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何かを伝えることの難しさについて

睡眠を多くとった。

労働というものに縛られていると、どんな職種であれ体力はあった方がいいと感じている今日この頃だ。まだ完全には回復していない。

体力は睡眠で一応回復したように思うが、精神的なものは回復しない。

ベッドで寝転がってスマホを見る。目的がないただの時間の浪費が自分には必要だ。noteで他の人の記事を見るのはこういう時にちょうどいい。他意はない。

最近というか、僕が見るnoteの記事はどういう内容なのかがタイトルからは一見するとわからないものが多い。

様々な内容がある。その内容や背景について考えている時に精神的なものが回復しているような気がしている。

なぜ、この人は攻撃的なのか? 悲観的なのか? 何を主張しようとしているのか? 理由が直接的にわからない場合に思考を巡らす。ポエティックなものや創作物、あまりにも電波なものはそもそも読まない。

ポジティブな感情だけの内容については、個人的には考えてもあまり面白くないので基本的にスルーしている。

これは持論だが、ポジティブである理由とネガティブである理由を考えた時に、ネガティブである方がエネルギーを使いそうなのと、エネルギーをより使うということは、その理由を考える意義がポジティブよりありそうだから、というふわっとしたものがある。

まだ完璧に自分の中で整理できていないのでうまく言語化ができない。

僕が好きな言葉にこういうものがある。

「その人を知りたければその人が何に対して怒りを感じるかを知れ」

ここで、矛盾するのだが、僕は別にその人個人のことを知りたいわけではない。

僕が見ている記事を書いている人は僕が知らない人物だ。日常、身近にいるリアルの人物像を知っている人ではないという意味で。

もちろん、アカウント名が本名の人もいるだろうが、僕にとってはネットを通して見ている人なので、それがなんであれ認識するための記号でしかない。

そういった理由から、この人はなぜこの記事を書いているのかを考える場合の、「この人」はネットの中にいる多数ある人格の内の一つという認識だ。

この辺の内容は、文章用にちょっと盛ってるけど、大体こんな風なイメージを抱いてる。だから、その人個人を知りたいわけではない。

話を戻すと、記事の内容について、同意や共感できるか、正しいか正しくないか、好きか嫌いかなどはさておき、そもそも文章の意味が分からなければ、内容や背景について考えづらい。

例えば、

言葉そのものや言い回しが難解でよくわからないもの、具体性に欠けすぎていて何の話かがよくわからないもの、思考過程をすっとばして(意味不明な)結論だけ述べているものなどの場合は、別の記事に思考の対象を移す。

↓これも一例

【僕は人間というのは、目に見えない無数のパラメータがその人物の周囲にまんべんなく展開されていて、それらの程度の差がその人間の個性や特徴を表現していると思う。僕は4次元を認識できないのでとりあえず3次元で考えた。全てのパラメータが最大の場合に球体になる。

そのため、人間というのは球体に近い形状になり得る。可能性の話だ。】

上の結論は「A人間B球体である(になり得る)」と表現される。正しい正しくないはここでは無関係だ。

【】のそれぞれの文章が全く意味不明ということはないと思う。

たまにAの意味がわからない、Bの意味もわからない、「AはBである」も意味がわからないという文章を目にすることがある。?????

行間を読むとかそういうレベルではない。何もかもがわからない。

そういう場合、わからないことを踏まえた上での話になるが、この人は何を言ってる? 誰かに伝える気があるのか? そもそも、ただの自己表現でしかないのか?と考えてみる。結局、自分が飽きるか、わからないので他にいく。

記事に興味が持てた場合に、その作者の他の記事を見てみようと思う。

僕は関心がないが、詩とか俳句みたいなものは婉曲表現が多いものだと思っているので、こういうものも自分にとっては内容がよくわからないと言える。

noteで記事を書いている人は、何かしらの評価や反応が欲しいか、もしくはその記事を読んで欲しい対象がいなくても、誰の目にも触れないのは面白くない(この辺の感情の種類には個人差があるだろう)とか、誰かに見られる可能性があるという状況の中で記事を投稿することがストレス発散になるとか、なんとなくだとしても深堀していくと何かしらの目的があると思われる。

そうでなければ、わざわざネット上に記事を投稿する必要性がない。

書くこと自体が目的なのか、何かを表現したいのかは人によって違うが、
文章には何かしらの作者の意思が宿っているはずだ。

文章は他の芸術関連と違い、まだ作者の意思表示がわかりやすいのだろうとは思う。

本物?かどうかわからないが、ネットには意味不明な文章がごろごろ転がっている。

精神面を回復するための試みが、逆に精神面を削ることになりかねないので
ほどほどにしておく。


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