胸の内を語るシリーズその①
僕は本心を外に明かさないタイプの人間なので、普段人には言いづらい気持ちを吐き出す場としてnoteを利用し始めた。
ここ最近、特に数年前くらいからだろうか、今後の自分自身のやりたいことや生き方(生きる意味)について考えることが多くなってきたと感じている。社会人になって働き始めて、しばらくしてからだと思う。
以前、こちらの記事を書いた。
ひとつのテスト結果でしかないが、特性幸福(明るく、人生に満足している)という項目が一番低かった。これは自分自身のどのような部分に起因するものなのだろうか。
僕は数年前に、社会人生活を送る中で自己理解を深めようと思い、巷ではやり?の16タイプ性格診断テストを受け、ISTP/INTPに近い性格だと認識するようになった。僕自身、「コミュニケーション」や「感情」といったものを表現することは苦手だと感じている。特に感情。
実際、僕自身ではめちゃくちゃ不幸だとは思っていないが、周囲の同年代(アラサー)と比較すると(これが良くないのかもしれない)特に幸福だとは感じていない。というか昔から幸福や不幸について考えることは少なかったが、ある程度の年齢になると急に考えるようになった。
いくつか要因が考えられる。このあたりは、別の記事で書こうと考えている。
この記事では、要因の一つだと思われる親子関係について触れたいと思う。
最初に言っておくと親子関係は特にこじれているわけではないと思っているのだが、何かもやもやとしたものをいつからか感じている。
僕は父、母、弟の四人家族の長男として生まれた。大学進学時に実家を離れて、現在でも一人暮らしをしている。
上に挙げたような性格の人間は、一人の時間・場所をかなり大切にしていると思う。何なら一番大切なことではないかとも思う。
僕の実家は狭く、一応自分の部屋はあったのだが、間取り上、僕の部屋を通り抜けないと奥の部屋には行けなく、完全な個室というわけではなかった。
思春期の頃からか、自分だけの部屋がないことに不満を覚え、自分の部屋がある友達を羨ましく思っていた。また、勉強や休憩、考え事をしているときなどに両親に部屋に入ってこられるのが嫌だった。
そのため、大学進学で実家を離れ一人暮らしを始めるとなった時は、実家を離れる不安より喜びが勝っていた。
親子関係についてもう少し深堀して考えるにあたり、僕の幼少期について話したいと思う。
僕の両親は共働きで、僕が小さい頃は近くの祖父母の家に預けられていた。
両親と祖父母の中は比較的良い方だったのではないかと記憶している。祖父も両親も一般的な会社員だった。