見出し画像

全てがVになる:VRが変える私たちの社会、2050年のその姿(中編)

先日公開した前半の記事は、あまりに突飛な内容であったのにも反して、多くの方から反応を頂くことができ、本当に嬉しく思います。

私たちの心の中に形作られた「なりたい自分」。それが2D/3Dの「体」を得、身体性や、「中の人」とは別の人間関係をも獲得することすら可能なVTuberはもはや一個の仮想的な人格であり、それは現実に縛られた私たちに代わって「なりたい自分になる」自己実現へと近づいてくれる。
そんな突飛な思索に、少なからぬ共感があったことに、私と同じくVRがもたらすこの先の未来に可能性を感じている人が大勢いると実感できたのは、とても心強い思いです。

しかし今回の中編では、少し視点を変えて、これから少し先のVR技術の進歩と普及を踏まえた私たちの社会の変化を、私の拙い想像力の中で表現してみたいと思います。具体的には、VRが社会に浸透していくことで世界はどう変わっていくのか?その一片でも描写できれば、と思うのです。

しかし、なぜVTuberの考察のために、未来の社会の変化を考える必要があるのか?その理由については、続く後編にてその答えをお見せすることができると思います。
ただし、その未来の社会の在り方こそが、VTuberのもたらす可能性を現実のものとする鍵そのものとなるからこそ、この中編は決して欠かしてはならない一稿です。ゆえに、私に免じて今回もお付き合い頂ければ嬉しいです。

(…実は本来、これは1本のエッセイとして執筆の予定でしたが、あまりに長くなりすぎてしまったため分割せざるを得なくなったのですが…)

なお、一応注釈をしておきましょう。これはSF小説ではありません
近い未来のうちに私たちの社会に訪れる劇的な変化の、その現実的予測の一つです。

その事をぜひ踏まえた上で、今回もお付き合い頂ければと思います。


◆VRの社会への浸透:2020年現在の断面から

それでは、皆さんと一緒にVRが社会に浸透した結果生まれる未来の社会の姿を探っていきましょう。
もちろん、これが私の夢想であることを否定する根拠はないのですが、未来は必ず過去と現実の延長線上にあるという私の理念の基、可能な限り今見える現実の姿を手がかりに「ありえる」突飛な未来の姿を思索していきましょう。

まずは現在、2020年を起点としてこの先を見据えていきましょう。
結論から言えば、これから先、急速な勢いでVR技術の発展と普及、そして社会への浸透が進むでしょう。

その一例であり、原動力となると期待されるのがビジネスの世界です。2020年の「コロナショック」によってリモートワークという言葉が世間に一気に浸透し、実感されましたが、あの時に「オフィスって本当に必要なのか?」と思った方は決して少なくないでしょう。
まさにその問いかけにVRオフィスという形で答えを出そうとしているのが、株式会社桜花一門です。桜花一門の高橋氏は、記事の中でこう語っています。

自社をVRオフィス化することで、交通費とオフィス代を払うのが馬鹿らしくなった弊社が、今後まず目指すべきはVRオフィスの拡大化です。数十人規模のプロジェクトをVRオフィスだけで回すことができるのかを実験していこうと思っています。
次に目指すのはそのノウハウや文化を他社へ移植すること。(中略)
そして最後に大多数の国民が奪われている時間と空間=金を取り戻し、みんなと山分けすること。

つまり、職場となるオフィスをVR空間に移すことで、会社とそこで働いている個人の両者にとって直接的な時間的・金銭的メリットが生まれるということです。

お金は正直です。経済的なメリットがあるなら、その動きはとどまることなく確実に進むでしょう。実際、コロナショックで急速に世界経済の減速する一方で、リモートワークを通して世間の関心は確実にVRへも向いています

そして、その変化はビジネスだけに留まりません
きっかけは恐らく直接的な利益があるビジネスでしょう。が、それによって技術が進歩し、普及が進み、より低価格化・一般化すれば、それに続いて今度は大衆文化にもVRの波が押し寄せる日が必ず来ます
これは現在のVR文化の主流である、VTuberやOculus Questに反応した一部のニッチで敏感な層が起こすブームではなく、今度は本物のマス層がVRという世界に押し寄せてくる時代が来るのです。
その結果、私たちの身の回りにある生活や娯楽のうち、可能なありとあらゆる物がVR空間に持ち込まれようという試みがなされるでしょう。マス層がこの世界にやって来ることで、そこに大規模なビジネスの可能性が生まれるからです。

例えば買い物。ネットサーフィン的なECサイトと違って、実店舗と同じように歩き回って手にとって買い物ができるVRショップは、コンビニでついつい不要なものを買ってしまう顧客心理を考えれば分かるように、ただの「外見を豪華にしたECサイト」ではない、様々な付加価値を持ちます。しかしその実、その運営費はECサイトと同じく非常に安価でしょう。少なくとも現実世界の実店舗よりは遥かに。
例えばゲーム。いまやボイスチャットとネットワーク通信により、遠く離れた友達と一緒にゲームをする姿は珍しいものではありません。が、やはり「友達の家に集まってゲームをする」というのが一種特別な意味を持つのは、皆さんお分かりでしょう。ゆえにマス層にVRが普及すれば、VR空間に集まって皆でゲームをするというのは、全く珍しいことではなくなるはずです。

極めつけに、先程紹介したように、職場という社会人にとって家と並び最も長い時間を過ごす場までもがVR空間に存在するようになった時。つまり桜花一門さんが考えるVRオフィスが広く普及し、もはや当たり前になった時。
私たちの生活はもはや一日の半分以上をVR空間で過ごすような、VR抜きには考えられないものとなるはずです。VR空間が私たちの「社会」そして「生活」の一部になる日は、思ったよりも近い未来の不可避な現実であると考えられるのです。


◆社会のマルチレイヤー化の原動力:「私たちは近づきすぎた」

前章では、VR空間が2020年現在のクリエイティブでエッジ的な場所から、マス層の活動の場となって社会と生活の一部として取り込まれていくことがほぼ確実視されるという考えをお話しました。
しかし、VR空間の可能性と特殊性は、ただそれが「現実空間での行いのコピー」、イミテーションであることを許さないでしょう。では現実からVR空間へ社会の一部がシフトしていくその中で、何がどう変わっていくか

ここで登場してくるのが「社会のマルチレイヤー化」というキーワードです。

私がこのキーワードを初めて耳にしたのは、去る2019年に開催されたバーチャル学会で、東京大学の稲見先生の基調講演を拝聴した時だったと記憶しています。

先生の公演は多分に感じ入るところがあるものでしたが(ぜひYoutubeの動画をどうぞ)、当初はこの「多チャンネル化(マルチレイヤー化)した世界」という言葉に、私は強い印象を抱く一方で、実に曖昧なイメージしか持ちえていませんでした。

しかしこの言葉が、私の中で突如具体的なイメージと現実感を持ち始めるきっかけとなったニュースが有りました。

それは、本稿の軸であるVRとは少し毛色の違う話題である、Twitterが分散化するというニュースでした。
これについては下記のnoteが分かりやすく説明してくれているので、お時間のある方はぜひ後ほど読んでみて欲しいのですが、まずここでは本稿に重要なポイントのみを引用させていただきましょう。

Jack Dorsey(脚注:Twitterの創始者)の提言
(中略)
・中央集権ネットワークでは悪意あるツイートを1つのルールによって管理するのは不可能である。
SNSは怒りや論争に注目が集まりすぎる傾向にあり、健全に管理するのは困難である。
(中略)
ブロックチェーンという誰にでもオープンな技術を得たことにより分散SNSを実現する目処が付いた。(後略)

Twitterという現代のSNSに不可欠なコミュニケーションの場を生み出したJack氏の提言、そしてそれを反映した実際のTwitterの運営方針の変化は、見ての通り衝撃的なものでした。
Twitterという、世界中の価値観がひとつに集まるといってよい空間が、ついにその「ひとつの世界であること」が、かえって怒りや論争を激化させることを認めたこと。そしてそれを避けるために分散化…つまり、対立し合う人達同士は遠ざけるしかないという方針を選んだこと。

これは、実は物凄く象徴的な出来事であると、私は思います。


…私たち人類は、インターネットという一見すると世界中を一つに統合した空間の住人であるために、またここ数十年の世界が「グローバル化」という美名の下に一つになることが夢見られていたために忘れがちな事実があります。
往々にして人とは互いに不寛容な存在であること。私たちは互いの争いの中で歴史を作ってきたこと。そして互いを認め融和することができないのなら、そこには争いか、あるいは別離しかありえないということ。
こうした残酷で、けれども歴史が語る確かな事実を、私たちは思い出しつつあるのです。

同じようなことを私たちはここ数年の間、世界中で見てきたのではないでしょうか?
アメリカでは富裕層(エスタブリッシュメント)と労働者層の分断が深まり、その結果、誰もが予想しなかったトランプ政権が誕生したこと。その結果、国際協調の先頭に立っていたアメリカが突如として一国主義的な外向へと傾いたこと。欧州ではEU内での移民問題や意見対立が、イギリスのEU離脱(ブレグジット)を招いたこと。世界中でグローバリズムが勢いを失い、ナショナリズムが隆盛していること…。

もちろん、直接な原因は各々異なります。けれども、その背景にあるものは、Twitterが分散化を決めた背景と根っこは同じであると私は思います。

つまり、「私たち」はお互いに近づきすぎたのです。
SNSや情報技術、発展する交通網が世界中の距離を狭め、お互いの意見を赤裸々に見せつけ合う世界を招きました。その結果として私たちは「自分とは違う人たち」に対して寛容でいることに耐えられず、衝突し始めるしかなかったのです。

ゆえに、私たちは2020年現在、無意識に気づきつつあります。
「自分とは違いもの」とはお互いに距離を取り、緩やかに分離していくこと。それこそが、私たちが心安らかに過ごす唯一の方法であると。だから世界はゆるやかに分断の方向へ、しかし確かに動き始めているのです。

Twitterの分散化は、まさにそれを象徴しているニュースである、と私は読み解いています。


◆そして分散する社会とVR世界の未来の姿:マルチレイヤー化するVR世界の実像

このように2020年、私たちの社会はこうした分断と分散の動きをついに見せ始めました。おそらくこれは一過性の傾向ではなく、歴史的な必然であると考えます。
何かをすれば、必ず反動が来る。情報技術やSNS、交通網の発達、異文化交流の促進…「私たちが近づきすぎた」反動が、今まさに私たちの社会に生じているのです。

そして、この先、未来のVR世界でも全く同じ現象が起きるであろう、と私は考えます。なぜならここでいう「未来のVR世界」は、もはや2020年現在の夢と技術が集まる異世界ではなく、私たちの社会の一部となった現実的な世界だからです。
具体的には、分散化していくTwitterの鏡写しのように、国や民族、趣味・政治・性向といったクラスタごとに「自分たちだけのワールド」が生み出され、コミュニティは細分化されていくでしょう。そして、こうして生まれた無数のコミュニティ、ワールドは、おそらく互いに深くは交わろうとはしないでしょう。私たちは「ひとつであること」に倦んでしまったからです。

Twitterで過激な表現が運悪く物言う人の目に止まったことをきっかけに批判にさらされたり、公共機関のキャッチーなポスターがごく一部の人間によって剥がされたりしたように、私たちは「互いに近づいてはいけないクラスタがある」ということを、体感的に、経験的に強く知ってしまったのです。

だから、ワールドやコミュニティ間の交流は、同種のクラスタ内でのものが殆どになっていくでしょう。交流の途絶えた、独立したコミュニティの分散複合体。いうなれば島宇宙的な世界が、VR空間には生まれるでしょう。
もっともスペースやお金に限りのある現実世界では、どうしても望まぬ誰かとの接触は避けられません。しかしVR空間の、まさに宇宙のような無限の広さは、現実には不可能と思われた無限の分散を、完全な隔離を可能にするのです。

VR世界の中で私たちはもう「ひとつ」になろうとする必要なく、したがって争う必要もないのです。

画像1

もちろん、例えば「VRショップ」や「映画館」のようなパブリックな場所は、そうした島宇宙の中にも存在するでしょう。けれど、場合によっては、それすらもそれぞれの島宇宙の中に分断されてしまうかもしれません。
なぜなら、お互いの衝突によるトラブルを避けるためには、そうした公共施設すらも分けてしまった方が楽であり、そして無限の広さを持つVR空間は「ワールドAの映画館」と、そのコピーである「ワールドBの映画館」を別々に作ろうとも大した問題ではないのです。
現実で利用者別に映画館を別々に建てるのは不経済極まりないですが、VR空間はその可能性を許容するのです。

これを分断による活気の消失や可能性の消失と見るか、私たちがあるべき姿に向かっていく安定化の過程と見るかは、皆さんにおまかせします。
けれどもこれは確かに、バーチャル空間こそが可能にする、未来の可能性の一つなのです。


◆分散したVR世界のプラットフォームについて:それでも私たちは「ひとつ」でいられる理由

こうした、多数の島宇宙的VR世界が、私の予測する一つのVR世界の未来です。しかしここで、もう少しその具体像を掘り下げてみましょう。

より詳しくいえば、分散化というのが同一プラットフォーム内での分散なのか、別プラットフォームの並立による分散なのかです。例えるなら、Twitterの分散化のようになるのか、Twitter/Facebook/Instagramといったような様々なプラットフォームで目的別の住み分けがなされるのか。

前者はVRChatのような世界として容易にイメージでき、技術的には既に実在しています。私の好きなソードアート・オンラインに登場するVRMMO世界の集合体「ザ・シード・ネクサス」もこれに似た概念ですね。

しかし一方で、目的別に特化され、より目的と分散化が明確となった様々なプラットフォームが並立するという後者の可能性もまた捨てきれません。これはまさに先に上げた現代のSNS、twitter, Facebook, Instagram, Snapchat, TikTok等々、様々なSNSが並立する2020年の現状にその相似形を見いだせるでしょう。将来的なVR技術のさらなる発展と多様化を考えると、現実的にはこちらの可能性のほうが高いのではないか、とも思います。
が、一方でそんなバラバラのプラットフォームが並立してうまくいくのか?規格競争のようにどこかに収斂したり、あるいはまとまりがなさすぎて崩壊に向かってしまうのでは?そんな疑念について、実は先程のTwitterのニュースに、まだ触れていない重要なポイントが一つあります。つまり、

ブロックチェーンという誰にでもオープンな技術を得たことにより分散SNSを実現する目処が付いた

このJack氏の発言です。
ブロックチェーンという技術は、皆さんご存知でしょうか?簡単に言えば、それは電子的な台帳です。ただし全てのユーザーがそのコピーを持っています。つまり誰かが偽造をしてもバレてしまうので、電子台帳でありながら偽造が不可能である特徴を持ちます。
このブロックチェーンを使ってVR経済圏を創るという、非常に面白いビジネスプランを提案しているのが仮想商店街Conata店主のmekezzoさんです。こちらも非常に興味深い内容なので、ぜひ後ほどnoteを読んでみて欲しいのですが、以下記事から数節を引用しますと、

Conataではあらゆるデジタルデータを権利保護されたバーチャルグッズとして販売、コレクション、展示が可能です。
ブロックチェーン上に権利情報が保管されているため(中略)どのアプリで購入した商品も呼び出すことが技術的に可能です。今までアプリだけに閉じていたデータがアプリの垣根を越えて連携できます

このように、ブロックチェーン技術により情報を共有することでプラットフォームの垣根を超えるというのは、今の時点ですらもはや現実的な提案になりつつあるのがお分かり頂けるでしょうか。

【5/29追記】
そしてこのブロックチェーンが分散するVR世界を「情報」で貫く串だとすれば、同じくVR世界を「モノ」の軸で貫くという試みもまた今まさに努力が続けられている真っ最中です。

MIROさん(@MobileHackerz)は、アバターのユニバーサルフォーマットとして策定されたVRMを手がけられ、バーチャルキャストのCTOを務めている方です。このVRMは、まさにここでいう「モノ」としてのアバターが、プラットフォームレベルで分散したVR世界を自由に渡り歩くために必須となる(MIROさんの言葉を仮借すれば)「体とモノのポータビリティ」を実現するための技術そのものです。

またMIROさんから直接ご教授頂いたのですが、驚くべきことにアバター以外についてもVCIというフォーマットの下、インタラクティブ性を持ったアイテム(つまり形状データだけでなく、その機能をも含めた「モノ」)のプラットフォームを越えた共通化を目指して技術開発を進めているそうです。
全く別のアプリケーションで、けれども同じような動作をする物を作るということがどれだけ困難かは推して知るべしというところです。
これだけでなく、先のmekezzoさんがブロックチェーンで実現しようとしたようなモノの所有権という属性の共通化についても、THE SEED ONLINEという形で撮りんでいるとのこと。
VCIについてより詳しく知りたい方はMIROさんのこちらの連ツイを御覧ください)

2020年の現在ですらこうしたビジョンのもと情熱的な技術開発が各所で続けられているというのは、私が描いたようなプラットフォームの乱立する分散型VR社会がゆくゆく到来しても、その未来を明るく照らし出しててくれるであろうと確信するに十分な事実ではないかと思います。


広漠としたバーチャル空間のあちこちに、様々な目的や機能、コミュニティに特化したプラットフォームが島宇宙的に浮かぶVR世界。
職場のあるビジネスワールド、ファンコミュニティのあるアイドルワールド、哲学的な討論ワールド…。全ては独立して浮遊しており、行き来はできても細々としたつながりしか持ちません。
けれどもその離れ離れの世界群は、先に紹介したブロックチェーンや、あるいはVRM/VCIのようなのような「一つの世界であろう」とする情熱に支えられた技術によって情報的に繋がることができます。その時、あるワールドで買った書籍は、まったく別のワールドでも読むことができるでしょう。宇宙の端と端ほどに遠いワールドの間でも、お金の単位は共通であり、あなたの財布は一つです。私たちは分散しているが「ひとつでいられる」のです。

このように、分散しながらもあたかも一つの世界であるように存在する分散型VR世界というのが、未来がたどり着くVR世界の一つの姿ではないでしょうか。

画像2


そうした島宇宙を確かに繋ぐ情報技術を、分散化に向かい拡散する世界の最後の紐帯と見るか、あるいはそうした世界が再度統合に向かう可能性の象徴と見るか、これもまた読者の意見が分かれるところだと思います。
私はただ、そのいずれの可能性をも提示するにとどめたいと思います。


◆おわりに:そして変わる「現実の意味」と本当のマルチレイヤー化社会

以上のように、今回はVR技術が社会に浸透しきった時、VR世界がどのような姿になるかについて私のビジョンをお見せしました。
しかし、ここまでVR世界が社会を変えてしまった時、また大きく変わらざるを得ないものがあります。「現実世界」というレイヤーが持つ意義です。

VR世界がこのように変わる時、ほぼ間違いなく、現実世界は相対的にその意味を大きく変えることになるでしょう。
今でこそ現実世界は全ての基盤であり、唯一の「本当」であり、それ以外は全て虚構であるという認識が主流です。いくら私がバーチャル・リアリティ(実質的には現実である)世界という言葉の可能性を訴えたところで、やはりVRを「仮想現実」あるいは「虚構の現実」と読み替える人が大半でしょう。

画像3

しかし私たちの社会をVR世界が覆い尽くしていく未来の中で、現実世界は今ほど絶対的な価値を持ち続けることはできるでしょうか?おそらくは難しいと思います。
私たちの生活がよりVR世界に依存する方向へシフトするにつれて、現実世界はVR世界と相対的に比較される存在に変わっていくでしょう。つまり、VR世界のワールドと同じで「幾つもある世界の一つ」に現実は変わりゆくのです。

もちろん、食べ、眠り、そして子を生み育てるという現実が持つ物理的な機能は、どうやってもVR世界が代替できないものであり、最後まで現実の実質的な価値として残り続けるでしょう。ただし「VR世界ではできないことができる世界」という、いささか逆説的な定義をも、現実世界は許容せざるを得ない時が来るかもしれません。


あくまで戯れにですが、ここで更に夢想的で遠い未来の話をすると、もしこうした現実の物理的な機能が全て機械によって自動的に果たされるようになった時、世界はどうなるでしょうか?
これは例えばかの映画マトリックス(人間の体を全てコンピュータが自動管理し、人類はVR世界の中でのみ生きている)で描かれた世界です。また楽園追放 -Expelled from Paradise-(人類の98%が肉体を捨て、電子データとしてVR世界で生活している)でもそれに近い世界観が描かれています。

その時、私たちにとって「現実世界」とはどういう意味を持つのか?

私がイメージしたのは、例えば人類が宇宙に広がった銀河英雄伝説のようなスペースオペラ世界でいう「私たちの母なる星、地球」と同じようなイメージです。唯一性ゆえに特別視されながらも、しかしそれ以上の特別な意味を持たない存在。
SFは荒唐無稽な創作である一方で、人が想像できることは必ずいつか実現するという一種の預言書でもあります。私たちが生きているうちかは分かりませんが、いずれにせよ私たちにとって現実の意味が未来に向けて大きく変わっていくということは、ほぼ確実であろうということが、皆さんにも感じられるのではないでしょうか。

無数の異なる価値観を持つ人々が、分散・拡散した多数のプラットフォームやコミュニティとして独立に浮遊する島宇宙VR世界。そんな中のちょっと特殊な島宇宙の一つと、現実世界はやがて認識されていくのかもしれません。
そうして分散した私たちの社会を、現実世界もVR世界をも貫いて、ブロックチェーンや経済活動、そして基本的な人の営みというものが、緩やかにまとめ上げていくのではないでしょうか。

それは堕落なのか、それとも可能性なのか。
皆さんは、どう思われたでしょうか?

画像4


…ただし、私の冗長な語りはここで終わりません。
この話には続きがあります。ゆえにこの表題は「中編」でしかありません。

実は私が本稿で語り終えたマルチレイヤー化した社会というのは、実はその一部である現実的・社会的側面のみを語ったものでしかありません。私が本当に皆さんに伝えたい、魅せたいビジョンは、この少し物悲しいけれど安定した心安らかな未来社会の姿ではないのです。

私はVTuberであり、未来の可能性を信じる者です。
冒頭に述べたように、今回の未来社会の姿の予測は、いうなればそれを語るための前準備でしかありません。この社会の姿がVTuberのもたらす大きな可能性を実現する鍵そのものであるからこそ、こうして夢のない冗長な語りを続けたのです。

だから、ここまで読んでいただけたあなたは「全てがVになる」の後編を、是が否にも読んでいただきたい。私が語りたかったビジョンは、最後の最後でようやく収束するのですから。

…と、漫画の引きではないのですから、みだりに期待を煽ったりハードルを上げたりしてはいけませんね。私は私の思索の形を可能な限りはっきりお見せできるよう、筆を進めるのみです

では、次回の「全てがVになる」後編でお会いしましょう!
ぜひ私のnoteとTwitterをフォロー頂き、「全てがVになる」の最終章をお見逃しなく。

画像5


⇒後編「バーチャルが生み出す「新しい自分」の可能性が輝く未来」へ続く


なお本稿に対してのコメントや感想を受けて、翌日起こした「感想文」がこちらになります。
よろしければぜひこちらもご覧ください。


【Twitterでのシェアはこちら】


この他にも、VRやVTuberに関する考察・分析記事を日々投稿しています。
もしよければぜひnote、Twitterをフォローいただければ嬉しいです。

また次の記事でお会いしましょう。

---------------------------------------------------------
今回も長文にお付き合いいただきありがとうございました。
引用RT、リプライ等でのコメントも喜んでお待ちしています。

画像6

Twitterhttps://twitter.com/omoi0kane
Youtubehttps://www.youtube.com/channel/UCpPeO0NenRLndISjkRgRXvA
マシュマロ(お便り): https://marshmallow-qa.com/omoi0kane
notehttps://note.com/omoi0kane

○引用RTでのコメント:コメント付のRTとしてご自由にどうぞ(基本的にはお返事しません)
○リプライでのコメント:遅くなるかもしれませんがなるべくお返事します


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?