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自分の仮定に囚われる人
自分もけっこう当てはまる部分があるので、あまり大きなことは言えないが、僕の職場には、さらに仮定に対してネガティブな感情をのせてくる後輩がいる。
内容としては、もしこうなったらどうしよう、念のためこうしておくか、みたいなものだ。
この考え方自体は、仕事に限らず日常生活の中でも役に立つものだと思う。
仮定というのは想像力・想定力の産物だろう。何も考えずに突っ走っているよりは遥かにいい。時にはそういった場面も必要かもしれないが。
また、ネガティブさというのは必ずしも悪影響だけを及ぼすものではないと僕は感じている。
ただ、仕事に限ってはそうも言ってはいられない状況が多々ある。自分一人で仕事をしている場合はそこまで問題ではない。
思考を言葉にしてしまう際に、ネガティブさが漏れ出ているのが問題だ。
言葉というのは感情がかなり表れやすいと思う。さらに、その感情は伝播しやすい。
その後輩が上司や先輩などに、なぜ仕事でこうした?と問われると、
こういうことを想定して念のためこうしました。みたいな受け答えをする。
その他にも、こういう場合はどうすればいいですか?このパターンって考えなくていいですか?と割と極論的思考を持ち出してくる上に、その言葉からネガティブな感情がかなり漏れている。極力、言葉にしないか、もうちょっと淡々とすればいいのにと思ってしまう。
仕事におけるネガティブな感情というのはかなり忌避されるものだろう。
まあ、いいことないよな。
後輩の声が単純にでかくてうるさいというのもあるのだが、なんというか自信のなさみたいなものにおそらく僕は引っ掛かりを感じているのだと思う。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉がある。この記事で言うネガティブとは少しニュアンスが異なるかもしれない。
「ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)」とは、どうしても対処できない状況に耐える能力のこと。あるいは、容易に答えが出ない事態にも性急に事実の解明や理由を求めず、不確実さや懐疑の中にいることができる能力を指します。
この説明のイメージだと、あたふたしない、自信のなさを露呈させない、ネガティブさを許容するようなものを感じる。
それと比べると、後輩はネガティブな思考に伴う感情に振り回されている感がかなりある。僕が受ける印象だ。
こういう言葉がある。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから
僕も人のことは言えないけど、後輩は結構上の内容をクリアしているような気がするんだよな。ただ、若干、ネガティブさに不自然なものを感じるので染まり切ってはいないのかもしれない。今ならまだ戻れるぞ。
第一段階で押しとどまるレベルならそこまで問題ではない。
また、こういった言葉もある。
「口グセ」は自己表現の重要なツールです。仮に最初は意図的に口にしていたとしても、それがいつしか無意識に言えるようになれば、その「口グセ」はあなたそのものになるでしょう。特にマイナスに作用するのが、「ああしておけばよかった……」という仮定法過去完了形。同様に「昔だったらこうだったのに」という「口グセ」も感心しません。こういうのは、もはや「口グセ」ならぬ「愚痴グセ」です。今さらどうにもならないことを仮定法で語るのはやめて、前を向きましょう。
これは僕も同意で、どうにもならんよ。
後輩は、未来の仮定なのでもって行き方を変えることができればいい方向に働きそうではある。
「○○に気をつけなさい、いつか××になるから」と大事な部分はほぼ覚えていなかったが、このフレーズを思い出したので以前から感じていた後輩のネガティブさと結びつけてこの記事を書いた。やはり、覚えやすいフレーズは大事だ。サンキュー。マザー
後世に名言とされる言葉を残したい人は頭を悩ませて覚えやすいものを考えよう。
おわり
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