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私と私の声のお話:または私はいかにして心配するのを止めてボイチェンを使うようになったか


最近、心から嬉しいと思えることがありました。
私の「声」のことを褒められたことです。


…つい先日、私のボイチェンの研究は一つの区切りを迎えました
そこで、一度ここまでのまとめをしておくべきかなと思い、ボイチェン環境解説記事を書こうとしたのです…が、ボイチェンについて悩んだ2年間の思いをつらつらと書いた結果、その前振り自体があまりにも長くなってしまいました
これはさすがにボイチェンの技術的解説という趣旨から外れることから、開き直って好きなだけ書いて、こうして別記事として公開する次第です。

というわけで、こちらは技術的側面の少ない、やや退屈な語りになると思いますので、私のボイチェン環境にのみ興味がある方は後編のボイチェン環境解説をどうぞ。
あるいは、それでもいいよという心の広い方は、よろしければ暇つぶし程度にお付き合いいただければ嬉しいです。

◆バーチャルな声帯:私にとってのボイチェン

私、思惟かねという存在は、バーチャルな声帯としてボイスチェンジャーを使っているのは折につけて触れている通りですが、ボイチェンの力を借りて現実レイヤーの「私」と別の声で話すということは、実のところとても大きな意味があります。
なぜならこの「声」こそが現実世界の「私」とバーチャル世界の「わたし」、思惟かねを別人たらしめる鍵の一つだからです。

例えるなら、ハンドルを握ると性格が変わる人とでもいいましょうか。私にとって「声」は、そのようないわば精神的なスイッチともいえます。
時折交絡する現実世界の「私」バーチャル世界の「わたし」は、しかし「容姿」そして「声」という自己認識の壁があって、初めて独立を保てていると思います。

ボイチェンは思惟かねというバーチャルな存在にとって、必要不可欠な構成要素なのです。
それはこの電脳世界の隅っこにひっそりと表れた2018年から2年の間、変わることなく確固たる思いとして私の中にあります。

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…しかし、そう思いつつも、一方で私は自分の「声」に自信がありませんでした。
そも、ボイチェンというのは不自然なものです。元ある自然な声を歪めて、別の声にしようという試みなのですから、それはもう当たり前の事です。
マグロナちゃんに憧れてVT-4を手に入れた時からずっと、それを強く感じていました。

とても人に聞かせられる声ではない

それが率直な私の思いでした。
既に述べたように、私にとって声は欠かすべからざる要素であるにも関わらず、です。

実のところ、私が2018年から2020年上旬まで1年半ものあいだ、まともな活動をしたことがなかったのは、この自分の声に対する違和感を我慢できなかったためです。自己紹介動画さえも、実はほぼ完成しながら声に納得ができず世には出しませんでした
その間も細々と #思惟かねのボイチェン研究部 として文献調査やVT-4の研究をしたり、恋声やDAWの導入、マグロナちゃんの研究へのキャッチアップ、そして戯れ程度の発声練習などを続けていましたが、満足できるものになったとは一向に思えませんでした。

:私の迷走っぷりが分かるツイート


◆転機は突然に

しかし、今年になって転機が急に訪れました。

年初にnoteの記事がバズったことを機にTwitter上での交流が広がったのですが、そこで知り合ったスシテンコ先生(@sushitenko)からお誘いを受けて、突如コラボ放送の企画が5月に持ち上がったのです。
話があれよあれよと転がり、今までライブ放送はおろか自己紹介動画すらアップしていなかった私は、初放送でいきなり3人のゲストを迎えての対談番組の司会者をやることになってしまったのです。

企画そのものの準備をはじめ、ほとんど触ったこともないOBSの設定、初めてのYoutube Liveの扱いを覚えたり、サムネ作成をしたりなどなど山ほどタスクがあるのに、放送は3週間後
今考えると無謀としか思えません。

もはや「声に自信がない」などと言っている場合ではありませんでした
私は差し当たって会話に支障のないレベルであればよい、と自分の中でのボーダーラインを思い切り引き下げて、それまで構築してきた環境ほぼそのままで放送に臨みました。
これは謙遜でもなんでもなく、「もうどうにでもなれ」という気分でした。


◆結論:案ずるより産むが易し

そして終わってみればあっけないものでした

あれほど懸念していた私のバーチャル声帯は、なんら問題になることもなく、無事放送を終えることができました
幸いにも、会話をするという点において私の声は及第点に達していたということになります。

また私の中でも「これ以上は多くを望めないかな」という技術的な限界がある程度見えていたこともあり、この辺りが妥協点だろう、という思いが強くなりました。
かくして私は1年半にわたる出口のない試行錯誤の沼から、ひとまず腰を落ち着ける岸を見つけたのです。


振り返って思えば、もっと早くその結論に至るべきだったと思います。

Done is better than perfect.:完璧よりも終わらせることの方が素晴らしい」とは、Facebookのマーク・ザッカーバーグ氏の言葉です。
私の迷走はまさにそれであり、完璧を求めるあまり何も生み出せなかったのは、まこと後悔すべき点と言ってよいでしょう。

もちろん、声というものは冒頭に私も話したように、自身のアイデンティティの根本であり、かつ他人からのイメージも左右する重要なパーツです。
私の周りにも「声をどうするか」で悩んでいる人が少なからずいるのも、無理なからぬことでしょう。

けれども、だからといって悩んだまま足を止める愚を犯すべきではないと思います。
結局のところ、声とはコミュニケーションの手段にすぎません大事なのはコミュニケーションであり、声を使って何をするかです。

自分のやりたいことは何だろう。
おぼろげにでもその輪郭を掴めているのなら、多少の「心残り」があろうとも、その目的に向かって進むべきです。
繰り返しますが、声とは手段であって目的ではないのですから。

声にしても、一度世に出してしまえば、自然と進むべき道も見えてきます。
"Done is better than perfect."とは、実に至言という他ありませんね。


◆それでも「これだけはしておきたい」一つのこと

…と、背中を押した3秒後に裾を引っ張るような話をするのはいささか気が引けるのですが、この機に「これだけは言っておかなければ」と思うことがあります。

繰り返しになりますが、声はコミュニケーションの手段であり、人と意思疎通できることこそが存在意義に他なりません。
なれば「コミュニケーションに適さない声」というのは、その本来の意味を失ってしまっているのではないでしょうか?


その一例が「聞き取りづらい声」や「小さすぎる声」です。
現実世界では滅多なことではありませんが、ネットワークを経由して会話するバーチャル世界では、これは少なからず見られることです。
例えばボイチェンをきつくかけすぎたり、あるいは音響周りの設定が不適切なために、声が割れたりつぶれたり、音量が不足したり。あるいはルーティングやマイクの設定がまずくて、音が回りこんだり、環境ノイズがひどかったり

こうなっては、まっとうなコミュニケーションは望めません
たとえいくら声がかわいい・格好よかったり、トークが面白くても意味がありません。それを人に伝えることができないからです。実にもったいないことだと思いませんか?
また、こうした問題は他人からすれば解決が面倒ですし、そもそも「声が聞き取りづらい」と伝えること自体気が引けるので、当人は気づくことが難しいです。


機材や環境はひとそれぞれですから、仕方がない所もあります。
けれど「事前に自分のマイクの音を録音して聞いてみる」というひと手間をかければ、「何かがおかしいぞ」ということに気づくのは難しくありません。Discordにはマイクテストの機能だってあります。

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そして適切な知識と機材を使えば、こうした問題の多くは解決できます。相談すれば、解決を手伝ってくれる方も多いはずです。
そして感覚的で試行錯誤の多いボイチェンの設定と違って、こうした「聞きやすくする」調整は、すぐにはっきり効果が出ます。また「良い」ボイチェンを構築するには、こうしたベースとなる調整は必須です。

というわけで、バーチャル世界での「声」について考えるのであれば、まず第一歩として手をかけるべきなのはここだと、私は強く勧めます。

あなたの声はちゃんと「相手に聞こえて」いますか?

声については、あれこれ思い悩むよりもまず行動してみることは間違いなく大事です。
しかし同時に、そこには満たしておくべき一定のラインがあり、またそれが会話する相手や視聴者に対する思いやりであるということも、頭の片隅に留め置いてもらえればいいなと思います。


◆さいごに

さて、ややとりとめもなく話してしまいましたが、今回お伝えしたいことは、たった二つです。

・「声」については悩みすぎず、勇気を出してやってみることが大事
・それでも自分の声が他人にとって聞きやすいものかどうかは気にかけよう

ボイチェンとは、自分の声を好きな声に変えられるものではありません。別の「自分の声」に変装するアイテムです。「ボイチェンはふりかけ」という金言がありますし、あるいは平行世界の自分の声を召喚するアイテム、なんて言い方もできるでしょう。
だから、いくら試行錯誤しようとも、理想の声が出せないなんてことは当たり前だと思った方がよいです。

事実、私が1年半試行錯誤した末のボイチェンの設定は、結局半年ほどでたどり着いたものと大きく変わりませんでした
(変わったことがあるとすれば、リアルレイヤーでのチューニング…要は発声ぐらいです。この話についてはまたボイチェンの記事で)

だからこそ、この記事を読んだ方はあまり私のように悩みすぎず、「声はあくまで手段」と割り切って、早々に自分のやりたいことをやって欲しいなと思います。
これはボイチェンだろうと、地声だろうと変わりません。声に自信が無いと何かをしてはいけない、なんてことはありません

大事なのは、その声で何をするか?ということですから。


その一方で「相手にとって聞きやすい声か」ということは、忘れずにいて欲しいと思います。
声とはコミュニケーションの道具であり、聞き取れない声はその本来の意味を失ってしまうのです。

まず、自分の声を録音して聞いてみること
それで何かがおかしければ、ちゃんと解決しようと調べたり、試行錯誤したり、詳しい人に聞いたりしてみる。これは地声もボイチェンも同じです。
特にボイチェンは、設定次第で聞き取りづらい音になりやすいので、注意することを勧めます。
(ここでも実は、大本の発声そのものをきちんとすることが重要だったりしますが…)

そのハードルさえクリアすれば、たとえあなたが「もっとかわいい声/いい声になりたいな…」と満足していなくても、他の人はその声をあなたの個性としてありのままに受け入れてくれるはずです。


バーチャルな存在たる私の声帯、ボイチェンにまつわる試行錯誤の回り道の教訓が、まだ見ぬ誰かの役に立つことを祈って。

今日はここまで!

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また次の記事でお会いしましょう。

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