワーは終わらなかった。

(メジロマックイーンもミホノブルボンも喜んでいる事でしょう:『[競馬] 1995/04/23 天皇賞(春) ライスシャワー』より引用)


ライスシャワーにとって運命のレース、天皇賞春にて見事な復活を遂げる。通常ではありえない早い仕掛けでのレース展開で勝利したライスシャワーのカムバックに世間は沸いた。ついに世間から愛される名馬の仲間入りをしたのだ。


そしてファン投票1位となった同年の宝塚記念で、ライスシャワーはその生涯を終える。左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折。予後不良であった。




世の評価に振り回されたライスシャワーも、もちろん『ウマ娘』にて萌え擬人化されている。

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(ウマ娘となったライスシャワー:『ウマ娘プリティーダービー』公式HPより引用)


先の青い薔薇は、こちらのライスシャワーが身につけている薔薇を模したものである。

青い薔薇の花言葉は「夢叶う」。非業の死を遂げたライスシャワーにとって、青い薔薇の献花は果たして望ましいものであったのだろうか?




兎にも角にも多方面に影響を与えている『ウマ娘』。今や擬人化という手法は多くのコンテンツには欠かせない物となっている。

今回は斬新な擬人化で話題な『はたらく細胞』について考えてみたい。


ワンアイディアの勝利

『はたらく細胞』は作者である清水茜先生のデビュー作であり、いまだかつて見たことがない規模のスピンオフを生み出す火種となった作品だ。

人間1人あたりの細胞の数、およそ60兆個!そこには細胞の数だけ仕事(ドラマ)がある!!ウイルスや細菌が体内に侵入した時、アレルギー反応が起こった時、ケガをした時などなど、白血球と赤血球を中心とした体内細胞の人知れぬ活躍を描いた「細胞擬人化漫画」の話題作、ついに登場!!

『はたらく細胞』Amazonの概要より引用


概要の通り、『はたらく細胞』は「細胞擬人化漫画」である。


・・・いつも思うところではあるが、今世紀の進化のスピードは、過去のそれとは比べ物にならない。

ここ15年で携帯電話はスマートフォンにほぼ置き換わり、会社員は自宅で働くことを選べるようになった。同様に、擬人化界隈の進化も目を見張るものがある。


ウサギ・カエル・サルを擬人化し世相を描いた鳥獣人物戯画は12~13世紀と幅のある年代で描かれた代物であるが、21世紀は競走馬から細胞まで、ありとあらゆるものが擬人化されている。世はまさに大擬人化時代。

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(この世の全てがここに置いてある?:『鳥獣人物劇画』Wikipediaより引用)


21世紀の擬人化について、強烈に印象に残っているシーンがある。

爆笑問題の太田光とくりーむしちゅーの上田晋也のテレビ番組『太田上田』に、声優の花澤香菜がゲスト出演していた回の出来事だ。

上田「花澤さんがいままで振られた役で、これはちょっと掴みどころなかったなぁとか難しかったなぁって役はある?」
花澤「あのぉ・・・うん、やっぱドライヤーの役ですね



ドライヤーの役。

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(キャラ名はドライヤンナ:『GO!GO!家電男子』公式HPより引用)


今世紀最大のパワーワードである。学芸会でもドライヤーに相当する役になることはないだろうに…。

そして、このドライヤーにもおっぱいがついている。擬人化とおっぱいも切り離せない話題なのかもしれないが、今回の論旨とは外れるため、ここではとりあげない(前回は取り上げた)



もう一つの特筆するべき点は、前述の通り、ものすごい規模でのスピンオフ作品が生まれていることだ。その数、驚愕の9作品。

1. はたらく細菌:全7巻 講談社
2. はたらく細菌Neo:既刊1巻 講談社
3. はたらかない細胞:既刊4巻 講談社
4. はたらく細胞BLACK:全8巻 講談社
5. はたらく細胞フレンド:既刊5巻 講談社
6. はたらく血小板ちゃん:既刊3巻 講談社
7. はたらく細胞BABY:既刊3巻 講談社
8. はたらく細胞LADY:既刊2巻 講談社
9. はたらく細胞WHITE:既刊1巻 講談社


講談社はちょっと働かせすぎではなかろうか?

講談社で連載したい新人漫画家は、『はたらく細胞』関連の作品を描かないといけない縛りがあるのかもしれない。加えて、企業の「なんとかバズらせたい!」という思想が透けて見えてサムイ。


企業戦略は置いておいて「何故これだけの数のスピンオフ作品を生み出すことができたのか」を考えると、『はたらく細胞』の設定が際立ってよく出来ていることが分かる。


『はたらく細胞』は「細胞擬人化漫画」なので、ヒトに関わるありとあらゆる細胞や細菌が擬人化されている。

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(赤血球と白血球の会話:『はたらく細胞』1巻より引用 清水茜著)


ヒトを構成する細胞の数は37兆個(連載開始当初は60兆個が通説だったが、最近は異なる模様。引用文献:An estimation of the number of cells in the human body. Annals of Human Biology/ 2013)、細胞や細菌の種類も膨大かつ新しいものも次々と見つかっていることだろう。

またヒトの個体差や外環境の変化を考慮すれば、細胞の働き自体も変化が現れるし、薬剤投与に代表される医療介入といった、あらたな登場人物やスパイスを、物語に登場させることが出来る。

つまり、登場人物やストーリーの元ネタが膨大な数あるというわけだ。


マンガ作りが難しい理由のひとつに、ネタ探しが挙げられると思う。週刊や月刊連載の中、登場人物や話の展開という膨大なネタを考えなければいけない漫画家にとって、ネタ探しのストレスからの開放は何にも代えがたい幸せなのではないか。

ところが、細胞を擬人化するというワンアイディアを採用することで、この夢のような話が実現することとなる。


擬人化は公知技術であるが、細胞の擬人化は発明といえる。

(進歩性が認めら得るかは分からないが、)清水先生は今すぐ特許庁に駆け込んだほうが良い。


ということで、なんとなく『はたらく細胞』に興味をそそられていなかった私であったが、発明とあれば読まないわけにはいかない。現代人として、発明が生み出す甘い汁をすすらないわけにはいかないのだ。



おもしろくなかった。

ところが感想は見出しの通り、シンプルに面白くなかった。細胞の擬人化は発明!とまで持ち上げたのに、驚きの結末だ。


「あれだけスピンオフされてるんだから大丈夫だろ〜」と楽観し、珍しく全巻購入した結果がコレである。

Kindleの「あなたへの特別オファー」とか「全巻購入でポイントアップ」とか、一見魅力的に見える申し出を容易に快諾してはならない。これらは天国への階段ではなく地獄への扉かもしれない。

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(Kindleの提案は地獄への扉(Tips!):著者撮影)


しかし解せない。発明が生み出す甘い汁をすすりにきたら青汁だったわけだが、どうしてこうなってしまったのか。

Amazonのレビューも高評価多いのになぁと高評価レビューを見てみると、教員やら医者やら息子が勉強しなくて困っている母親やら、おおよそ普段マンガを読んでなさそうな人のレビューが多く目についた。しかも学習まんがとしての評価が多い。

声の大きい非専門家の意見ほど役に立たないものはない。


1844年に出版された『滑稽五穀太平記』に「餅は餅屋がよし、指し合いのことは此方にまかせよ」とある。

よくホリエモンとかジョブズに影響されて「専門家の意見に振り回されるな、自分の考えで動け!」と息巻いている若者がいるが、それはあなたがホリエモンやジョブズくらい凄いならね、といつも思ってしまう。

凡人は1800年代から現代に残る至言に従ったほうが無難だ。

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(餅は餅屋:『滑稽五穀太平記』2巻より引用)


さて、細胞の擬人化はマンガ界の革新的発明であったはずなのに、面白さが伴わないのはなぜか?全巻読んでみて、なぜこのような結論となったか私なりの結論を得た。

『はたらく細胞』には、驚きがないのだ。


予定調和の悲しさ

『はたらく細胞』の話の展開は毎回だいたい同じだ。

1. その話の中で焦点があたる細胞の登場
2. 細菌の侵入または宿主の不調
3. 白血球または1の細胞の活躍で、2が解決

これだけである。登場する細胞や細菌、病気も含む身体不調に違いはあれど、毎度お決まりの話が続く。

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(全6巻に渡る天丼:『はたらく細胞』1巻より引用 清水茜著)

宿主であるヒトが死んでしまえば話が終わってしまうので、ある意味仕方がないことなのだが、あまりに代わり映えがない。


しかし同じような展開が繰り返されること自体は、決して悪いことではない。ドラえもんだって大体は「のび太がやらかして、ひみつ道具でなんやかんやする」という展開の繰り返しだ。

にもかかわらず『はたらく細胞』はシン・ドラえもんにはなれなかった。何故か?その答えは予定調和ゆえの悲しさにある。



『はたらく細胞』には先の1〜3の流れの中で、焦点を当てた細胞の働きを紹介するというエッセンスが加わっている。2巻の好酸球の例がその典型だ。


細菌駆除にあまり役立たない好酸球(かわいい)が、本来の役割である寄生虫駆除に力を発揮し、まわりの細胞たちから見直されるという展開。

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(急に大活躍する好酸球:『はたらく細胞』2巻より引用 清水茜著)


話の作りとしては何も問題ないのだが、各細胞の働き通りに話が進むので、対象となる細胞の働きを知っていると、先の展開が大体わかってしまう。小中学生には良いのだろうが、どうしても「知ってるなぁ」となってしまう。

結果、宿主が死ぬと物語が終わるという性質も含めて、予定調和の物語が淡々と繰り返されていくことになる。そこには驚きも感動もない。


思い返せば『ウマ娘』をプレイしている時も同じような気持ちになった。

元ネタが競走馬たちの物語なので、どのレースで誰がどの様に勝つのかは周知の事実である。そして『ウマ娘』が萌えアニメに分類される以上、キャラクター達が予後不良(死ぬこと)になることはほぼ無い。

サイレンススズカもライスシャワーも『ウマ娘』の中では、それぞれの人生を歩んでいく。「ゲームの中だけでも幸せになって欲しい」という意見もあるだろうが、物語としてははっきり言って叙情性がない。


ライスシャワーの主な騎手であった的場均は自著の中で、擬人化について非常に考えさせられる、かつある意味辛辣な言葉を残している。

確かに僕らはミホノブルボンの三冠を阻止し、メジロマックイーンの天皇賞三連覇を阻んだ。アイドルホースたちが歴史的偉業を達成する瞬間を邪魔してばかり、そんな印象なのだろうか。(中略)アイドルだとか悪役だとか、馬たちを擬人化しては、ドラマ仕立てで眺めるのも競馬のひとつの楽しみ方なのかも知れないが、そうした見方では決して感じ取れない、ずっと奥の深い、面白い世界が、そこには広がっているはずである。

『夢無限』より引用 的場均著


まとめ

『はたらく細胞』が生み出した「細胞の擬人化」という発明は、多くの新人漫画家をネタ探しの苦悩から開放する可能性を見出した。

しかし、細胞を主役にしたゆえのマンネリ感と予定調和の2重苦は、読者の想像を超えない「学習まんが」しか生み出さない。


的場の意見はとても的確だ。誰も先を知らない競馬や物語は、時に私達の想像を超えた感動を生み出し、心を動かす。

擬人化は普段興味を示さないものにも、親しみをきっかけとした興味を与える。とても素晴らしいことではあるが、これだけでは心に残る感動を起こすには足らない。予想もしない出来事が時には必要となるのだ。


ふとした日常に心を動かす出来事が必要ならば、たまにはギャンブルでもしてみると良いかもしれない。

しばらくはコントレイルに賭けておけば、だいたい損はしないはずである。

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(迷ったらコントレイル:『コントレイル』Wikipediaより引用)


・・・と思っていたら、先程の大阪杯は負けた模様。いやー、ギャンブルって心に良いなぁ(血涙)。


それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』

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