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今年の記事の振り返り【16タイプ関連ほか、IXTPが思うこと】

僕がnoteの記事を初めて書こうと思い至ったのは「16タイプ性格診断好きの人に100の質問」というものをいくつか目にして、自分でも回答したくなったことがきっかけだ。

当初はMBTIと16タイプ(16Personalities)の違いがよくわかっていなかった。まあ、今でも完璧に理解しているわけではない。面白ければどっちでもいいやってのが本音のところ。

タイプの表現が同じようなのも、これらを別のものと認識するのを阻害していると思う。MBTIは類型(タイプ)論、16タイプは特性論(ビッグ5など)というのが大きいだろうか。

日本MBTI協会の公式ページに「MBTIは、一人ひとりの性格を心の機能と態度の側面からみたものです。」「MBTIは、個人をタイプに分類したり、性格を測定・診断・評価するツール(アセスメント・ツール)ではありません。」という記載がある。

字面だけ見ると混乱する。性格という言葉の定義としても曖昧模糊としたものが余計に混乱を誘発している。和訳した際のニュアンスの違いだろうか?

特性論に含まれる16タイプ診断の方で言えば、相対評価であるので数値的な結果が出る。また、他の性格診断と違って質問数が多めで結果自体はそこそこ明快なので自分はこういうタイプなんだと誤認も含め理解した気になりやすいと思う。

また、16タイプ診断は無料で診断できることとMBTIとごちゃ混ぜになっているかもしれないが、ネットには情報が大量に散らばっているので、他の人が発信している内容と比較しやすい。そこまでの過程で満足して、わざわざ費用を払ってまでMBTI協会のセッションを受けに行く人は少ないだろう。

本来の用法からは外れるだろうが、エンタメとして楽しめる部分もあるので、ますます16タイプ診断とMBTIの格差が広がっていく。MBTI協会の情報は有料である上、あまりオープンでないと思われるので、本家MBTIがマイノリティ側になり、協会がMBTIもどきと呼ぶ16タイプ診断が世に広まっているのはなるべくしてなった結果だと思う。

こういった流れをみていると他の国はわからないが日本MBTI協会のマーケティングがあまり上手くないのだろう。

話を戻すと、科学的根拠云々の話はあるが、多種多様な性格傾向を16種類にある程度は分類できているんじゃないかと錯覚させるぐらいにまとまっていると感じられるのは面白いことだ。(16タイプの話)

noteの記事だけを見ても、16タイプやMBTI、ソシオニクスなどを含め、独自の解釈や考えが入り乱れ、発信される情報がカオスなことになっているのも面白いことだと感じている。MBTI協会はこういった情報に踊らされることを危惧している。

公式の見解以外は信用できないという人や人の言うことに逐一左右される人は、あまりそういった記事などを見ない方がいいのではないかと思う。ある種のエンタメと割り切って楽しむのはありだろう。

記事を書き始めた当初は自分のタイプについて語ろうとしてみたが、あまりしっくりこなかったので、途中からは日頃考えていることや、思い浮かんだことを書くようにシフトした。何かネタがあれば16タイプのことも書くこともある。今はネタ切れ中。

ただ、悲しいかな16タイプ関連とか性格診断に関する記事の方がPV数が多い。PV数のtop15ぐらいがそういう類のものだった。

僕が書いた記事の中でいちばん見られているのがこれ。先月ぐらいからなぜか急にPV数が増えた。一番見られていない記事は、投稿時期の違いはあるが、現状こちらの数百分の一である。残念。

上の記事より、これや

これを見て欲しいという想いがある。Fiの記事の方が考え方の癖がより顕著かなとは感じている。ただ、どこの誰とも知れないヤツの長文記事を見てみようと考える人が少ないのはわかる。

ちなみにソシオニクスの方が16タイプよりマイナーだと思われるので、
上の心理機能の質問に答えている記事がそもそも少ない。僕としては16タイプのNTタイプの人の回答を大量に読んでみたい。

また、「16タイプ性格診断好きの人に100の質問」と似たようなものに
「世界観を問う44問」がある。同時期に投稿したのに16タイプ~の方が1.5倍ほどPV数がある。不思議だ。僕としては世界観を問う44問の方が、回答にその人の個性が出るし読んでいて面白いと感じる。

MBTIに関しては、公式セッションを受けたわけではないので、どこかの記事で受けてみたいと書いた気がする。ただ、それはどういった手順・内容でアプローチするのかに多少興味があるだけであって、自分のタイプを確定させたいわけではない。

公式セッションによる結果も正確度100%の純然たる結果というわけではないし、個人のタイプを確定させる(結果によってはあいまいな場合もある?)ことを第一の目的にしているわけではないのでその辺はあまり興味がない。

日本MBTI協会の公式ページには「検査の回答結果はきっかけに過ぎず、その結果を用い、有資格者(MBTI認定ユーザー)の支援を受けながら、MBTIを受けた本人が自分についての洞察を深め、自分のベストフィットタイプ(もっともしっくりくるタイプ)を見つけ出す過程(プロセス)そのものを重視しています。」とある。

僕は16タイプ診断やソシオニクス、その他のネットで受けられるテストの結果と「MBTIへのいざない」といった書籍から、16個のタイプで近いものにあてはめるとIXTPかなという認識でいる。

これを公式のセッションを受けて、例えば全然別のタイプだったということになった時に、そちらに思考が引き寄せられ、ひとつの考え方などに囚われてしまう可能性を懸念している。まず、そんなことにはならないと思うが。

加えて、考え方の根本みたいなものはそんな外的要因に近いものでそうそう変わらないだろとも思う。

なので、逆に人の手を借りて自分を知り過ぎるというか、ある意味枠の中に当てはめるようなそういった状況よりも、限度はあるものの自分でああだこうだ考えている時間の方が面白いし、自分で考えた結果だからと納得しやすい。

僕としては自称IXTPぐらいだなの認識でいる方が、しっくりくる。あと、IXTPという響きがなかなか良いと思っている。

よっぽど自分に向き合ってこなかった人でなければ、自分の考え方の癖や傾向などはわかるのではないかと考えている。

誰かが、こういったタイプ診断は、自分を枠にはめて安心したがっているみたいな記事を書いていたと思うが確かにそんな気はする。

自分の16タイプにあたりをつけておくメリットは、noteのようなSNS上の自己紹介などで簡単に自分がどういったタイプの人間かを表せる点にある。名刺代わりのようなものだ。また、「IXTPです。」という記載をしていた場合に、そういったものに嫌悪感を抱く人は近づいてこないし、興味がある人は逆にこの人に関わってみようとなるものメリットだと思う。何事も入れ込み過ぎず程々にと言ったところか。


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